2016年03月19日

的確にプロットを書くことは、意外と難しい2

そもそも最後まで書いたことがないと、
シナリオの要素を、
キャラクター、セリフ、プロットに分解して考えられないよね。


キャラクターの魅力をどうやって作るかに、
法則はない。
ギャップを組み込むとか、秘密を作るとか、
細かいテクニックはあれど、
基本は人の魅力である。
しかも外見ではないものが。
一部は能力や性格に依存するけど、
スーパー能力者や人格者だけが、
魅力あるキャラクターではない。
欠点が魅力になる場合もある。

実際のところ、その人の魅力が輝くのは、
「ストーリーの中にいるとき」である。

戦国武将の魅力は、
鎧兜を着て踊るときよりも、
合戦の時に噴出するだろう。

(漏れ伝えられる話を聞くたび、
今回の大河は、合戦以外の日常の武将の魅力を描いているらしい。
ゲイの三谷らしいやり口だ。つまり腐女子が真のターゲットなのだろう)


登場人物の魅力は、ストーリーの中にいるとき。
つまり、セリフを言ったり行動するときだ。

魅力的なセリフを書けるかどうかは、
あなたの国語力や話し力に比例する。
魅力的な文章はどうやったら書けますか?
と同じ問いなので、鍛えてください、と言うしかない。
しかしここでも原則があって、
ストーリーの中で発せられるセリフだからこそ、
輝く魅力になるのが、お芝居というものである。

さあて、結局ストーリーに帰ってくる。
その骨格がプロットである。

登場人物はセリフと行動からなるから、
その行動のリストが、プロットの本体である。


プロットは、設定、展開、結末に大きく別れる。
その人物の行動は、ある目的があるはずだ。
なぜその人がそういう行動に出たかを描くのが設定部だ。
その人がどういう行動に出て、
それからどうなっていくか(周りがどう動いたり、行動を変えたりする)が、
展開部だ。
色々あって、最終的にどうなったかが、結末部である。

これを、主人公中心に、
主要登場人物と舞台について、
手短に書いたのが、プロットだ。


手短、というのが難しい。
僕の推奨は、二時間シナリオ48000字に対して、
プロット2000字ぐらいかな。
400字だとほんの骨格レベルしか書けないし。

あるいは、20字、400字、2000字と、
三種類プロットを書いても勉強になるかもね。


主要ストーリーが決まっていないと、
つまりはプロットなど、正確に書けない。

しかしストーリーを作るために、プロットで練る。

この鶏と卵の関係が、
的確にプロットを書くのが難しい、最大の理由だ。

つまり、プロットを的確に書くには、
キャラクターが出来て、セリフが出来ていて、
設定、展開、結末が出来ていて、
主人公がしっかり定まっていて、
各脇役についても、設定、展開、結末が決まっているという、
全部が出来ないと書けないのである。

前記事で、短い話ならシナリオを書いちまえ、
と乱暴に言ってるのも、
プロット作りより、シナリオを書いたほうが実戦的だからだ。

むしろ、創作衝動に従って、
最後まで書いた経験が豊富で、
挫折した経験も豊富で、
どういうときに最後まで書けたかの経験が豊富じゃないと、
「事前にプロットを練る」ことの意味は分からないと思う。

自分がこれだけやれるだろう、
という確信のもとに、簡略化されたプロットを書くからである。


デッサンや下書きは、
仕上げを想定しながらやる。
プロットはそれと同じだ。
仕上げを経験してない者が、デッサンをどれだけやっても無駄だ。


名作のプロット抜き書きは、
一定期間の勉強として効果的である。
仕上がりからデッサンを抽出することだからである。
しかし、自分がそのプロットを作ったとして、
その仕上がりを自分で出来ないのなら、
プロットだけあっても意味がない。

勿論、全文写経でもして、
キャラクター、セリフ、プロットに分けて、
分析したおすことは、とても勉強になるが、
2時間分のそれをやるには、一ヶ月ぐらいの集中力が必要になる。

で、そういう本格的な勉強をいきなりやらせると、
脱落しまくるので、
初心者教室では、
ペラ一枚ならかける自信をつけさせるために、
プロットを書きましょう、しか教えることがないのである。


それよりは、短編を題材にして、
キャラクター、セリフ、プロットに分解したほうが勉強になると思うよ。

切れのいい短編シナリオが転がっている訳ではないので、
自習が難しいのが現状だ。
僕のシナリオがベストの教材とは言わないが、
作品置き場に所蔵した分は、自習教材に自由に使ってください。


たとえば脚本添削スペシャル「ねじまき侍」で、
20字、400字、2000字のプロットをそれぞれ書くと、
いかに的確にプロットを書くかが難しいか、
また、
シナリオ本体を書く前に、このプロットが書けるか、
を想像すれば、僕の言ってることが分かるかも知れない。



で、結論で言うと、
プロット段階では何も分からない。
でも、優れたプロットやダメなプロットは、
見ただけでわかる、
なんていう、やっぱりよく分からない感じになるのである。

あくまで出来上がりが勝負だ。
しかし出来上がってから、プロットが弱いね、
取り返しがつかないけど、
ということもよくあるのである。

プロットとはそういうものだと思えるかが、
プロットが上手いかどうかに関係するかもね。
posted by おおおかとしひこ at 15:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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