ようやく通常運転。長かったなあ添削スペシャル。
たまに忘れてないか?
我々の書くものは、口で言い、体で表現されるものだと言うことを。
自分の書いた台詞、台詞のやり取りを、
口に出してみよう。
口から出たものを、文字に直そう。
音と文字をいったり来たりして、
言文一致の「手」をつくること。
あなたの書いた台詞が、口に出して陳腐なら、
あなたは手や頭が、音を書いているということが出来てない。
ト書きも同じだ。
あなたの書いたト書きを、
あなたの体で演じてみるがいい。
ずっと座ってばっかりいないか?(板付き)
外に見せて分かることをやってるか?
(一人称と三人称の混同。
たとえば「好きになる」は一人称。他人からみて不明。
「思わず目で追ってしまう」は三人称)
あなたの体で演じるのを、
全身鏡で映してみたり、
カメラ(iPhoneはかなりいいよね)で撮ってみるといい。
最もいいのは、誰かにやってもらうこと。
他人を見るのが三人称である。
我々の書く文字が、最終的に体の動作になることも、
体得しておくべきだ。
とすればだ。
口に出していいもの、体でやりやすいものを、
字で書くのは当然ではないか。
我々の仕事は字がフィニッシュではない。
口に出されたり、体の動きの表現がフィニッシュだ。
台本てそういうことだよね。
机に向かったりパソコンの前にずっといると、
それを忘れがちである。
時々一人で演じてみたりすることは、それを忘れないようにさせる。
僕がよくやるのは、人混みのベンチで書くことだ。
目の前にいる人を動かす想像をしたり、
想像上の人間をそこに置き、
言ったりしたりすることを想像して、
それを書き留めるようにする。
なんなら、アドリブをしたまえ。
先に口で言い、体を動かしたまえ。
あとはそれを文字おこししとけばOKだ。
手と頭と、口と体を、連動させよ。
別々にしてはならない。
脚本家とは、それらがバラバラでない者のことである。
極論しよう。
芝居の下手なやつは、脚本家にはなれない。
ちなみに、
作品置き場カテゴリに、
「多分、大丈夫」の台本と、上がった映像を置いといた。
(ちなみに脚本添削スペシャルの課題と同様、15分だ。
撮影可能な範囲に納めている、予算に優しい台本)
まず台本だけを黙読して頭に入れよ。
次に口に出し、体で演じてみよ。
二人分同時にやり、そのあと一人分ずつ演じてみよ。
そのあと、川久保や平沼がやった芝居を見てみよ。
最後に、手書きで脚本を書きうつせ(打ち文字禁止)。
それぞれの言葉がどうフィニッシュと連動したか、
一字一句、手で理解するとよい。
手、頭、口、体の全てが一体の感覚が、
少しは分かるだろう。
2016年04月13日
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