2016年03月21日

「キャラが立つ」とはどういうことか

出落ちで変なことをすれば、キャラが立つだろうか?
ダースモールは、ビジュアル的にはキャラが立っているが、
ストーリー的にはキャラが立つ前に死んだ、
究極の出落ちキャラであった。

きちんとキャラが立つとは、どういうことだろう。


僕は、キャラが立たなくてもいい、と考えている。

ただキャラが立つと、目立って分かりやすいから、
商売にしやすい、というだけの理由だ。
キャラが立ちすぎてると、
そのキャラを愛しすぎてしまって、
他の話を書けなくなってしまうし。
(例:刃牙のオーガ)

素晴らしい物語に、キャラ立ちは、必ずしも必要ではない。
ガワの魅力のひとつだと考えたほうがよい。


さて、ではキャラが立つとは。

人は、なるべく無難に生きていたい。
群衆にまぎれ、無個性の仮面を被り、
先生に指されないように生きている。
もし商店街を歩いている時に通り魔が出たら、
自分が刺されることはない。
群衆の一人に紛れているからだ。

キャラが立つとは、この逆である。
群衆に放り込んでも目立つ。
目立つ色の服を着ていたり、
言動が目立つ。
こういうことだ。
そして、ただ目立つだけではない。
そのキャラは、目立つその個性に、自分で責任を取っている。
通り魔に刺されるリスクは真っ先に来る。
先生に一発で指される。
その時に群衆にまぎれて逃げることなく、
自分の意見を言い、自分に向けられた刃を自分の能力で捌く人が、
キャラが立っている、という。

自信、能力、責任。
立っているキャラは、
自分で立っている。


ただ一発屋みたいに奇抜なことをすれば良いわけではない。
一生奇抜なことをし続け、一生目立ち続けることに、
責任と自負が泣ければならないのである。

「俺はスターだ」と思っている人は、この原理でキャラが立つだろう。
(たとえば剣崎順、ラジニカーント)

卑屈で隠れようとする奴に、キャラが立つ奴はいない。
自分の個性に責任を取る奴だけが、
キャラが立つのである。


ダースモール?
見かけは相当キャラ立ちしてたのに、
ただの一発屋でした。
あの見かけに相応しい自己認識や、
そういう俺だという責任があれば、
キャラが立っただろうね。
posted by おおおかとしひこ at 21:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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