2016年04月16日

寝てるか、寝てないか2

追記してみる。

要するに、一回寝てしまうと、
「焦点の火急さ」が失われるのである。


仕事のことでもいいし、勉強のことでもいい。
「明日にまわして、今日は寝よう」としたとき、
明日にまわしたものは、
さして緊急性がないものであるはずだ。
もし緊急ならば、徹夜してでもやらなければならないはずだ。
(仕事なら締め切りや納品前、勉強なら試験前など)

つまり、テスト前の緊急状態のようなものが、
映画における焦点の正体なのである。


シナリオを執筆していて、
この判断は実は話の勢いを寸断するかどうかの、
瀬戸際になりうるのである。

こういう経験はないだろうか。

じゃあまた明日続きをやろうと、別れる二人。
次の日。と次の日を書き始めるのだが、
続きをやる気があんまりしなくて、
うまく続きを書き始められない、
というようなこと。

何故か。
一回寝てしまい、焦点の火急性が落ちたからである。

そういうときは次の日に行かないことだ。

A「じゃあまた明日続きをやろう」
B「そうだな。じゃ」
C「オーイ待って!納品日が一週間前倒しだ!」
AB「ええ!じゃあ帰れない!」

とこの焦点を持続したまま、
寝させないようにすることである。

すると、無理矢理にでも話を進めなくてはならず、
一回休む弛緩のないまま、
緊張がより増した状態で、
話を続けることが出来るのだ。
なんならそのまま泊まり込みになってしまい、
家へ帰れず、夜中に別の事件が起きて話がややこしくなる、
という展開にでも繋ぐことが出来、
益々緊急状態は複雑になってゆくはずだ。

それもこれも、下手に寝てテンションを下げなかったことによって、
生まれるのである。


勿論、緊張のあとは弛緩をするべきだし、
弛緩のあとは緊張をすべきだ。

しかし、見ている側の緊張弛緩と、
話の都合上の日付変更線は一致しないことの方が多い。

従って、こちらの都合で寝たり寝なかったりを、
作り出して、
見ている側の緊張弛緩を、コントロールすればいいのである。

全ては観客の呼吸をコントロールするためである。
リアリティー?
そんなもん、コントロールすることを最大目的にして、
うまいことリアルな言い訳を探せばいいだけだ。
(それが下手なのがご都合主義なだけである)



寝たら死ぬ。
ワクワクがだ。

寝て起きたら、昨日の計画と全然違うことが起きてた!
というターニングポイントがない限り、
寝させるな。

日を跨がせたり、寝させたりするのは、
大抵未熟な書き手が、自分の作った緊張感に耐えられず、
一休みしたくなるときである。
観客は、あなたの疲労のことなどどうでもいい。
むしろ、映画を見て、緊張しまくって疲労したいのだよ?
あなたが一番タフで、観客をコントロールしなくてどうするのだ。


試しに、24時間寝られない男の話を考えてみるといい。
(単純に締め切りを設定するだけでもいい)
24時間緊張が持続し、終わったら寝られるという設定のものを。

緊張の持続、焦点の持続、ターニングポイントによる焦点の変更で、
さらに緊張を増していくことが、
どれだけ難しく、
寝ることで手を抜いていたかが分かるはずである。


そこでその焦点を切っていいのか?
寝させる前に考えるべし。
(幸い、現代では眠らない都会がある。
たとえば「ビフォアサンライズ」なんて、わずか一日未満の緊張した話だぜ)

映画は、基本、話はどんどんややこしくなる。
寝て起きたら、話が簡単になっていることは、ない。
posted by おおおかとしひこ at 03:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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