2016年03月20日

問題ベースの作劇

コンフリクトを一番の下敷きにせず、
解決すべき問題をベースにするやり方もある。


それは多分、
「それはすぐには解決しそうになく、どうやって解決すればいいのだろう」と興味をもち、
なおかつ、
「そうやって解決するのか、見事だ!」という解決の鮮やかさと、
ペアになっているものが、
出来た時のやり方である。

たとえば、
「モテナイ男」という問題を作るのは簡単だが、
その鮮やかな解決など、おいそれと出てくるものではないから、
問題を設定してもなかなか解決を作れないので、
これは悪問題である。
シナリオにとっての良問題とは、
鮮やかな解決がある問題であり、
なおかつ解き方がパッと見分からない問題だ。

たとえば密室トリックなんかは、この問題だろう。
問題と解決のペアさえきっちり思いつけば、
これベースで書き始められる。

CMの作り方も大体同じだ。
解決は商品によってなされるのだから、
面白い(興味をひかれる)問題を、逆算して作ればよいのである。
僕は長年CMをやってるから、わりとこれは得意な方だと思っている。

たとえばてんぐ探偵の妖怪「横文字」は、
問題と解決のペアが、殆ど同時に出てきたものだ。

問題:横文字ばかり使うこと
解決:それはハッタリだったと、田舎の親父に日本語で言うこと
ラストシーンは、「プロポーズ」を言えなくて「結婚提案」と言ってしまい、
「合点承知」という返しが待っていたこと

だ。


問題と解決のペアが出来たら、
解決の過程を考える。

てんぐ探偵では、
「日本文化のいいところに触れさせる(が上手くいかない)」だった。
勿論、ただ闇雲に過程を踏んで無駄足になるのでは意味がないから、
「俺は無知であることを横文字で誤魔化してた」と、
日本文化を知らなかったことが解決への原動力になるように、
過程の意味を作っている。

つまり、問題から解決過程を経て、
見事な解決になるような、一連を考えるのである。

これは、「外的問題とその解決」という専門用語で表現される。
コンフリクトを使うなら、
解決過程でコンフリクトが起こるようにすると、
解決過程が複雑になってよい。
(作例ではメインとなるコンフリクトは用意していない)

また、外的問題を描く場合、
内的問題と絡めないと面白くない。
主人公が何故その問題を解決しようとしているのか、
内的問題によって感情移入させるからである。
(作例の場合、内的問題は「無知を隠そうとすること」だ)

外的問題と内的問題が、
クライマックスで一気に解決するようにすると、
物語のカタルシスがあるだろう。
(作例の場合、内的問題を晒して認めることが、
そのまま外的問題の解決=妖怪「横文字」が外れることになっている)

その為には、解決過程での心の変化を追うとよい。
感情移入で人はものを捉えるからである。
(作例では、妖怪に取り憑かれた人ではなく、
シンイチに感情移入させていることで前半戦を乗りきり、
それが彼の心に影響を与えるようにしている)


ただ単に、
面白いトリックを思いついて、
それを解くパズルでは、映画としては面白くない。
物語とは人間の変化だ。
それが解決することで、
どのような内面の変化が主人公(たち)に訪れるのか、
が描けたら映画になるだろう。


てんぐ探偵では、わりとこういう作り方をしているのが多い。
元々は、内的問題(心の闇)こそが外的問題(妖怪に取り憑かれている)
なのだから、当たり前っちゃあ当たり前だけどね。


問題と解決ベースで作劇するには、
解決過程こそが、ものづくりの中心作業になる。
逆算の面白さである。
posted by おおおかとしひこ at 15:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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