2016年04月15日

寝てるか、寝てないか

これ意外と重要な要素なんだけど、
ちまたの脚本論で見たことない話。

夜を挟むか挟まないか。


つまり、一日で起こる話なのか、
日を跨ぐのかだ。

夜を挟まない方をオススメする。
なるべく「一日で起きたこと」にするとよい。

そうするとそこの密度が高まり、緊張が高まる。
普通一日でこんな沢山のことが起こらないだろ、
と思うほど何かが起こるのが、
「大変なことが起きる」日というものだ。
そして、それこそが非日常ということなのである。


逆に、一泊すると、一拍休みが生じてしまう。

「たっぷり寝て、明日も頑張る」がいいのか、
「緊急事態で寝てる場合じゃない」がいいのか、
ストーリーに応じて選ぶべきだ。

やっと寝れる…だがさらに珍事が!の展開ならば、
主人公の目的は、処理して安眠、になったりするね。
ダイハードは、それに近い感じで物事が進むようになっている。


ほんとかどうか知らないが、ハリウッド映画の理想は、
48時間以内に全てを終わらせることらしい。
寝てる場合じゃないんだな。
逆に、ミッドポイントなのかどこなのかで、
「家に帰って休憩する」こと事態も特殊イベントとして使うことが出来る、
利用する、という訳なのだな。


脚本添削スペシャル2016の、
「ラリー・ザ・石焼き芋」では、
寝た箇所は一回。
ばれて実家に帰られた日と、ニュースを知り救出する日の、
たった二日間しか描いていない。

つまり、寝ることを、時間経過がわりにしか使っていない。

元原稿だと、何日にも渡る話だ。
実家に帰られてから、焼き芋修行して、一回戻って、
ニュースを知り、助けに行き…と、
話がだらだら続く。

それを、二日間の話に凝縮することで、
緊張感を高め、「とんでもないことが起こっている感覚」、
つまり「非日常感」を高めているのである。


もしあなたの話が、
いまいちだらっとしているなら、
「その日に全部が起きた」としてみてはどうか。
逆にその日に全部起きすぎて、ようやくゆっくり寝れる、
という場面を作ってみてはどうか。
それが、緩急というものである。
(たとえばT2では、最初のチェイスの緊迫から、
どう休憩を入れているか、参考になるだろう)

僕はナウシカの「明日、たくさん飛ばなきゃ」という場面がとても好きだ。
寝るシーンというのは、セックスしなくたって、
気持ちを描くことが出来るのである。

逆に、ずっと寝ない、緊迫した話にマックス振り切ったのが、
「24」だね。



実際の所、
「この人はどこで寝て次の日コンディションを整えて来るのか」
を考え始めると、よく分からなくなることが多い。

ドラマ風魔の、たとえば雷電とか、竜魔とか。
風呂に入って寝間着をきて、シャツやパンツを洗濯籠に入れ、
布団かベッドに潜り込み、本とか読んだり、
寝て、夢を見たりして起きて、途中トイレに起きたり、
ケータイとかチェックして、歯磨いたり髭そったり、髪型整えたり、
朝のニュース見たり、ストレッチとかしたりして、
電車に乗り、ラインとかして、現場に次の日来ているような、
そういうリアリティーがないことがある。

そういうときは、省略してしまう。
つまり、一日で話を終わらせると良いのだ。
posted by おおおかとしひこ at 11:15| Comment(3) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。いつもブログで勉強させていただいています。
本当にありがとうございます。

澤井信一郎監督の「映画の呼吸」という本の「シナリオに対する態度」という章で、「日替わり線」という考え方が出てきます。
それによると90分から100分の映画だと、日替わりが10から13くらいがよい。一日を単位とするエピソードが10から13くらいあれば、一本のシナリオが成立すると述べています。
細切れすぎる「日替わり」の脚本はダメなものが多い、とも言っています。

大岡さんのおっしゃっていることとは違うと思いますが(たぶん短編を念頭に置いてらっしゃるのでしょうか?)
寝てる寝てないかで思い出しました。

監督業に対して述べていることが大半の本ですが、もしよろしければ、同書をお読みになってみるのも一興かと愚考いたします。

今後とも、ブログ記事でのご指導、ご啓発のほど、よろしくお願い致します。
Posted by こん at 2016年04月15日 23:17
こん様コメントありがとうございます。

「日替わり」はもはや古い習慣だと思います。
24時間営業も、オールも、夜中メールが来ることもなかった、
全員夜に寝て全員朝に起きてた、
昭和のような時代なら成立すると思いますが。

現代はそういう時間感覚ではないと思うので、
あえて寝る/寝ないを基準にしてみました。
現代なら外で36時間ぐらい寝ずに過ごすことは、
簡単に出来ますからね。

重要なのは、意識が途切れてるか/途切れてないか、
のような気がします。
(だから殴られて気絶は、日替わりに意識が近いし、
それを使ったどんでん返しもあるでしょう。
インソムニアって逆のそんな話だっけ)

その数字は現代では怪しいかなあ。
たとえば「ミッションインポッシブル」の最近は、
なんとかして一日の話にしようと編集してる気すらしますね。

昔の映画は時間がゆっくり流れてたなあ。


ということで、その本は見つけたら読んでみます。
Posted by 大岡俊彦 at 2016年04月16日 00:11
大岡様。
ご返信ありがとうございます。

なるほど、確かにそうかもしれませんね。
澤井監督はマキノ雅弘の弟子なので、良くも悪くもオーソドックス、あるいは古典的な手法の持ち主と言えるのかもしれません。

明晰なレスポンス、深謝いたします。
Posted by こん at 2016年04月16日 00:39
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