2016年03月22日

途中で年代が変わる話

小説や漫画ではよくあるが、
シナリオではあまりオススメではない。
役者が変わるからだ。


子供時代と大人時代が混在する話、
老人時代も混在する話、
高校時代から主婦時代までの話、
などなどは、
役者を変えなければならない。

子役、大人役者、老人役者、
高校生役を30代役者にやらせるか、
役者を分けるか。
30代にやらせるとキツイ絵になるよね。


小説にはビジュアルはないから、
同一人間というアイデンティティーを保てる。
漫画もキャラを変形させれば簡単だ。
キャプテン翼なんか、頭身だけが延びている。

実写はそうはいかない。
CGでうまいことやることは可能だが、
日本最高クラスのCG予算を用意するより、
一人に人件費を払って出演させるほうが、
合理的予算組というものだ。


子役からはじめて、感情移入すると、
大人役者に違和感がある。
「ニューシネマパラダイス」とか。
最近では「クリード」もそうだった。
役者のジャンプを、感情移入は越えられない気がする。

大人役者から始めて感情移入すれば、
回想で子役を使う分にはそうでもない。

要するに、メインで感情移入する役者を、
最初に感情移入させればいい。

老年期で終わる作品は、
なるだけ大人役者を老けメイクさせるべきだ。
これまで感情移入してきた役者がいなくなり、
別の役者が演じると、他人にしか見えなくなる。

シリーズで役者が変わるのも嫌だねえ。
マトリックスでオラクルが変わり、
急に役割が変になってしまった。(役者が死んだのでしょうがないのだが)


つまり、実写では、
「その役者」に感情移入する。
「その役」よりも、「その役者」に。

これが、素晴らしい映画のとき、
脚本や監督よりも、俳優が素晴らしかったと称賛されがちな理由だ。


途中で役者が交代しないように書こう。
それを調整できるのは、脚本だけだ。

たとえば漫画「ちはやふる」の子供時代が、
僕は結構好きなのだが、
広瀬すずの実写版では大分削る筈だ。
素晴らしい物語の共有ではなく、
広瀬すずのプロモーションである戦略的立場からも、
子役時代は全面カットして、
たとえば試合のシーンから始めて、
子役時代を口の説明か、フラッシュ程度にして、
物語を「現在」に縛ると、
予測される。
もしぼんくら脚本家ならば、
子役時代からうっかりはじめて、
子役は可愛かったなあ、という印象を残してしまうだろう。


これをコントロール出来るのは、
脚本(ストーリー構造)だけである。
我々の決断と工夫次第なのだ。
なるべく、「一人の役者」に感情移入させるように、
各自工夫されたい。

「幼少期のことが現在に影響している」というのは、
我々の人生では当たり前だが、
それをうまく省略する方法を、劇の上では工夫するべきだ。
我々が書いているのは、現実の写しではなく、
劇の台本なのだから。
posted by おおおかとしひこ at 10:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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