小説や漫画ではよくあるが、
シナリオではあまりオススメではない。
役者が変わるからだ。
子供時代と大人時代が混在する話、
老人時代も混在する話、
高校時代から主婦時代までの話、
などなどは、
役者を変えなければならない。
子役、大人役者、老人役者、
高校生役を30代役者にやらせるか、
役者を分けるか。
30代にやらせるとキツイ絵になるよね。
小説にはビジュアルはないから、
同一人間というアイデンティティーを保てる。
漫画もキャラを変形させれば簡単だ。
キャプテン翼なんか、頭身だけが延びている。
実写はそうはいかない。
CGでうまいことやることは可能だが、
日本最高クラスのCG予算を用意するより、
一人に人件費を払って出演させるほうが、
合理的予算組というものだ。
子役からはじめて、感情移入すると、
大人役者に違和感がある。
「ニューシネマパラダイス」とか。
最近では「クリード」もそうだった。
役者のジャンプを、感情移入は越えられない気がする。
大人役者から始めて感情移入すれば、
回想で子役を使う分にはそうでもない。
要するに、メインで感情移入する役者を、
最初に感情移入させればいい。
老年期で終わる作品は、
なるだけ大人役者を老けメイクさせるべきだ。
これまで感情移入してきた役者がいなくなり、
別の役者が演じると、他人にしか見えなくなる。
シリーズで役者が変わるのも嫌だねえ。
マトリックスでオラクルが変わり、
急に役割が変になってしまった。(役者が死んだのでしょうがないのだが)
つまり、実写では、
「その役者」に感情移入する。
「その役」よりも、「その役者」に。
これが、素晴らしい映画のとき、
脚本や監督よりも、俳優が素晴らしかったと称賛されがちな理由だ。
途中で役者が交代しないように書こう。
それを調整できるのは、脚本だけだ。
たとえば漫画「ちはやふる」の子供時代が、
僕は結構好きなのだが、
広瀬すずの実写版では大分削る筈だ。
素晴らしい物語の共有ではなく、
広瀬すずのプロモーションである戦略的立場からも、
子役時代は全面カットして、
たとえば試合のシーンから始めて、
子役時代を口の説明か、フラッシュ程度にして、
物語を「現在」に縛ると、
予測される。
もしぼんくら脚本家ならば、
子役時代からうっかりはじめて、
子役は可愛かったなあ、という印象を残してしまうだろう。
これをコントロール出来るのは、
脚本(ストーリー構造)だけである。
我々の決断と工夫次第なのだ。
なるべく、「一人の役者」に感情移入させるように、
各自工夫されたい。
「幼少期のことが現在に影響している」というのは、
我々の人生では当たり前だが、
それをうまく省略する方法を、劇の上では工夫するべきだ。
我々が書いているのは、現実の写しではなく、
劇の台本なのだから。
2016年03月22日
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