なんてよく言われるよね。
「削ぎ落とす」でも「省略する」でもいい。
それが表現だ。
しかし具体的なもので議論しないと、抽象的すぎる。
具体例を仕入れたので、徹底的にやってみよう。
まずネットで仕入れたこれをご覧頂きたい。
JR大崎駅に貼られたポスターである。
よく見るパターンだ。
駅員さんがパソコンの何かで作ったのだろう。
これが素人の表現だ。
とにかくごちゃごちゃして分かりにくい。
目が滑る。
これは何が駄目なのだろう。
「プロの表現」をこれを元に考えて行こう。
素人の表現とプロの表現の何が違うのか?
デザイン力やセンスだろうか?
かっこいいフォントを使うことや、ポスターセンスだろうか?
そうではないことを示そう。
プロは、意味の整理に長けているのだ。
それはどういうことかというと、
ごちゃごちゃしたものを整理する力だ。
どうやって?
「捨てる」ことでこれを実現するのである。
さて、この分かりにくいポスターは、
「そもそも何を言いたいのか?」つまり、「大意」を考えよう。
必死で解読すると、
どうやら、これは大崎駅限定のキャンペーンで、
ポケモンスタンプラリーの一環で、
「都区内パス」または「休日おでかけパス」を大崎駅で購入すると、
JRオリジナルグッズが貰えるキャンペーンらしい。
各日先着10名様なので、そんなに数は用意していないようだ。
スタンプラリーというキャンペーンは、
各駅で降りなきゃ押せないから、電車賃を稼げるのだろう。
長距離で割り引く料金体系だから、各駅で降りるとその分単価が上がる仕組みだ。
それで、多分ポケモンのスタンプを集めようぜ、というものだ。
御朱印帳が生まれて以降、日本の伝統的キャンペーンといってよい。
それと全く関係ない、
「都区内パス」「休日おでかけパス」を複合技にしたキャンペーンである。
つまり抱き合わせ商法だね。
何の関係もない、
客寄せイベントと、売りたい商品を、抱き合わせキャンペーンにして、
グッズで釣ろうとしている訳だ。
そもそもパスとポケモンが関係ないので、
これは分かりにくいキャンペーンである。
だからポスターも分かりにくいのか?
いや。
ポスターだけは分かりやすく出来る。
それを示そう。
まず、ポスター内の要素わけをやってみよう。
これが紙の上に印刷されているとして、
はさみで切り抜くのである。
実際にはPhotoshopを使っているが、
昔ははさみとのりと、コピー機で拡大縮小したものだ。
(デジタルでやるより、アナログでやるほうが、手が感覚をつかめるので、
暇ならやってみよう)
よく読んで、最低限のパーツは何かを考える。
それを選んで、レイアウトしなおしたのがこれだ。
(多少の文字を変更して、MSゴシックで入れ替えた)
ね、伝わりやすくなったでしょ?
JR駅員にハンデを負わせないため、
「全く同じパーツで」レイアウトをし直した。
つまり、おしゃれフォントや絵心は関係ないようにした。
大きい部分が重要なところで、まず目がいくようにする。
それは、
「このポスターの意味は何かを、一言で言うこと」に収斂する。
つまりは「ちょっぴりプレゼント実施中!」が一番大事なこと、
という判断である。
ここで、僕が捨てたものを見てみよう。
青く塗った部分がそれだ。
余計な下線や囲みも捨てた。
ちなみに、残した部分を赤、捨てた部分を青で示す。
さて、素人はすぐ修飾したがる。
イタリックや赤文字、下線などでだ。
それをやれば強調されるとでも思っているのだろうか?
ごちゃごちゃして、結局何も伝わらないではないか。
大事なことは大きく、そうでもない事は小さく、不要なものは捨てる。
これだけで意味が整理可能だ。
イタリックも、色文字も、下線もなしにした、
黒文字だけのものにしてみよう。
つまり、これで、「意味」だけが抽出されたのである。
ところで、僕はこれは日本語が下手だと思う。
同じ意味を伝えるのに、もっと上手に言える筈だ。
ということで、直してみた。
一番大事なのは何か?
「プレゼントがもらえる」ことだ。
それが一番目立つように、真ん中に大きく入れる。
その条件はみっつ。
ポケモンラリー参加者、当駅利用者、パスを購入した人。
その証拠、
台紙、切符、パスが証明になり、
どこへ行くとよいかを明記するだけでよい。
三枚並べてみよう。
1もと、2捨てたのちレイアウト変更、3文言変更だ。
あなたは何を表現したいのか?
1みたいな原稿を書いてやしないか?
2に整理しよう。
そして、3に書き直すのである。
プロのデザイナーは、
おしゃれなフォントを使いこなせるとか、絵心があるからデザイナーなのではない。
1を2に整理するから、プロなのだ。
プロの表現は、ここが肝なのだ。
これさえ出来れば、あとはセンスは普通にあるから、
3に作り替え、ここからおしゃれフォントを選ぶ作業に入ればいい。
僕がガワだというものは、この上にかぶせるのである。
それがおしゃれフォントだったり、絵心だったりするのは、言うまでもない。
表現とは、捨てることである。
捨てることで、どういう構造なのかを明らかにする。
残ったものを、余白(余韻)こみで豊かにしていけばよい。
2016年03月29日
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