2016年03月28日

美しいとはどういうことか

着飾ったり整えたりすることだろうか。

僕はそう思わない。
乱れたもの、汚いもの、滅茶苦茶なものにも、
美しさはあると思っている。
それは、黄金比率とか、光線の美しさとかではない。

何が美しいかというと、心である。


CMをやっていると、
絵の美しさを問われることがとても多い。

服は新品だし、髪は乱れちゃいけないし、
料理はきちんと整えられて湯気が出て
(CMのほとんどの湯気は合成)、箸はちゃんと持ち、
カメラは揺れてはならず、背筋はまっすぐ、
画面は明るく、希望のある絵で。

15秒しかないし、企業の看板を背負うという理由もわからいではない。
だけど、それが美しさの全てではない。

スーツをパリッと着こなしたり、
メイクが美しくなっていたり、
部屋がきれいに片付いていたり、
明るい画調だけが美しさではない。

泥だらけの中に蓮が咲く。
みっともない所に誠実さがある。
ひどい場所でも希望や優しさを失わない。
暗い夜明けに光がさす。
心の美しさは、CM的でない場所でこそ輝く。

むしろ、明るく綺麗な絵で優しさなんて描いた日には、
宗教のような嘘くささがあるではないか。

美しいということは、
クリーンでブライトな画面が表現するのではない。
クリーンでブライトな心が表現するのだ。
当然、ダーティでダークな絵にしたほうが、極端な差の表現になるだろう。

ということで、クリーンでブライトな絵作りしか要求してこない、
CMの世界に嫌気がさしている。

昔僕がお蕎麦屋さんでロケする時に、
ご主人に粋な蕎麦屋として出演願ったら、
当日パリッとしたスーツで準備していたのを見て、
そういうことじゃないんだよ、と怒りかけたことがある。



僕らが表現するのは、目に見えない心であるべきだ。
それを目に見えるものでどう表現するかが、表現なのだ。
蕎麦屋の心がスーツで表現できる訳がない。
posted by おおおかとしひこ at 11:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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