2016年03月31日

問題の中に、解決はある

「青い鳥」みたいなことだ。


解決が微妙な話があるとしよう。
カタルシスもなく、なるほどと膝を打つこともなく、
感動もなさそうなラスト。

そうなるときは、解決パートが悪いんじゃない。
問題パートが悪いのだ。


おそらく、問題が浅いんだよ。
もっと深く問題を示そう。

もっと深刻に、もっと複雑に、
もっと誰にもあるような問題に、
もっと感情豊かに、
もっとこじれて、
もっと人間存在の根幹を揺さぶるように。


その問題を、解決しよう。

同じ解決法では解決できまい。
もっと深い、根本的な解決が必要になる。

その深さが人を唸らせるのだ。



解決は、ある日突然どこからか湧いてくるのではない。
実は、問題の中に解決はある。

問題は、問題の中にどっぷりはまっているから難しいのであって、
客観的にそれを捉えられれば、
案外難しい問題ではなくなることのほうが多い。

我々が物語で描く問題は、
解決法が300年分からなかったゲーデルの数学的解法ではなく、
量子力学のような直観と反する問題でもなく、
神に関する人類がまだ回答を作れていない問題でも、
生命の定義に関わる問題でもない。

人間が、個人として、または集団として、
手や心で解決できる問題に限られる。

あなたが解決が思いつかなくて、
結局物語の結末が詰まらないのなら、
それは問題が悪いのだ。

その問題を、更に深く、深く、深く掘って行くこと。
必ず、人の手や、人の心で解決できる所にぶつかる。

物語は、数学や物理や哲学ではない。
問題に答えを仕込むことが出来る。
むしろ、そのように問題を作り直すことだ。


勿論、すぐに勘づかれてはならない。
しかし隠蔽し過ぎても納得が薄い。

そういうわけで、
「幸せは外にはなく、家にあった」という、
いわばどんでん返しの、
「青い鳥」は、素晴らしい解決と問題設定なのである。


解決だけを考えるな。
問題を作り直すこと。

深く深くに潜っていくと、案外シンプルなことにたどり着ける。
posted by おおおかとしひこ at 12:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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