目的の理由。
登場人物には目的が必要だが、
実際のところもっと必要なのは、
何故その目的があるのかだ。
「そういう人だから」で片付けないこと。
それは、感情移入を遠ざけてしまう。
感情移入をするには、
どうしてその人はその目的に至ったかという「理解」が必要だ。
事情を知るというやつだ。
説明が下手だと事情の説明に時間がかかるけど、
上手な人なら一発のエピソードで行うことが出来る。
さて、事情を理解することは、即感情移入とは限らない。
よく国や政党が「我々の意思をご理解いただいて…」なんて言ってるが、
理解したからといっても、賛成とは限らない。
その事情を理解し、賛成でなければならない。
感情移入の肝は、これかも知れない。
たとえば好きな人に片思いしていて、
ストーカー行為をしたとしよう。
これは社会的にはアウトだけど、
その人がものすごく好きで、
それしか手段のない、狂おしいくらいの思い、
という事情があるのなら、
しょうがないよね、と賛成されるはずである。
(反対するのはかわいそうだ、という同情も含まれるし、
俺もそういうことしたことある、という共感もあるかもだ)
なぜそういう目的を持つのか。
その事情を理解すること。
そしてそれに、賛成すること。
(たとえば他のアレをすればいいのに、とか、
我慢すればいいのに、などを突っ込まれるのは、
賛成されていないのだ)
それが、感情移入の中心になるのではないだろうか?
そこに共感(自分の経験と同じ)はいらない。
同情(哀れむ心)もいらない。
投影(俺みたいだ)もいらない。
あればあっただけ、有利なクラスタもいて、
そのクラスタには響き、そのクラスタが多数派ならば、
感情移入のメカニズムなしに支持される可能性は高いが、
それがなくとも感情移入は実現できる。
その目的の理由に、賛成させることで。
多くの詰まらない物語では、
「何故それをしようとするか、分からない」
(裏を返せば「何故それをしないのか、分からない」)
が頻繁に起こる。
つまり、理解も出来ないし、賛成も出来ない、
ということだ。
映画に説明が不可欠であることは、これが理由だ。
じゃああとは、
きちんと賛成の事情の構造を作ることと、
うまく説明することだ。
(最もうまい説明は、説明せずに分かること)
2016年03月31日
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