2016年04月01日

脚本の中に色を書くべきか

嘘もつき終わったので通常運転。

映像は視覚と聴覚なので、
匂い、味覚、触覚(痛みや加速感覚、温度や湿度、肌触り)
を伝えることはできない。
だけど大抵のことは伝えられる。
そういう絵を撮ることで。

では、視覚そのもののことについてはどうだろう。
たとえば色の表現だ。


深いコントラストの映像、
赤いドレス、
光溢れるきらめく世界。

これらの視覚的映像は、
「それが意味がある」ときだけ、
脚本に書いてよい。

映像の管理は、監督とカメラマンの領分であるから、
原則それは彼らが最も自由にしやすいように書くべきだ。

だからなるべく抽象的に書くか、書かないのが望ましい。


しかし視覚的なことが、ストーリー上意味を持つのなら、
それは書くべきである。

あるいは、象徴的な色は必要かも。
赤が血の色(闘いや犠牲)を意味していたり、
緑色が自然を意味していたりなどだ。
ストーリー上それが意味のあることなら、
脚本上でも明記しておくことだ。

ただ実際問題、
脚本家よりも監督の方が映像表現に長けているため、
あまり心配しなくてもいいかもだ。


たとえば色キチガイなクレラップの世界は、
台本にも絵コンテ(モノクロ)にも描くことは出来ない。
衣装イメージや世界観のイメージを、
「レトロポップな絵本のような」と言葉にした上で、
いくつかの写真資料
(映画では「ロッタちゃんシリーズ」「アメリ」「フリーキーフライデー」、
写真集では蜷川実花など)
をひっくり返して、少しずつ作りながら作っていった。

台本にはそこまで書いてなくて、
「ラップが切りやすい事を知ったがゆえに、
色々な所に貼りまくって怒られる」大筋と、
その小ネタ集(ゴミ箱、お菓子受け、お茶の筒など)が書いてあっただけだ。

つまり、ストーリーと関係なく、あの色彩表現があるのだ。
双方の可愛さのかけ算が、相乗効果になった例だ。
僕は監督として、あの台本(いたずら)をベースに色彩表現を作った。
そこが受けたんだけど、
色彩表現だけだと、何にも残らなかっただろうね。



話が逸れた。
つまり、ストーリーと色彩表現は、全く独立の変数である。
色がストーリーに関係するときのみ、
脚本に書いておくだけでよい。

迷ったら削れ。
意味が通らない時だけ復活。
この原則で削っていくといいよ。
posted by おおおかとしひこ at 12:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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