ガワと中身の話は、わりと僕はいつもしてます。
大体ガワばっかで、中身がないよねと。
ガワと中身とは何か。
試しにリライト版で考えてみます。
さて、構造は、機能でした。
何を残すかというと、機能する部分であり、
機能してない所は捨てて、
残った所だけでworkするようにすれば、
物語は出来るのであります。
そして、その機能さえ同一ならば、
ガワを取り替えることが可能です。
ためしに、
「元ラリーのコ・ドライバー」という、
一見根幹とも言える設定を変えてみましょう。
たとえば、
「元複座の戦闘機乗りの軍人」
「元卓球のダブルス選手」
「元出初め式の梯子を持つ人」
にしてみましょう。
これで話の中身は変わる?
いいえ。
どちらにせよ、
「過去、自分が予定を変更して事故を起こしてしまい、
二人とも大怪我をして引退、家族を食わせる為、現在石焼き芋屋」
という話は変わりません。
「それは妻に対しても同じだった。
つまり自分は勝手に一人で決めてしまう欠点があったのだ。
その事を妻に謝らねば」
という根幹も何ら変わりません。
それは、「雪原をキャタピラーで越えるとき、
過去がフラッシュバックすることで気づく」
というドラマも同じに出来ます。
つまり、ラリー、戦闘機、卓球、出初め式は、
交換可能なガワです。
「二人で協力する必要があり、
一人で勝手に変えたら問題が起こり、
それによって命に関わる事故がおき、
引退せざるを得ないこと」
であれば、何でもいいはずです。
ためしに。
「石焼き芋屋」はガワとして交換可能でしょうか。
「雪原を行くステキな装置というビジュアル」、
「差し入れすることで中に潜入」、
「焼き石が割れる」、
という機能さえあれば、何でもよい。
沢山思いつかないけど、
「たこ焼き屋」ならなんとかなるかもです。
焼き石が割れるのを「爆弾(ウズラ入りのたこ焼きで、
電子レンジに入れたら破裂しやすい)」に読み替え、
暖炉じゃなくて電子レンジにすればいけそうですね。
つまり、
「元戦闘機乗りが、たこ焼き屋になる」という、
まるで違ったガワに、この話は書き換えることが可能です。
ここから重要な話です。
あなたは、ガワに囚われていませんか?
つまり、世の中の話を、
戦闘機かラリーか卓球かたこ焼きかで見ていて、
「自分勝手を反省する」か「トラウマを克服」かで
見ようとしてないのではないですか?
これが、話をガワで見て、中身で見ていないということです。
見た目でしか見ていない、話を見ていないということ。
卓球は詰まらないから詰まらない。
戦闘機だったら何でも面白いから面白い。
二輪派で四輪はどうでもいいから、ラリーは詰まらない。
大阪嫌いだから、たこ焼きは詰まらない。
そういう見方をしていやしませんかね。
戦闘機だろうが出初め式だろうが、
たこ焼きだろうがじゃんけんだろうが、
同じ話(中身)にも関わらず。
実はこれは、我々の感情移入の仕組みと似ています。
我々は、自分と関係ない他人、共感できない人に感情移入できます。
それは、ガワとは関係ない、
中身の部分で、我々と共通のものを発見するからです。
黒人が嫌いだからアフリカ黒人の話は感情移入できないか?
いや、その男が自分勝手に気づいて反省する話なら、
我々はサトルと同じく感情移入可能でしょう。
ガワは関係ない。中身です。
私たち脚本家は、中身を書く人です。
ガワは、機能さえ果たせば交換可能です。
元ガンタンクのパイロットが石焼き芋屋になるアニメを作っても、
この話と同じ中身なのです。
僕が常々ペプシ桃太郎を糞だというのは、
テーマを語る構造もなく、
にも関わらず「自分より強いやつを倒せ」とメッセージだけ言い、
衣装やロケや音楽などのガワだけがオシャレな(制作費3億)、
中身がスカスカのものだからです。
ガワをもう少し専門的にいうと、モチーフといいます。
中身は同じでも、モチーフだけ交換可能なことは多々あります。
戦闘機と出初め式のように。
ようやく本題。
あなたは、中身を先に作り、
最も適切なモチーフを、沢山の候補から選ぶ、
という作り方をしてますか?
「自分勝手をあやまる」という話を、
ラリーでやろうか、出初め式でやろうか、戦闘機かガンタンクだな、
などと考えることをせず、逆にやってませんか?
好きなモチーフ、よく知っているモチーフ、
思いついた或いは執着のあるモチーフ、
たとえば、
ロボット、未来的世界観、子供アニメ、宇宙船、
告白やプロポーズ、最強のお手伝いロボ、
電子部品の職場や死んだ夫を探してさまよう老婆、
などから先に作ってませんか?
勿論、モチーフのほうが中身より思いつくのは簡単です。
仮にそれで考え始めたとして、
こういう中身が作れるだろう、
という所まで考えたら、
そのモチーフが果たしてベストか、
別のモチーフに交換可能か、考えるのです。
そしてより面白いモチーフに交換し、
そのモチーフならではの要素を中身に足し、
中身とガワの、ベストの関係を作り上げていくのです。
最初にモチーフに執着があると、
これを捨てることは困難です。
どうしてもロボットが書きたいと思ったら、
「これを黒人に置き換えられないの?」と問われたら、
「無理」というしかないでしょう。
そうではなく、中身が先にあれば、
ロボットだろうが黒人だろうが交換可能かどうか、判断できるでしょう。
あなたは何が書きたい?
それは、ガワでなく、中身である必要があります。
ガワを書きたいなら、絵描きやデザイナーになればよろしい。
脚本家になりたいのなら、
「Aな主人公がBに出会いCする」を書きたいことにしなさい。
おそらくですが、
ほらさんは、ラリーと石焼き芋のビジュアルの組み合わせを、
最初にモチーフとして思いついてしまったのでしょう。
あとは逆算で作ったけど、
逆算しきれなかった。
「離婚を回避するのに、モチーフを利用する」まで、
考えきれなかったのでしょう。
他の人たちも同じく。
寒い日の手袋やクリスマス会への執着、
コメディ風の職場(僕はアフロ田中の世界を想像してましたが)、
買い物シーンや結婚式場への執着、
子供を助けることへの執着、
ロボットやお手伝いロボや百万回生きた猫に対する執着、
花曇やラテアートへの執着。
モチーフありきで話を作るから、
話の柔軟性を失い、書き直すことが出来ないのです。
脚本は、中身です。
ガワは、取り替えられます。
そういうものを、作って下さい。
ガワと中身の区別をする目を、養ってください。
レギュラーであるほらさんへ。
ほらさんの作風が見えてきました。
ヒーローものやアクションものの、ハリウッド映画が好きな人なのでしょう。
これを一度封印してみて下さい。
たとえばコメディ、犯罪もの、難病もの、ラブストーリー、
ホラー、優しい世界、子供向けなど、
書いたことないジャンルを、次に作ってみて下さい。
同じ人とばかり組み手すると、その人特化になって弱くなります。
強いやつは、百人組み手をしてるやつです。
ヤリチン最強。
僕は昔からヒーローものがやりたかったのですが、
ずっと別のジャンルを書いてきました。
その時の経験が、ようやくオリジナルヒーロー「てんぐ探偵」を書くときの、
バラエティーの豊かさに寄与しています。
僕の憧れは、作るたびに作風を変え、
そのたびにマスターピースを作り出した、スタンリーキューブリックだったりします。
ある意味手塚も、そうですね。
さて、長々とお付き合いありがとうございました。
大体言いたいことは書いたので、
今年の脚本添削スペシャル、これにておしまい。
ここで挫折したらラスト作品はこれですが、
次を書けばもっと良くなるでしょう。
その次はもっと良くなる。
そうやってちょっとずつ上手くなれば、
代表作は次回作と言った、チャップリンの気持ちが分かるかも知れません。
next oneを、来年待つことにします。
ドントハレ。
2016年04月12日
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添削作品に選ばれてまさに妖怪てんぐが取り憑いていましたが、
回を追うごとに元作品の穴が明かされて行き、今ではまた
反省とやる気が混在した、しかし悪くない気分です。
武器や好みを封印して冷静につくったときの方が、
客観的に見ていいものが書けそうな気もしてきましたし、
引き続き精進します!ありがとうございました!
お腹いっぱいでいつ消化できるのかわかりませんが……。
抱えきれないほどの(脚本への)愛情を見せていただき、自分の立ち位置の低さに愕然とする毎日でした。
楽しかったです(「ドMかお前は!?」「はい、満足のMです」)。
で、劣等生でごめんなさい、ひとつだけ教えてください。
「Aな主人公がDする話」の「絵になる動詞」とはどんなものですか?
脚本添削、お疲れ様でした!
全編通してかなり濃くて、お金を取っても良い内容だと思います。
それなのに無料添削、無料公開とは、大岡さんの志に感服いたします。
とても良い勉強になりました。
ありがとうございました!
ケルベロス
走る、殴る、扉をあける、判子を押す、壊す、破る、座る、立つ、踊る、肩を組む、キスする、ボタンを押す、乗る、降りる、去るなどなど。
映画は元々サイレント映画でした。
パントマイムで感情を表現する、とても原始的なお芝居を考えてください。
絵にならない動詞:
見る、思う、感じる、分かる、内に秘める、考えを変える、俯く、仰ぐ、どういう顔をしていいか分からない、など、内側のことの動詞。
微妙な動詞:
笑う、泣く、微笑む、苦笑いする、ウインク、などアップでしか捉えられないもの。
小説では、どの動詞もたいして違いはなく、饒舌に書ければ何でも良いでしょう。
映画における饒舌さは、カメラで撮ったときに饒舌なものです。(とくに外人は全身でオーバーアクションすることを、アクトといいます)
我々は、カメラの前で何をするかを書くのです。