私たちは戦いが好きだ。
自分がやるかどうかはおいといて、
戦いを見ることが好きだ。
戦いとは、戦争や殺し合いだけでなく、
スポーツや恋愛の行方や、ドラマの行方でも同じである。
なぜだろう。
戦いそのものに機能特化したものは美しい。
戦闘機は美しい。
スポーツマンも美しい。
斧や日本刀も美しい。
職人の道具も美しい。
戦いの合間も美しい。
戦争のクリスマス休戦も美しい。
執筆の途中の煙草も美しい。
恋愛ものの中での友情エピソードもきらきらしている。
あるいは、戦闘中に翻る長衣の裾すら美しい。
戦いの瞬間は言うまでもない。
ボクシングのノックアウトの瞬間。
男女の運命の出会い。
人間ドラマの決着の瞬間。
車のエンジンをスタートさせる時。
我々は戦いが好きだ。
なぜか。
命を賭けるからだろう。
それはつまり、失敗すれば死ぬからだ。
全ての手段を使ってでも生き延びなければならないからだ。
生き延びて、戦いに勝つことで、
自分の意味を示さなければならないからだ。
負ければ死、勝てば己の価値。
そのギリギリのエッジにいること。
それが、人を美しくさせる。
戦いは、つまりは命そのものである。
だから動物ドキュメントものは、泣ける。
で。
私たちは平和だからこそ、それを見たがる。
ギリギリで生きている人は、
そんなギリギリのエッジは見たくない。
とりあえず死なない安全な人たちが、娯楽を見たがる。
また、死ぬかも知れない人は、必ず戦いに勝利するフィクションを見て、
希望を持って、戦いに戻れるかも知れない。
現実がどうであれ、
フィクションの中では、
ギリギリのエッジでの戦いを描く。
戦争や殺し合いでもいい。
スポーツや恋愛でもいい。
変なゲームでもいいし、変な人間関係のクリアでもいい。
深刻な人間ドラマの解消でもいいし、
軽妙な解消でもいい。
子供の限界内の話でも、大人の権力範囲でもいい。
どんなものであれ、
負ければ死、勝てば己の価値。
そういう「戦い」であれば、
それはとても面白い物語になる。
負けてもチャンスが潰れることなく、
勝ってもなんだかうやむやになる、
そういう話はぬるい。詰まらない。
逆に、
本質的にギリギリのエッジの戦い以外に、
物語なんてあるのだろうか。
我々は戦いが好きだ。
それは命そのものである。
その命の価値、その命が存在する意味、それがテーマだ。
我々は、戦いすなわち物語の、何が好きなのか。
命の存在する意味を、知りたいからではないだろうか。
だから、他人の命の存在する意味を見て、
何かを思いたいのではないだろうか。
2016年03月17日
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