書道の練習法の話を知ったので、
前記事と合わせてタイムリーだなと思ったので議論しよう。
(ここから引用)
書道では、古典から字形や筆使いを真似て学ぶ「臨書」と呼ばれる練習法があります。
臨書には3つの方法があり、
形臨
字形を真似することに重点を置く練習。
意臨
筆意を汲みとることに重点を置く練習。
背臨
手本を見ずに記憶を頼りに書く練習。
(ここまで引用)
殆どの実写化は、形臨止まりなんだよな。
変なアレンジをしたり、勝手な解釈をすると、
意臨が失敗してるんだ。
形臨が間違ってても、意臨があってればいいんだよ。
(ちなみに僕は、パチンコ風魔は、
形臨も意臨も間違ってると思います)
ドラマ風魔の成功は、背臨が成功したことなんだ。
原作にはないことを作ることが、
原作が含んでいた空気や、世代の空気や、
原作がやろうとして出来なかったことや、
その辺を補完して含んでいるようになったからこそ、
とても上手くいったと僕は考える。
僕は原作を殆ど見ずに脚本を書いた話はしたと思う。
それは、背臨だったんだな。
自分の血肉になっている大切な原作を、
自分の体で受肉させたんだ。
背臨と意臨さえあってれば、
それは実写化として正しいんだ。
コスプレが合ってるかどうかとか、
役者のビジュアルが合ってるかどうかとかは、
形臨のレベルでしかないんだね。
そういえば形態模写は、
形よりも動きらしい。
コスプレ写真一枚が原作をいかに再現してても、
動いたらメタメタになるのはよくあるよね。
「動いた感じが原作をうまく再現している」形臨、
「原作の伝える本質的意味をうまく伝えていて、しかもノイズや濁りがない」意臨、
「原作と全く違うのに、思い出せばまるで原作と同じ感触の話」背臨、
という分類をすれば、
ドラマ風魔は、予算の関係で形臨は一部しか上手く行っていないが
(1話で脱落した人は、B級であることやホストっぽいとか言う。
形臨の話しかしてないんだよね)、
意臨や背臨が、成功しているから成功なんだよ。
翻って。
映画「キャシャーン」はどうか。
形臨:全く新しい意欲的ビジュアル。
意臨:ロボットと人間を描いて人間とは何かを問うことは、未実現。
背臨:何一つ一致しない。
映画「進撃の巨人」はどうか。
形臨:新橋の巨人と、ちゃちな合成とCG。
意臨:巨人の謎解きをしないので骨格が違う。
背臨:原作の中二病が、小二病ぐらいに後退。
映画「ガッチャマン」はどうか。
形臨:オープニング5分はキャシャーン並に頑張ったがそれまで。
意臨:はあ?
背臨:はあ?
映画「デビルマン」はどうか。
形臨:静止画までは良かったが動いたらメタメタ。
ていうか、ボブサップは何?双子は何?ごり押しキャストは何?
意臨:人間の悪魔性になにひとつ触れていない。
背臨:人間の悪魔性への絶望のラストを何故変えたのか?
まあこれぐらいにしておこう。
形臨が上手く行くかどうかは、
ぶっちゃけ予算がないとダメだ。
風魔は深夜枠予算(当時の仮面ライダー比で半分、大河ドラマ比で1/6)。
予算を決めるのは監督ではなくプロデューサーだ。
プロデューサーがいかにスポンサーを捕まえ、
現場に資金提供してビジネスとして回収できるかだ。
監督や脚本家は、その枠内でしかベストを尽くせない。
お金がなくても出来ることは、
実は意臨や背臨なのだ。
しかしそれには、実力がいるということだ。
ここは脚本を議論する場所だ。
脚本とは、まさに意臨や背臨が出来るか、ということなのである。
たとえばキャシャーンのビジュアルには、
4億かかっている。
脚本にも同じ金をかけてはどうだい。
僕は風魔の脚本監督料は、全部で300万ぐらいだったよ。
DVDが4巻売れても僕には缶コーヒー一本ぶんしか入らない。
脚本にも同じ金をかけてはどうだい。
僕は、心意気だけで、実際のギャラ以上のことをしたと思う。
普通はそれに答えて、次の仕事へステップアップが待つから、
低いギャラでも耐える。
割引は希望と引き換えだ。
脚本にも同じ金をかけてはどうだい。
たとえば「氷の微笑」の脚本料は、300万ドルだそうだ。
ハリウッドの予算規模(ちなみに4900万ドルだそうです。
脚本料は約6%。風魔は1億3000万で、俺の監督脚本料含めて2%)
と比較してもしょうがないが、
目に見えにくいものの価値を、日本人は認めたがらないよね。
それは、形臨しか分からなくて、
意臨や背臨を理解してないからじゃないかな。
2016年03月30日
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