メアリースーについては、このブログで割と深く議論していますので、
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メアリースーの何が問題なのでしょう。
精神的幼さ?
本質的だが、それが問題ではないのです。
あなた本人の成長なんて知ったことか。
作者本人が大人になっていなくても、名作はつくれる。
最大の問題は、
「メアリースーの話は面白くない」ということなのです。
メアリースーは、ご都合主義です。
ご都合主義には色んなパターンがあるので、
正確に言えばメアリースーはご都合主義の一部と言えます。
ご都合主義は、
作者の都合で、リアリティーを飛び越えておかしなことをすること、
全般をさす言葉でしょう。
「何故か重大な秘密を立ち聞きしてしまう」とかね。
(それをパロディ芸まで高めてメタ的にしたのが「家政婦は見た!」であります)
つまりそれは作者の都合だろ、おかしいぞ、ということ。
何故それが不快かというと、
せっかく作品の世界に浸っているのに、
作者が見えてしまうからです。
架空の世界に現実が侵食するから、詰まらないのです。
夢が途中で覚めてしまうから。
物語とは、それ自体で完結する夢でなければなりません。
流行りのごり押しキャスティングも、
作者(ブロデューサーや事務所や枕営業)の都合だろ、
と言われる、ご都合主義の一部でしょう。
で、本題。
メアリースーとは何か。
人は、自分に甘く、他人に厳しいものです。
しかしそれは、世間にはばれてはいけないことになっています。
それがばれてることが、メアリースーといえます。
具体的に言うと、
「なるべく苦労したくないし、何一つ努力もしないが、
何故か幸せが向こうからやってきて、願いが叶う」
ということです。
自分のことなら、なんとラッキーだと思うだろうけど、
他人のことなら、そんなわけないとうらやむし、腹が立つ。都合よすぎと。
肝はここです。
メアリースーとは、自他の区別がついていない現象のことです。
我々の扱う脚本は、三人称が基本です。
「自分」はいません。
(全編カメラ目線ならいるかもだけど、それは一般的な映画ではない)
従って、全ての登場人物は他人です。
他人であって自分ではない。
他人が、
「何もしない癖に成功する」とむかつきます。
(たとえば、可愛いだけで実力がないくせに、男の上司に引き立てられる女)
その人が調子に乗っていればなおさら。
「成功には、こんな苦労があった」
「こういう汗をかいたので、報われた」
あるいは逆にバッドエンドなら、
「あぐらをかいたので、失敗した」
「欲をかいたので、失敗した」(これはドラえもんが的確な例)
だとすると、
我々は「納得」します。
納得には理由が必要。
つまり、結果には理由があったのであり、
それは幸不幸のようなコントロール外のことではなく、
我々が理解できる理由のせいだったと、
思いたいのです。
メアリースーは、それを全てすっ飛ばします。
自他の区別がついてないので、
自分だけは苦労せずに幸せを掴みたいからです。
苦労せずにモテモテになりたい、
苦労せずに仕事を成功させたい、
苦労せずに金持ちになりたい、
人はこういうものですが、
それは自分だけで他人がそうならダメだというのです。
(あなたの子供や後輩がそう言ったら、それは通じないぞ、
世の中はそうではない、と言うでしょう? そういうこと)
結論をいいます。
汗をかいたぶん、他人は幸せになる。
(他人が幸せになったのは、汗をかいたことが報われたからだ、
良かったね)
これに反するキャラクターが、メアリースーです。
さあ。
メアリースーを指摘していきましょう。
「プレゼント」の主人公。
何故両想いなのか、ご都合主義すぎる。
(苦労した事と言えば、女物の店に入って手袋を買っただけ)
「不機嫌な田中」の主人公。
田中が、子供もいるおばさんを何故だか好きで、
何故だか可愛く嫉妬する、ご都合主義。
(苦労した事と言えば、走ってホームに行って自分の気持ちを言うだけ)
「会えるまで」の主人公。
ラストに死ぬことと引き換えではありますが、
全ての登場人物に気を使われ、愛されています。
(風邪を引いたら家族が優しくしてくれるから、
病気のふりをする子供と同じ。そういう他人がいたら?
甘えんじゃねえよ、と言いたくなるでしょう。
不幸自慢して世界の中心になりたがる女も、この心理ですね)
「ロボット・アウェイ」の主人公ロボット。
メアリースー症候群は、
「自分だけは特別扱いされたい」ことの裏返しでもあります。
単純に特別扱いされることに理由がないと不安なのか、
人外に姿を変えることがあります。
(世界を救う救世主、最強の能力者、狼とのハーフの獣人、
魂を抜かれた最強のロボット、などなど)
家出少女に何故だか愛されることがその最大の理由。
(一番汗をかく部分の、心の交流をフラッシュバックで省略していることが、
そこから逃げている証拠)
「さくらさん」の主人公も同じく。
JCの癖にロボット工学が得意で、スーパー博士の孫娘、
という特殊能力者属性です。
おまけに家政婦ロボットに世話されてばかり。
漫画っぽいのでばれにくいですが、
今一つこの主人公に感情移入できないのは、
メアリースーが原因です。
感情移入は、受動的な人より、
汗をかく人に行われ、
最後に汗をかく人より、
最初に汗をかき、その後も汗をかき続け、
最後にそれが報われる人に行われるからです。
これは長編、つまり長いことその人と付き合うからゆえの原則ですが、
短編でも原則は同じ。
勝手に幸せになるやつには、我々はあまり興味を持てない。
他人の不幸は蜜の味、
他人のラッキーや世話されてる様はムカつきの対象。
「キモヲタが何故か美女にフェラチオされて、
ニヤニヤしてる様」を見るような不快です。
ところが「実はこれは美人局である」という解説が来た瞬間、
我々はその気持ち悪い光景を見るのが快感になります。
その後訪れる不幸が楽しみになるから。
人間とは、見世物をそのように見ます。
メアリースーは、ただの他人がフェラチオされているのを見ることです。
僕が全員分の原稿を公開するのには理由があって、
応募者は、自分のメアリースーが自覚できなくても、
他人のメアリースーなら見えると踏んだからです。
他人の応募作のご都合主義的気持ち悪さを、
応募者は感じたはずです。
あなたの原稿も、他人からはそのように見えているのです。
鏡を見てわからなければ、他人のそれを見せてやる。
そういう意図があります。
「花曇」のカップルも互いに「わかってほしい」我が儘な人間で、
要するにダブルメアリースーなのですが、
話が詰まらなすぎて指摘してもどう変えようもない。
メアリースーはあなた自身。
でも、別に成長しなくてもいいです。
俺はカウンセラーじゃねえ。
あなたが汗をかいて幸せを掴もうが、宝くじを当てて幸せを掴もうが、
いつか本気だすと言いながら引きこもろうが、僕には関係ありません。
物語の主人公が、汗をかく人間でありさえすれば、あなたには興味はない。
あなた自身と主人公を同一視していては、
いつまでたっても物語は書けません。
分離することです。
さて、これまであまり触れていない作品の講評をして第一部を終え、
有段者の部、本来の添削スペシャルに入りましょうかね。
ほらさんの「石焼き芋ラリークロス」をやろうと思います。
他の作品が良くなかった理由は、
次回第一部最終回に書くとします。
2016年04月04日
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確か、どこかの監督が言ってたと思いますが、主人公は「持たざる者」であるべきだと。その人物が作品を通じて何を得るのかが物語なのだと。
何かそんなことを思い出しました!