2016年04月17日

フォーム

「話をすること」は、人間のやる、アナログのことである。
つまり、スポーツと共通点がある(こともある)。

今回はフォームの話。


たとえば水泳を例に。

フォームの汚い人は、泳ぐのが遅い。
バタバタと余計なエネルギーを使って、
ちっとも進まない。

うまい人は、フォームがきれいだ。
最小のエネルギーしか使わず、
前へきれいに進むし、長いこと泳げる。


話作りもこれに似ている。

余計な所にエネルギーを使う人は、
無駄なことばかりして、
話があっちこっちにいき、
焦点が絞れず、
そのうち息切れして、
途切れ途切れの継ぎはぎの話になる。

うまい人は、最初からそうであったかのように、
スムーズに滑り出し、
抵抗なくスッと説明が頭に入り、
無駄なく話を進め、
気持ちよく最後まで乗れる。

その差は何だろう。


僕は、話にはフォームがあると思う。
一種類かどうかは不明だけど、
うまい人は一種のパターンがあるような気がする。
(起承転結とか三幕構造とか序破急よりも、もっとミクロな構造で)

ちなみに、水泳のフォームはどうやって身につけるのだろう。
1. いい見本を見る。
2. 実際に水の抵抗を受け、苦労しながら無駄な部分が淘汰される。
3. 見本と自分を見比べ、近づけるようにする。

これしかないと思う。

話作りも同じだろう。
1. いい見本を見る。
2. 実際に話作りの辛さや、詰まらなかったという抵抗を受け、
苦労しながら無駄な部分が淘汰される。
3. 見本と自分を見比べ、近づけるようにする。

水泳は、何メートル泳げばフォームは安定してくるか。
話作りは、何ページ書けばフォームは安定してくるか。
平均があるかも知れないし、人によるかも知れない。

ただ確実なのは、「それをしながらフォーム矯正は出来ない」ということだ。
それをしないとき、それから離れて、
色々なことを考えて、工夫して、フィードバックを得ないと、
フォームはいつまで経っても無駄ばかりだろう。

つまり、水泳は丘に着いてからがフォームを考えるチャンスであり、
話作りは、落ちまで書き終えてからが、フォームを考えるチャンスである。

僕が5分でいいから数を書けと常々言うのは、
このサイクルを何回も回せ、ということを言っている。
前ふり、展開、落ち、
前ふり、展開、落ち、
前ふり、展開、落ち。
これを何度も何度もやっているうちに、
話作りそのものが、洗練されてくる。
うまい人の水泳のフォームのように。
(基準は100本、ととりあえずしている)


たとえば、脚本添削スペシャルのほらさんの三本を俯瞰してみよう。

最初は、無駄なところにパワーを使ってばかりだった。
フォーマットは滅茶苦茶だったし、
ト書きも分かりにくかった。
ドラマには無駄が多く(おりょうとか、主人公が何をしたいか分からなかったり)、
その代わり芯が希薄だった。

次は、多少ましになったが、
肝心の「家庭教師と喧嘩を互いに教えあう」から逃げたり、
大学合格や卒業式なんて無駄もあった。

今年のラリーでは、
過去と現在を結ぼうとする所までは出来ていたし、
ビジュアルアイデアもあったけど、
「石焼き芋屋になる」という無駄なパートに力を使っていた。
(その代わり芯を中心に物事を膨らませるまで、
エネルギーが使えていない)

少しずつではあるけど、フォームがましになってきている。
つまり、無駄な所にエネルギーを注がない代わりに、
一番大事な所にエネルギーを集中させるようになってきている。

数をやることには、こういう意味がある。
洗練、淘汰が起こる。
そのうち、この話には何が本質的で、
何が脇筋なのかを、書く前から見極められるようになり、
力の配分が出来るようになるはずである。


同じ話を何度も書き直したほうが効率がいいか、
別の話をバラバラに沢山書いたほうが効率がいいか、
僕にはちょっと分からない。
両方やっときな、それも数のうち、ぐらいしかアドバイス出来ない。



きれいに泳げるフォームの人は、
同じ体力でも、
より遠く、より速く、より余裕をもって、
泳ぐことが出来る。

きれいに話が作れる人は、
同じ才能でも、
より面白く、より沢山の、より余裕をもって、
より本質的な、
話を作ることが出来るだろう。



僕の話でいえば、
僕は小説などまるで書いたことがなかったのだが、
がむしゃらに書いているうちに、
なんとなく泳ぎ方が分かってきた感じだ。
抵抗を受けて、フォームが出来てきたのだね。
今「てんぐ探偵」のフルリライトに挑んでいるのだが、
既に31話まで終え、フォームが洗練されてきたように思う。
やっぱり初期の頃は、フォームが下手だったのも良くわかる。
(なので、初期話ばかり書き直して中々進まない)


数をやることは、苦しい。

ダッシュ10本3セット、みたいな苦しさだ。
でもそれをやらないと、
フォームは出来ないんだよ。

出来たら、楽になってくる。

殆どの人が話作りを辞めていくのは、
この苦しさに耐えられず、
フォームが出来る前に辞めていくのだと思う。



あなたは、話をするのが上手かな?
下手だとしたら、
そしてそれでもストーリーを語りたいのだとしたら、
水泳のフォームがきれいになるぐらいの、
数の練習がいるよ。


それは他の習い事でも同じだよね。
ギターとか、将棋とか、勉強とか、仕事のこととか。
脚本だけが、何か飛び級のことがあると考えるほうがおかしいよ。


と、いうことで、
毎日コツコツやって、
少しずつフォームを作っていくしかないんだよな。

水泳と違うのは、
お話は、常に違う新しいものを作らなきゃいけない所だね。
水泳どころか、もっと難易度たけえわ。
posted by おおおかとしひこ at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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