カット割は漫画ではない。
カメラの配置と、人の芝居の割り本である。
何を割っているかというと、
ワンシーンワンカットではない場合に、
何カットに、どのように割るかだ。
で、そもそも撮影がどうやってなされるかを、
知ってなければならない。
人間を撮影するとき、
人間とカメラの関係を知らなければならない。
その為に、一眼レフで練習するといい。
一眼レフは高いものでなくてよい。
以下の勉強の為に、「レンズ交換が出来ること」必須。
複雑な設定はいらない。フルオートでいい。
レンズの勉強をするのである。
写真屋さんで買う(家電屋はだめ。写真のことを知らない)のなら、
以下の記事を読ませて、「レンズの勉強がしたいんです」と言えば、
安いボディと安いレンズをワンセット揃えてくれるだろう。
ボディ+単玉三本なら、
中古で10万かからない筈だ。
学生さんには辛いが、社会人ならなんとかなる。
三ヶ月ぐらいやって分かったら、
下取りしてもらう相談を中古カメラ屋さんにすれば、
費用は押さえられるだろう。
写真の専門学校に通う奴に機材を借りる手もある。
カメラのレンタル屋さんもあるけど、
ここまで相談に乗ってくれる店は確率が低そう。
以下本文。レンズの勉強。
最低三本の単焦点レンズ(業界用語で単玉)を買うこと。
ズームレンズ禁止。理由は以下でわかる。
単玉は、50ミリ、24ミリ、100ミリにせよ。
それぞれ、標準、ワイド、望遠だ。
まずは50ミリのレンズで、どういう絵が撮れるか、
人間を撮ってみる。
友達と協力して、映画っぽい絵を撮ってみよう。
アップ、ミドル、ロング、誰かと話している絵、何かをしてる絵。
ツーショット、なめ、スリーショット、グループショット、
風景。ローアングル。
外。部屋の中。昼、夜、マジックアワー。
50ミリは顔のアップはなかなかいい絵が撮れるが、
ヒキを撮ろうと思うと、あなたが下がらなくてはならない。
アップを撮ろうと思うと、あなたが近寄らなくてはならない。
この、
「カメラが近づいたり遠ざかることで適切な絵作りをする」
ことを体に叩き込む為に、
このエクササイズがある。
ズームレンズがあると、足を使わずにズームしてしまう。
これを禁止するのは、
「カメラは足で撮る」(ポジショニング)を学ぶためである。
「どういう被写体を、どこから、どういう距離から撮れば、
どういう写真になるか」を、
50ミリ固定で感覚として身につけること。
カット割りは、これが基礎感覚になる。
レンズを覗かなくても大体は絵が想像できるようになって、
被写体がいたときに、
自分の行くべき場所が想像できるようになるまで、
これをすること。
簡単だ。被写体がいるとき、
上がりの絵を想像して、ポジショニングする。
そこでカメラを覗いて予想と見比べれば答えあわせが出来る。
まず50ミリ一本で何日も撮影をし、
50の感覚を身につけて欲しい。
夏休み暇なら100枚以上撮れば、まあ分かってくるだろう。
ポジショニングと上がりが合ってきたら、
50ミリ卒業。
カット割りは机上の空論ではない。
撮影の段取りと編集の段取りの組み合わせだ。
それを理解するのに、
撮影のことを理解しなければならないのである。
さて、50ミリをマスターしたら、
ワイドと望遠を。
24ミリを覗いてみよう。
自分の身についた予想とまるで違う絵になることに、
最初は驚くだろう。
ワイドは広く写る。だからワイドという。
同じ距離でも50ミリに比べて、広く見える。
逆に、同じ広さを撮るなら、50ミリの半分に近づかなければならない。
そして同じ広さの絵でも、50ミリに比べたら、
パースがかかって見える。
これがワイドレンズの面白さ(ディストーション)である。
僕はワイドレンズで傾けて撮る(バンク、ダッチアングル)のが大好きで、
それは香港映画風味なのだが、
後輩は「大岡バンク」と呼んでるらしい。
(某イーデザイン損保の決めカット、織田さんのジャケットはおりにも、
使われてるね。風魔でも多用したぜ)
ワイドレンズは50ミリに比べて、ダイナミックな絵になるんだね。
ワイドレンズは広く写るから、
室内撮影に力を発揮する。
50ミリなら下がりきれない場所でも、ワイドレンズなら撮れる絵がある。
(専門用語で、ヒキ尻が稼げるという)
でもディストーションがかかるので、
50ミリで下がって撮りたいのに、とぶつぶつ言うときもあるよね。
プロの世界では、室内セットを組むよ。
カメラが下がりたいなら、うしろの壁を外すためにね。
これは日本家屋の感覚だ。
部屋を全部撮りたくてカメラが下がれないなら、
襖を外して部屋を広く使う、という。
ハリウッドで一ヶ月仕事した経験で言えば、
奴らにこの感覚はないみたい。
ヒキ尻の為に壁を外すなんてね。
まあ、部屋そのものが狭い、日本独特の方法かも知れない。
話が逸れた。
24も、50と同じく、撮りたい絵を予測して、
被写体がいたらポジショニング出来るようになること。
撮りたい絵のために、あなたが動くことをマスターする。
次は望遠。
100ミリは50ミリに比べて、ちょうど1/2の面積が写る。
つまりアップになる。
望遠で顔のアップを撮ると、すごい映画っぽくて僕は大好きだ。
50ミリが肉眼に近いなら、
100ミリは少し離れた、せつない感じになるのである。
それはアップだけでなく、風景も同じくである。
勿論、画角(写る広さ)が狭いから、
広い絵を撮るためには、だいぶ下がらなければならない。
これも50、24と同じく、100ミリのポジショニングを身につけよう。
これで、都合三種類のレンズの距離感が叩き込まれたね?
いい忘れていたが、撮った写真は常に紙焼きすること。
並べて見比べたり、壁に貼って一覧するためだ。
デジカメの紙焼きはめんどくさいので、
もうアナログカメラで撮って、紙焼きしなはれ。
この記事を見て、こういうことがしたいと写真屋さんで言えば、
何軒か回れば、写真好きのおじさんが喜んで相談に乗ってくれるよ。
やっと本番だ。
今あなたの位置と、被写体がいるとき、
50ミリならどんな絵になる?
24ミリならどんな絵になる?
100ミリならどんな絵になる?
頭の中に想像できるね?
じゃあ、近づいたり遠ざかったりしてみて?
そこで、三つのレンズで想像してみて?
これが、レンズの目で世の中を見るということなのだ。
いつでもどこでも、
あれはこういう絵になるな、と思ったり、
あれをこう撮るためには、あの辺に行って○ミリにすればいいな、
と思ったりするのである。
答えあわせは簡単で、予想したレンズをつけて、
写真を撮ってみればいい。
気持ちはスコープドッグだ。(装甲騎兵ボトムズで検索)
レンズが三本ついていて、
常に切り替わる感じだ。
まああのスコープのデザインは、
元々カメラの三本レンズのデザインの流用なんだけど。
(ズームレンズ登場以前の、レンズ切り替えシステム)
ここまでの勉強は、アナログ写真のほうが有利である。
なにせ失敗したら実費がかかり、
失敗を紙で残すことが出来、
成功と失敗の差を分析でき、
成功するためのイメージトレーニングが、
ブツを持ってしやすいからだ。
獲物を並べて比較検討出来るのも、強い。
撮影は狩り(シュート)だ。
被写体を見つけたら、ポジションを決め、
待ち、撃つ。
撃つよりも、ポジショニングが主な仕事。
それを実感できる。
その狩りの距離感とレンズの感覚を身につけたら、
デジカメやズームレンズに移行しても構わない。
デジカメは失敗が痛くないし、
ズームレンズは自由度が高過ぎて、
3つの基本レンズのポジショニングをマスター出来ない。
あと出来れば、
ワイド側では10ミリ、18ミリ、35ミリ、
望遠側では75ミリ、150ミリ、200ミリ、300ミリあたりの、
感覚を身につけておきたいところだが、
プロを目指さないなら3つのレンズの感覚をベースにすればいいよ。
さて、ようやくカット割りの本題だ。
カット割りとは、一連の芝居を、
どういう絵で構成するかである。
どんなレンズでどこから撮る、どういう絵かだ。
ここからここまでは、
ここからこういうレンズで撮る、
という構成表だ。
これは、どういう絵を撮るかという体の感覚がなければ、
事前に絵に起こすことは出来ないのである。
ちなみに、アニメの絵コンテや漫画の絵は、カット割りではない。
何故なら、どこからどんなレンズで撮るかをあまり考えていないからである。
ちなみに、人間のデフォルトパースは、50ミリの感覚である。
松本大洋は、それを24ミリや18ミリに変形して、
話題になったのだ。
もちろん、三本のレンズのどれで撮るかを分かるような絵をかくこと。
それが出来なくては、カット割りが出来るとは言わない。
じゃああとは撮影だ。
芝居をつけて、想定位置にカメラを置き、
レンズをセットして、シュートすればOK。
そのシーンのカット数だけ同じことをして、おしまい。
何カットに割るかは、監督の個性である。
個性というか、この芝居はこう撮られるべきだ、
という感覚の世界だ。
もっというと、この芝居はこの距離でこのレンズで撮るのが、
一番面白い、という感覚のことである。
その感覚は、ポジショニングとレンズ感覚のことなのである。
実際、カメラの距離は人間との距離感覚である。
人が好きな人はカメラも寄っていくし、
距離を置きたい人はカメラも望遠ぎみだ。
望遠ぎみの絵が映画に合うのは、
「二度と戻らない時間」というのを表現するのに適した距離感だからだ、
と僕は思う。
そこで優秀な監督は、
芝居をつけながら、周りをうろうろして、
ポジショニングしていることが多いんだね。
映画のカット割りは、
アニメの絵コンテでも、漫画のコマ割りでもない。
舞台演出でもない。
カメラの位置とレンズを決めて、
それをどう割って見せて、お話を分からせるか、
感動させるかという行為だ。
日本映画は、何カットにも割ると、
コスト(仕事量)が増えるとして、
伝統的に少ないカット数を尊んできた。
僕はその考えはバカだと思っていて、
芝居に適切なカット割りを優先させるべきだと考えている。
勿論、コストとの相談がいつもついて回るけど。
最近の理想的に出来たのは、NHK「娘の出て行った部屋」だ。
そのカット割り(絵コンテ)は、
「プロの現場から」という一連のシリーズにまとめたので、
検索してみてください。
で、これは演出論になっちゃうけど、
脚本論カテゴリにしておきます。
人間の本質にどう肉薄するかを、
ストーリーでやるか、
芝居をどうつけてどう撮るか、というのは、
表裏一体だからです。
2016年03月25日
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