前二つの話を統合してみる。
「このあと滅茶苦茶改訂した」が笑えるのは、
説明なしに理解できる人だけだ。
同じ経験を共有しているからだ。
これを試しに感情移入に持っていってみよう。
前提知識は二つ必要である。
まず、「このあと滅茶苦茶セックスした」ネタ。
何気ない漫画のツーショットのコマ(女の子がひとこと言うとか)
の端にこのボイスオーバーを足すことで、
急にエロマンガになるというものだ。
例:
セリフ「海見に行こっか」、ボイスオーバー「このあと滅茶苦茶セックスした」
セリフ「今日休みたい…」、ボイスオーバー「このあと滅茶苦茶セックスした」
これがクソコラ化し、
どんなコマでも「このあと滅茶苦茶セックスした」が入ると、
途端に面白くなる。
男二人、男と犬、集団、不謹慎(葬式で坊さんとツーショットとか)
などは当然で、
どんなシュールなシチュエーションにこれを貼り付けて笑わせるか、
という大会になる。
それほどこのフレーズは面白い。
意外なシチュエーションほど、
このあと滅茶苦茶セックスしたのかあ、
という感慨があるものだ。
次に、改訂の話。
集団で仕事をしていて、
なおかつ別会社からの発注を受ける仕事の時、
何故か意志疎通は全然うまくいかない。
注文も下手ならば、注文を聞いて作るのも下手で、
直しの指示も下手ならば、直しも下手である。
従って、仕様変更→締め切り迫るの度重なる地獄が待っているものだ。
特にCM業界では、
広告主は映像のプロではなく広告活動をしたいだけであり、
そこから受注した広告代理店は、
自分達で手足を動かして作ることはなく、
実際に撮影したり編集するのは我々プロダクションの職人集団だ。
つまり孫請なんだよね。
ということで、一ヶ月から一週間の制作期間において、
修正や仕様変更が度々ある。
我々プロダクションは何千万か預かり、
広告代理店は電波代も含めて何億円も預かるので、
修正や仕様変更が出来ませんなんて言えない立場だ。
ということで、
それらの修正作業を、業界では改訂と呼ぶ。
一文字直すのからはじまり、
カット差し替えやら、構成全直しやら、
音楽取り直しや、再撮影。
編集三日徹夜とかね。
やばい事案なら、
「修正対応予定日」なんてスケジュールに入っていることもあるぜ。
オクラは避けたい(未払いが慣習)から、
なんとしてでも完成まではこぎ着けたいので、
営業的には、
最初に作ろうとしていた作品性が台無しになったとしても、
納品が優先になる。
監督の拘りが強く出て、作品性の高いCMが作られにくいのは、
そういう仕組みだ。
(色々な修正や仕様変更を発生させないほど、
作品力が高く素晴らしい脚本ならそのままオンエアまでこぎ着ける。
NHK「娘の出て行った部屋」はその例だ。
「プロの現場から」の一連の過去記事参照)
ということで、
今日撮り終えた撮影カットを見ながら、
「いやあーいい絵が撮れたし、早く終わったねえ。飲みにいこうぜ」
「(ネットを見せて)ちょっとこの動画見ました?」
「面白いねえ、そういえばあれ見た?」
なんてごく普通の楽しい会話の上に、
ボイスオーバー「このあと滅茶苦茶改訂した」
を入れると、
なんとも哀愁の漂う自虐笑いが完成するのである。
さて本題。
こういう風に、
感情移入には「説明部分」が必要である。
説明不要の共感と違い、
自分と遠いものに感情移入するためである。
そしてその説明部分が重要だ。
まずは「説明を聞く気」にしないとダメだ。
上の例では、「じゃあ実際に共感を感情移入にしてやるぜ」
と宣言することで、
「ホントにやれんのかよ」としばらくは僕の文章を読む体勢が出来たはずだ。
この時点でアイキャッチは成功している。
人は基本、説明が嫌である。
じっとしてなきゃならないし、
理解するために頭を使わなくてはならないからだ。
知的活動は、莫大な情報の海のなかではエネルギーの無駄だ。
ところが知的好奇心があれば、
人は進んで説明を聞こうとする。
この場合はこれを利用した。
さて説明本体。
第一に、感情が震えなければ詰まらない。
この場合は、得意の下ネタで心を平常心から浮かせている。
柔道と同じで、
投げるためにはどっしりした所から、ふっと浮かせればいい。
平常心では人の心は動かない。
とにかく揺さぶることである。
ここまでが作り。
ここからが技。
広告業界を説明するふりをしながら、
殆どの社会人が共感できる構造を説明している。
これを読んでる人は広告業界の人ではないが、
「オンエアとか編集とかよくわからないが、
似たようなことはうちの業界でもあるぞ」
と思わせるように書いている。
一端そういう似た構造が把握できると、
僕らの気持ちに感情移入が起こる。
「これと全く同じ経験(三日徹夜編集)をしたことはないが、
似たような経験をしたことがあるぞ」と。
そうすると、
我々が調子よく「飲みに行こうぜ」なんて軽口を叩いている様に、
「このあと滅茶苦茶改訂した」と入ると、
「ああ、分かるよその気持ち」となるのである。
共感と感情移入は、別のものである。
ところが、深い感情移入は登場人物に共感している。
つまり、
最終結果は、
共感と区別がつかない。
入り口やプロセスが真逆なのに、結果が区別がつかないのである。
だから共感と感情移入を混同したり、誤用するのである。
世間の人々や、担当編集者や、プロデューサーや、
広告代理店や、広告主は、
そうであっても構わない。
作品を作るあなただけは、理解して使い分けないと、
三人称形式での感情移入なんて一生達成出来ないだろう。
共感しやすいシチュエーション、
共感しやすい立場、
共感しやすい台詞、
共感しやすい小道具などは、
感情移入をスムーズにする潤滑油でしかない。
我々は、アフリカの土人にも感情移入できる。
2016年03月24日
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