2016年03月13日

大きな変化で気をつけるべきこと

変化がすぐに現れるとは限らないことだ。


大きな変化をするときは、
大きな経験をすることが多い。

たとえばガンダムのアムロは、
マチルダさんの死、リュウの死、ランバラルとハモンを葬ったこと、
ララアの死という、
大きな経験をする。
それは成長の痛みである。

しかし、アムロがすぐに別人のように変化するわけではない。

ずっとあとのほう、
たとえばコンスコン戦とか、マグネットコーティング後などに、
徐々に変化が現れていくわけだ。
しかもそれは僅かな変化であり、
表面上はいつもと変わらない振る舞いに見える。
しかし水面下の内面では、
何かが変容しようとしていて、
時折見せる変化は、その一部が外に出ただけなのだ。


主人公の変化は、最後の最後に外に出される。
その時点で変化が突然起こった訳ではない。
それまでの全ての伏線があって、
全てを束ねた形で、
目に見える形になるだけだ。

ドラマ風魔の小次郎も同様だ。
蘭子や竜魔との「忍びとは」問答、
項羽琳彪の死と、墓を巡っての霧風との対立、
風林火山との出会いと竜魔が倒れたことでの責任感、
麗羅の死、姫子への告白。
全てが繋がるからこそ、
小次郎の「忍びとは」に繋がるのだ。


これらの、経験の積み重ねと成長を、
一連の流れとして取り出したものを、
アークという。
大抵は変化のアークとか、成長のアークと呼ばれる。

人は勝手に変化成長しない。
(肉体的には成長はするが)
大きな経験をするから、大きな変化をするのである。
アークを整理することは、
その経験と変化を俯瞰する方法だ。


ところで、
途中で全然違う方向へ変化する、
ということはあり得るか。
主人公は滅多にないけど、
「親友やヒロインの悪落ち」というパターンではありそうである。
このとき、悪に落ちた変化から、
単にもとに戻るのでは可逆変化にしか見えないので、
もとに戻る以上に、潔癖になるなどの、
揺り戻しぶんを変化に加味するとリアリティーが出るだろう。
そうすれば、悪落ちにも価値があった(いい経験だった)、
となるからである。


経験には価値がある。
人は経験から影響を受けるからだ。
人の変化こそが、経験の価値を表現するのだ。

大きな変化をすればするほど、
それまでの経験が、大きな経験であったことを示すのである。


たとえばてんぐ探偵では、
シンイチの、全話を通した変化は、結構大きい。
すぐには現れない変化だとしても、
源じいの幽霊を見たことや、タケシと動物病院に泊まったことや、
遠野で妖怪たちを救ったことが、
あとあと効いてくるようになっている。


あなたの主人公はどう大きく変化するのか。
それはどのようなアークをたどるのか。
それらが話の中心に来ていないと、
それらは大した経験でなかったように見えるかもだ。
posted by おおおかとしひこ at 19:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック