2016年03月26日

人気○○ビジネスの終わり

「ちはやふる」「セーラー服と機関銃(ハシカン版)」が大コケなのだそうだ。
関係者の期待を大きく下回り…とばかり報道される。
ていうか、おまえら関係者、ヒットすると思ってたの?


もうそろそろさ、
人気芸能人(海街で新人賞総なめでCMでも人気、
千年に一度の美少女アイドル初主演)と、
人気原作(このマンガが凄い、往年のヒット映画)の、
抱き合わせ商法が、
粗製品でしかないことを、認めようよ。

「人気芸能人×人気原作じゃないと、
お金が集まらないんです」と言ってたプロデューサーがいた。

むしろ、そんなんに金を出す馬鹿は、
一体どこのどいつだ?


映画は内容である。
その内容に対して、適切な役者が適切な芝居が出来たとき、
初めて名作になる。

内容が上で、役者は下位概念だ。

その原則を崩すから、粗製品しか出来ないのだ。


広瀬すず座つき作家、ハシカン座つき作家が、
彼女たちの最も輝くオリジナルストーリーをやるなら分かる。
ていうか、そういうのは見たい。

だが、
オリジナルストーリーを書く人間は高いし、
失敗のリスクもある(出来上がって失敗、ということもある)。

だから上がりの読める原作ものだって?

どんな上がりを読んだら、
広瀬すずでちはやふるをやろうと思うの?

僕は原作大好きだし、
女優としての広瀬すずも好きだ。
けれど、食い合わせが合わないと思うぜ?

僕がちはやふるの実写化をするとして、
オーディションに広瀬すずが来ても、
多分落とす。
役に合わないからである。

選択肢はみっつ。

広瀬すずありきで、原作を書き直す。
別の人気芸能人を探す。
降りる。


ナカテツが進撃を降りた理由は定かではないが、
こういう事情は垣間みえる。



たとえ人気芸能人でも、
監督面接後、断る仕組みが出来るといいね。
ハリウッドでは、監督の当然の権利だし、
恨みっこなしになるんだけどさ。




映画の興行は、初日で稼ぐのだそうだ。

初日から減衰曲線が決まっていて、
盛り返すことはほぼないんだって。
ロングランは、単館で館長が、
まだ入るからかけとくか、てやったら、
まだ入ってるというのの繰り返しだそうな。

つまり、全国的興行システムにも問題がある。
だって、作品の内容に関係なく、初日で決まるんでしょ?

初日で決まるからこそ、
内容と関係ない、
人気芸能人×人気原作というシステムになってしまったはず。
つまり期待値で初日興行が決まり、
それが興行成績に比例するんだから。

コスプレバラエティーでもかけとけよ。



なんだか今の日本映画の、
興行初日ありきの、
期待値ありきの、
人気芸能人×人気原作ありきの、
それありきの投資目当ての、
金集め目当ての、
内容はどうでもいいから的な、
システムが、
もう破綻している。

老舗映画会社が反省して巻き返せるのか、
新興映画会社がまくるのか(シネカノンは潰れたなあ)、
それとも、
映画全体がダメになってゆくのか。

そろそろ分岐点なんじゃないか?

いや、コアにいる人は、
分岐点は過ぎててあとどれだけ延命するかなのだ、
と思っている人もいるのかも知れないが。

映画界だけでなく、日本社会全体、かも知れないけど。



我々脚本家は何を目指すべきか?

人気芸能人×人気原作×投資額ありきで、
絶対食い合わせが悪くなり、
めためたになる座組が予測されても、
尚名作を作れるストーリー能力か?

金はないが、ただただ面白いストーリーを、
どうにかして作っていく能力か?

グローバル時代は、
ブロックバスターか、ゲリラしかなくなる。
それが資本主義だとマルクスは見抜いていたよね。

資本主義は、地球の有限性の壁にぶつかる。
ネットを全部結んでしまったから、
見掛けの数字を増やしてぐるぐる回して、
金儲けをするしかない。
行き着く先はそれをユダヤ資本がやってるんでしょ?
僕は経済学に詳しくないから、よくわからないのだけど。

映画が一回の投資で回収できるわけないじゃない。
その投資をする人は、これだけ糞映画が乱発するのを知らないの?
映画館で外れを見たことがないの?
100本に1本の名作のために、映画好きが映画館に通うんだぜ?
それは贅沢だって?
映画は、至高の贅沢品だぞ?

レンタルビデオランダムに10本借りてみなよ。
当たりが過半数ないと回収出来ないんでしょ?
10本に2本当たりがあったら、奇跡だと映画ファンなら思うぜ。

投資の仕組みが現状にあってないのなら、
投資の仕組みを変えればいいじゃん。



マルクス主義は革命にならず失敗した。
資本主義は、
ちはやふるや、セーラー服と機関銃しか作れない。
広瀬すずやハシカンは、その犠牲者になった。
作られた偶像=アイドルなのか?

AKBはアイドルではないよ。
おニャン子の劣化コピーだよ。




さて、
どうしようか。

俺はコツコツ小さくてもいいものを作る。
端から端まで責任を取れるものを作る。
ダメなものを作るぐらいなら、降りたい。
「いけちゃんとぼく」は途中で一億予算が削られた時点で、
降板するべきだったと今でも思っている。
ミッドポイント以前がめためたになってしまった。
降りない監督は、作品のことを考えずに、政治のことを考えてるんだろうね。


きみたちはどうする?
どんな面白いストーリーを書くのかね?



(追記:
僕の予想に反して、映画の中身はなかなか評判のようである。
見てからまたこの話題に触れるとしよう。
しかし、だとするとだよ、内容を興行に比例させられない、
宣伝や興行ってなんだ、って話だよな?)
posted by おおおかとしひこ at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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