2016年04月13日

手や頭を、口や体と連動させる

ようやく通常運転。長かったなあ添削スペシャル。


たまに忘れてないか?
我々の書くものは、口で言い、体で表現されるものだと言うことを。


自分の書いた台詞、台詞のやり取りを、
口に出してみよう。
口から出たものを、文字に直そう。
音と文字をいったり来たりして、
言文一致の「手」をつくること。

あなたの書いた台詞が、口に出して陳腐なら、
あなたは手や頭が、音を書いているということが出来てない。


ト書きも同じだ。

あなたの書いたト書きを、
あなたの体で演じてみるがいい。
ずっと座ってばっかりいないか?(板付き)
外に見せて分かることをやってるか?
(一人称と三人称の混同。
たとえば「好きになる」は一人称。他人からみて不明。
「思わず目で追ってしまう」は三人称)

あなたの体で演じるのを、
全身鏡で映してみたり、
カメラ(iPhoneはかなりいいよね)で撮ってみるといい。
最もいいのは、誰かにやってもらうこと。
他人を見るのが三人称である。

我々の書く文字が、最終的に体の動作になることも、
体得しておくべきだ。


とすればだ。
口に出していいもの、体でやりやすいものを、
字で書くのは当然ではないか。

我々の仕事は字がフィニッシュではない。
口に出されたり、体の動きの表現がフィニッシュだ。
台本てそういうことだよね。


机に向かったりパソコンの前にずっといると、
それを忘れがちである。
時々一人で演じてみたりすることは、それを忘れないようにさせる。

僕がよくやるのは、人混みのベンチで書くことだ。
目の前にいる人を動かす想像をしたり、
想像上の人間をそこに置き、
言ったりしたりすることを想像して、
それを書き留めるようにする。


なんなら、アドリブをしたまえ。
先に口で言い、体を動かしたまえ。
あとはそれを文字おこししとけばOKだ。

手と頭と、口と体を、連動させよ。
別々にしてはならない。
脚本家とは、それらがバラバラでない者のことである。

極論しよう。
芝居の下手なやつは、脚本家にはなれない。




ちなみに、
作品置き場カテゴリに、
「多分、大丈夫」の台本と、上がった映像を置いといた。
(ちなみに脚本添削スペシャルの課題と同様、15分だ。
撮影可能な範囲に納めている、予算に優しい台本)

まず台本だけを黙読して頭に入れよ。
次に口に出し、体で演じてみよ。
二人分同時にやり、そのあと一人分ずつ演じてみよ。
そのあと、川久保や平沼がやった芝居を見てみよ。

最後に、手書きで脚本を書きうつせ(打ち文字禁止)。
それぞれの言葉がどうフィニッシュと連動したか、
一字一句、手で理解するとよい。

手、頭、口、体の全てが一体の感覚が、
少しは分かるだろう。
posted by おおおかとしひこ at 13:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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