続きの話をします。
多くの広告の仕事では、
色々言いたいし、どう言っていいか分からない1のようなものを、
2に噛み砕き、3へと昇華させることがメインの仕事なのだ。
(前回までのあらすじ:
1:最初のぐちゃぐちゃの意味
2:骨格だけ残して、意味を整理したもの
3:それらをもっと分かりやすく書き直したもの)
にも関わらず。
広告を打ちたい広告主は、
おしゃれフォントやアートワークが表現だと、
素人なりに勘違いしてしまっている。
これが問題の元凶なのである。
我々が2や3を示しても、
おしゃれフォントやアートワークの入ったガワ(これを4としよう)
を見せないと「分からない」と仰るのである。
それは、4の裏に、3や2の過程があることを読み取れないぐらいに、
素人だからだ。
4を作らせておいて(これには何千万かと数週間の時間がかかる)、
3や2の変更を言い出す人が、本当に多い。
4を見てから、自分は1ではなく、2や3を言いたかったのだ、
とあとから理解する人が、本当に多い。
4を見る前に、2や3で判断できない人が、本当に多い。
変更後のことがまた1に戻るから、
2や3を経ないで4に叩き込まれて、
4は混乱する一方だ。
全ては、1程度にしか発想のない人が、
2や3を出来ない人が、
4に手を出すことが問題なのだ。
僕は4を預かる人間として、1のような指示をされると腹が立つ。
せっかく作ったものが台無しになるからだ。
この数週間の努力が水泡に帰すからである。
それが、1の人には分からないらしい。
まだ、2や3に噛み砕き、直すことに手間賃と時間をくれるなら付き合える。
それがタダ働きさせる上に、あいつは怖いと言われることが、
納得いかない。
こういうわけで、今日も広告業界は、
2や3のプロセスがなく、混乱を来している。
みんな勉強が足りないと思う。
広告主と僕が直接話せれば、2や3の中間状態をその場で確認できるのだが、
間にいくつものレイヤーが挟まっていて、
最後に3分ぐらいしか挨拶程度に話せない現状では、
いかんともしがたい。
さて、あなたはそういう広告業界に来る必要はない。
ただし、映画業界でも似たようなことは起こる。
自分の思っていることを100%上手く言える人はいない。
だから、1から2や3を作れる人は、
あまりいないと高をくくっておいた方がいい。
むしろ、1であれば楽なほうで、
下手な2や3を出してくる輩がいたりして、
それはそれで偏向が入るんだよね。
僕はそれぞれが1を出しあうブレストからはじめて、
2や3に収斂することをきちんとやり、
それらを宣伝部だろうが末端だろうが共有しないと
(それはメールで共有するのではなく、
その場で熱を持つことでしか出来ない)、
チームとして動けないと思う。
角川は制作と宣伝が全く分離していて、
宣伝の作りたいものと制作が作りたいものが一致してないらしい。
それは「いけちゃんとぼく」の糞宣伝にもよく現れていた。
(僕はネタバレを断固拒否したが、全て無視された)
何故それをやらないか。
しんどいからだ。
自分に刃を向けられ、批判されるからだ。
そして、責任も発生するからだ。
でも、もの作りで責任を取らないなんてあり得ない。
その責任から逃げていることが、
最終の素晴らしい4を作ることを、混乱させ続けてるのではないだろうか?
僕は間に入る人が、作品をダメにし続けていると、
様々な現場で感じている。
勿論、その人が入ることで何かしらいいこともあるかも知れないし、
それを僕が知らないだけかも知れない。
でも、僕から見たらメリットよりデメリットの方が大きい。
どうしてみんな作品性を台無しにする発言しかしないのか、分からない。
一人でやったほうが面白いものが作れるのなら、
チームの意味なんてあるのか?と思うまで、僕は少し絶望している。
それぐらい、みんな2や3の議論をしない。
4の話ばかりだ。
ということで、
あなたは出来るようになろう。
どうすればいいか?
自分の作品の、他人の作品の、2や3を抽出したり、
1に戻してみたり、別の2や3をつくることで。
何が本質かを汲み取る、膨大な練習からしか、
実のところそれを訓練することは出来ない。
それはとても苦しい道だ。
だから誰もいかないし、最初から出来る人しかいかないし、
それをする人を理解できないのかも知れないね。
まあ、混乱を秩序に纏めることは難しい、
と一般論で理解するのがいいかも知れない。
創作とは、秩序からすぐ混乱に流れる世の法則を、
逆向きに進むことなんだよ。
増やすより減らす、広げるより纏める、ごちゃごちゃさせるより整理する。
自分の中でそれが出来ないと、まず意味がないぜ。
2016年03月30日
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