変化がすぐに現れるとは限らないことだ。
大きな変化をするときは、
大きな経験をすることが多い。
たとえばガンダムのアムロは、
マチルダさんの死、リュウの死、ランバラルとハモンを葬ったこと、
ララアの死という、
大きな経験をする。
それは成長の痛みである。
しかし、アムロがすぐに別人のように変化するわけではない。
ずっとあとのほう、
たとえばコンスコン戦とか、マグネットコーティング後などに、
徐々に変化が現れていくわけだ。
しかもそれは僅かな変化であり、
表面上はいつもと変わらない振る舞いに見える。
しかし水面下の内面では、
何かが変容しようとしていて、
時折見せる変化は、その一部が外に出ただけなのだ。
主人公の変化は、最後の最後に外に出される。
その時点で変化が突然起こった訳ではない。
それまでの全ての伏線があって、
全てを束ねた形で、
目に見える形になるだけだ。
ドラマ風魔の小次郎も同様だ。
蘭子や竜魔との「忍びとは」問答、
項羽琳彪の死と、墓を巡っての霧風との対立、
風林火山との出会いと竜魔が倒れたことでの責任感、
麗羅の死、姫子への告白。
全てが繋がるからこそ、
小次郎の「忍びとは」に繋がるのだ。
これらの、経験の積み重ねと成長を、
一連の流れとして取り出したものを、
アークという。
大抵は変化のアークとか、成長のアークと呼ばれる。
人は勝手に変化成長しない。
(肉体的には成長はするが)
大きな経験をするから、大きな変化をするのである。
アークを整理することは、
その経験と変化を俯瞰する方法だ。
ところで、
途中で全然違う方向へ変化する、
ということはあり得るか。
主人公は滅多にないけど、
「親友やヒロインの悪落ち」というパターンではありそうである。
このとき、悪に落ちた変化から、
単にもとに戻るのでは可逆変化にしか見えないので、
もとに戻る以上に、潔癖になるなどの、
揺り戻しぶんを変化に加味するとリアリティーが出るだろう。
そうすれば、悪落ちにも価値があった(いい経験だった)、
となるからである。
経験には価値がある。
人は経験から影響を受けるからだ。
人の変化こそが、経験の価値を表現するのだ。
大きな変化をすればするほど、
それまでの経験が、大きな経験であったことを示すのである。
たとえばてんぐ探偵では、
シンイチの、全話を通した変化は、結構大きい。
すぐには現れない変化だとしても、
源じいの幽霊を見たことや、タケシと動物病院に泊まったことや、
遠野で妖怪たちを救ったことが、
あとあと効いてくるようになっている。
あなたの主人公はどう大きく変化するのか。
それはどのようなアークをたどるのか。
それらが話の中心に来ていないと、
それらは大した経験でなかったように見えるかもだ。
2016年03月13日
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