これ意外と重要な要素なんだけど、
ちまたの脚本論で見たことない話。
夜を挟むか挟まないか。
つまり、一日で起こる話なのか、
日を跨ぐのかだ。
夜を挟まない方をオススメする。
なるべく「一日で起きたこと」にするとよい。
そうするとそこの密度が高まり、緊張が高まる。
普通一日でこんな沢山のことが起こらないだろ、
と思うほど何かが起こるのが、
「大変なことが起きる」日というものだ。
そして、それこそが非日常ということなのである。
逆に、一泊すると、一拍休みが生じてしまう。
「たっぷり寝て、明日も頑張る」がいいのか、
「緊急事態で寝てる場合じゃない」がいいのか、
ストーリーに応じて選ぶべきだ。
やっと寝れる…だがさらに珍事が!の展開ならば、
主人公の目的は、処理して安眠、になったりするね。
ダイハードは、それに近い感じで物事が進むようになっている。
ほんとかどうか知らないが、ハリウッド映画の理想は、
48時間以内に全てを終わらせることらしい。
寝てる場合じゃないんだな。
逆に、ミッドポイントなのかどこなのかで、
「家に帰って休憩する」こと事態も特殊イベントとして使うことが出来る、
利用する、という訳なのだな。
脚本添削スペシャル2016の、
「ラリー・ザ・石焼き芋」では、
寝た箇所は一回。
ばれて実家に帰られた日と、ニュースを知り救出する日の、
たった二日間しか描いていない。
つまり、寝ることを、時間経過がわりにしか使っていない。
元原稿だと、何日にも渡る話だ。
実家に帰られてから、焼き芋修行して、一回戻って、
ニュースを知り、助けに行き…と、
話がだらだら続く。
それを、二日間の話に凝縮することで、
緊張感を高め、「とんでもないことが起こっている感覚」、
つまり「非日常感」を高めているのである。
もしあなたの話が、
いまいちだらっとしているなら、
「その日に全部が起きた」としてみてはどうか。
逆にその日に全部起きすぎて、ようやくゆっくり寝れる、
という場面を作ってみてはどうか。
それが、緩急というものである。
(たとえばT2では、最初のチェイスの緊迫から、
どう休憩を入れているか、参考になるだろう)
僕はナウシカの「明日、たくさん飛ばなきゃ」という場面がとても好きだ。
寝るシーンというのは、セックスしなくたって、
気持ちを描くことが出来るのである。
逆に、ずっと寝ない、緊迫した話にマックス振り切ったのが、
「24」だね。
実際の所、
「この人はどこで寝て次の日コンディションを整えて来るのか」
を考え始めると、よく分からなくなることが多い。
ドラマ風魔の、たとえば雷電とか、竜魔とか。
風呂に入って寝間着をきて、シャツやパンツを洗濯籠に入れ、
布団かベッドに潜り込み、本とか読んだり、
寝て、夢を見たりして起きて、途中トイレに起きたり、
ケータイとかチェックして、歯磨いたり髭そったり、髪型整えたり、
朝のニュース見たり、ストレッチとかしたりして、
電車に乗り、ラインとかして、現場に次の日来ているような、
そういうリアリティーがないことがある。
そういうときは、省略してしまう。
つまり、一日で話を終わらせると良いのだ。
2016年04月15日
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本当にありがとうございます。
澤井信一郎監督の「映画の呼吸」という本の「シナリオに対する態度」という章で、「日替わり線」という考え方が出てきます。
それによると90分から100分の映画だと、日替わりが10から13くらいがよい。一日を単位とするエピソードが10から13くらいあれば、一本のシナリオが成立すると述べています。
細切れすぎる「日替わり」の脚本はダメなものが多い、とも言っています。
大岡さんのおっしゃっていることとは違うと思いますが(たぶん短編を念頭に置いてらっしゃるのでしょうか?)
寝てる寝てないかで思い出しました。
監督業に対して述べていることが大半の本ですが、もしよろしければ、同書をお読みになってみるのも一興かと愚考いたします。
今後とも、ブログ記事でのご指導、ご啓発のほど、よろしくお願い致します。
「日替わり」はもはや古い習慣だと思います。
24時間営業も、オールも、夜中メールが来ることもなかった、
全員夜に寝て全員朝に起きてた、
昭和のような時代なら成立すると思いますが。
現代はそういう時間感覚ではないと思うので、
あえて寝る/寝ないを基準にしてみました。
現代なら外で36時間ぐらい寝ずに過ごすことは、
簡単に出来ますからね。
重要なのは、意識が途切れてるか/途切れてないか、
のような気がします。
(だから殴られて気絶は、日替わりに意識が近いし、
それを使ったどんでん返しもあるでしょう。
インソムニアって逆のそんな話だっけ)
その数字は現代では怪しいかなあ。
たとえば「ミッションインポッシブル」の最近は、
なんとかして一日の話にしようと編集してる気すらしますね。
昔の映画は時間がゆっくり流れてたなあ。
ということで、その本は見つけたら読んでみます。
ご返信ありがとうございます。
なるほど、確かにそうかもしれませんね。
澤井監督はマキノ雅弘の弟子なので、良くも悪くもオーソドックス、あるいは古典的な手法の持ち主と言えるのかもしれません。
明晰なレスポンス、深謝いたします。