話は、徐々に複雑になっていかなければならない。
それは、徐々に簡単になっていったら後半が詰まらないからだ。
長編物語というのは、
最初は簡単な問題に見えたのだが、
奥へいけばいくほど、
広大で複雑な問題があったのだと分かるような、
展開が普通である。
その折々を、コンプレックス(複雑化)ポイントという。
コンプレックスポイントは、
ターニングポイントの一種である。
新たな事実が分かったり、
あることの結果が出たり、
別の事件が起こったり、
あるいは何かと何かが結びついたりして、
話が次のフェーズへ進む展開点のことだ。
普通は、問題は簡単にならない。
余計複雑になる。
一見簡単に終わると踏んだことが、
徐々にややこしくなる。
あちらを立てればこちらが立たず、
という事態になり、
全てを一気に解決させない限り、
にっちもさっちもいかない問題へ巨大化していくものである。
そうでなければ物語は面白くない。
大学レベルの問題からはじまり、
小学生レベルにグレードダウンしていく展開などない。
(あったら多分詰まらない)
逆である。
話はどんどん急になり、
複雑になり、
困難にならなければならない。
何故なら、そうじゃないと飽きるからだ。
初心者の脚本は、コンプレックスポイントがないことが多い。
一個をクリアすれば終わりの、
「落下する夕方」テンプレになりがちだ。
最初の問題解決への踏み出しは、
第一ターニングポイントである(開始1/4程度)から、
残りは全て、行動を何度も起こさなければならない。
それは問題を一発で解決するのではなく、
解決すればするほど、
より問題は複雑になり、
さらに難易度が増して行く、
コンプレックスポイントが何度もあるということだ。
(シド・フィールドの経験値によれば、
中盤の障害は4つ、という予言があるが、
少なくとも4回はコンプレックスポイントがあるということだ)
先日の脚本添削スペシャルでは、
元原稿から書き直すときに、
中盤にコンプレックスポイントを配置している。
「大雪で国道が渋滞していて、雪原ならショートカット出来ると気づく」
ところである。
このため、
「単騎事件現場に乗り込んだとして何も出来る訳はないのだが、
警察特殊部隊をショートカットさせれば、事件解決を早められる。
だがそれには、警察の説得、雪原ごえという、
更なる困難が待ち受けている」
という文脈になるわけだ。
もともと、雪原ごえが最難関であるのだから、
その前に四天王の最弱をひとつ仕込み、
問題を徐々に複雑にしていくように仕組んだというわけだ。
実際には、さらにラスボスの犯人逮捕、
さらに本命の嫁の説得という、
次々に複雑で困難な壁を越えなければいけないのだが。
つまりこうやって、壁はどんどん高くならなければならない。
一難去ってまた一難。
それは、どんどん困難でなければ、
話は面白くならないのだ。
(また元原稿を見れば分かるが、
実は元原稿では雪原ごえという試練ひとつしかなく、
どんどん困難になってゆく訳ではないのである)
やった、一個クリア、しかし難易度アップ、
というゲーム的に考えてもいいし、
もっと現実に即して、複雑になってゆくように考えてもいい。
いずれにせよ、その境目をコンプレックスポイントと言うだけの話だ。
逆に全体から見ると、
コンプレックスポイントを減らすと全体の尺を短く出来る。
コンプレックスポイントを増やすと、長く出来る。
問題とそのクリアの調整は、
なんだかゲームバランスを整えるゲームデザイナーのようではある。
今回のリライトが時間がかかったのは、
要するにこの問題の複雑化をきちんと計算して、
なおかつラストの解決に、
嫁とのことと石焼き芋のことを融合させなければ意味がないことを、
思いつくのに時間がかかったからである。
毎度毎度思いつくのか?
思いつかないなら、
問題ごと変えてしまえばいい。
雪原ごえを外すことだってあり得るし、
嫁との離婚危機をなくしてラブラブにすることだってあり得る。
(たとえば同窓会に帰郷と設定してもいい)
こうやって、
問題を考え、複雑化を考え、
それを一気に解決するクライマックスを考え、
それがテーマに落ちるように、
考えるのである。
コンプレックスポイントのない脚本は、
「落下する夕方」テンプレの、ダメ脚本だ、
ととりあえず断言することにしよう。
まあ無理矢理二時間を書いてみれば、
中盤にすることがないから、
センタークエスチョンのサブ問題を無理矢理作って、
「間を埋める」ということをすることはよくある。
それの下手くそな例を、糞実写「進撃の巨人」で見ることが可能だ。
「壁を爆破する」という最終目標(センタークエスチョン)
に対して、
何故だか途中で夜営して、
何故だか赤ちゃん巨人に襲われるという、
「引き延ばし」のポイントが存在する。
あれなくていきなり壁にたどり着いても、
話は通じてしまう。
つまり、問題の複雑化がとても下手くそな、
ストーリーライン設計だと言うことだ。
コメディの場合、
大抵コンプレックスポイントは、
「意外な方向」に進むことで達成される。
古い例だが「ゴースト/ニューヨークの幻」では、
幽霊になった主人公が彼女に真実を伝えるには、
「霊媒師に降霊しなければいけなくなり」、
なおかつ「その霊媒師は酷いキャラで犯罪歴多数」という、
複雑化した問題を越えなければならなくなる。
その酷いキャラをウーピーゴールドバーグが好演し、
この映画は傑作の仲間入りをした。
大抵コメディでは、「なんでだよ!」という方向にコンプレックスポイントが設定される。
それが映画自体の面白さに直結する。
問題は複雑化する。困難化する。
観客にとってはより面白そうな方向へ。
主人公にとっては一層困難な方向へ。
三人称である映画は、他人の困惑ぶりを楽しみ、
それを見事に解決するのを楽しむ娯楽形式である。
これを一人称と間違えるから、
自分が困難になるのが嫌で、
コンプレックスポイントを設定するなんて、
マゾなことをしたがらないのである。
むしろ、コンプレックスポイントを設定するのは、
サドだよね。
2016年04月16日
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