2016年03月28日

短編の方が無茶出来る

僕は初心者には短編をオススメしている。

短編の方が完結しやすく数をこなせるからだが、
実際のところ、短編がいいのは無茶が出来るからである。


たとえば整合性が甘く突っ込みどころがあっても、
一点突破さえしていれば、みんな笑って許してくれる。
「なんでそうなるんだよ!まあいいか面白いから」だ。

風魔の序盤なんかそういうことばかりだ。
深夜、30分、低予算を逆手にとり、
なでしこ少林サッカー、バックボード裏での無茶バトル、
シンクロの裏でのバトルなど、
「なんでそうなるんだよ!まあいいか面白いから」の連発だ。
(ハイブロウ過ぎて、市野さん担当回のほうが安心して見れる、
とさえ言われたものだ)
いいかい。短編の良いところは、無茶出来ることだ。

僕は市野さん担当回の序盤を見て、
平凡な深夜ドラマだなと感じた。
深夜ドラマの枠内に収まる、はみ出してない普通だと。
売りがCGとアクションで、それは以前のチームから引き継いだ、
同じことをやっていると。
(勿論、7話以降ちゃんとやって来るのは流石だ。
つまり序盤は、監督もその場に慣れてないんだよな)


それでは短編は詰まらない。

短編は無茶しろ。
無茶出来るのは短編だけだ。


長編は、短編に比べて、
論理的整合性が要求される。
リアリティーが要求される。
矛盾なき一貫性が要求される。
法律順守が要求される。
ある枠内で収めることが要求される。

そのなかでの戦いだから、
その枠組(予算)が一番要素として大きくなってしまう。

短編ならその枠組を取っ払える。
キレのある一点突破さえ出来れば、
短編に纏めることだ。
「そんなバカな!でも面白い!」となるだろう。

若い才能は、そうやって爆発させるのが一番いい。
元気だから何本も作れるだろ?
単発短編だから外れ引いても立ち直りが早いぜ。

もっと短編で無茶しろ。

古い話だが、「鉄男」は、最初の短編が一番纏まっていた。
無茶を突っ込む前に終わったからだ。

つまり、狂気が理性を凌駕する時間内に終わらせろ。
posted by おおおかとしひこ at 12:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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