「話をすること」は、人間のやる、アナログのことである。
つまり、スポーツと共通点がある(こともある)。
今回はフォームの話。
たとえば水泳を例に。
フォームの汚い人は、泳ぐのが遅い。
バタバタと余計なエネルギーを使って、
ちっとも進まない。
うまい人は、フォームがきれいだ。
最小のエネルギーしか使わず、
前へきれいに進むし、長いこと泳げる。
話作りもこれに似ている。
余計な所にエネルギーを使う人は、
無駄なことばかりして、
話があっちこっちにいき、
焦点が絞れず、
そのうち息切れして、
途切れ途切れの継ぎはぎの話になる。
うまい人は、最初からそうであったかのように、
スムーズに滑り出し、
抵抗なくスッと説明が頭に入り、
無駄なく話を進め、
気持ちよく最後まで乗れる。
その差は何だろう。
僕は、話にはフォームがあると思う。
一種類かどうかは不明だけど、
うまい人は一種のパターンがあるような気がする。
(起承転結とか三幕構造とか序破急よりも、もっとミクロな構造で)
ちなみに、水泳のフォームはどうやって身につけるのだろう。
1. いい見本を見る。
2. 実際に水の抵抗を受け、苦労しながら無駄な部分が淘汰される。
3. 見本と自分を見比べ、近づけるようにする。
これしかないと思う。
話作りも同じだろう。
1. いい見本を見る。
2. 実際に話作りの辛さや、詰まらなかったという抵抗を受け、
苦労しながら無駄な部分が淘汰される。
3. 見本と自分を見比べ、近づけるようにする。
水泳は、何メートル泳げばフォームは安定してくるか。
話作りは、何ページ書けばフォームは安定してくるか。
平均があるかも知れないし、人によるかも知れない。
ただ確実なのは、「それをしながらフォーム矯正は出来ない」ということだ。
それをしないとき、それから離れて、
色々なことを考えて、工夫して、フィードバックを得ないと、
フォームはいつまで経っても無駄ばかりだろう。
つまり、水泳は丘に着いてからがフォームを考えるチャンスであり、
話作りは、落ちまで書き終えてからが、フォームを考えるチャンスである。
僕が5分でいいから数を書けと常々言うのは、
このサイクルを何回も回せ、ということを言っている。
前ふり、展開、落ち、
前ふり、展開、落ち、
前ふり、展開、落ち。
これを何度も何度もやっているうちに、
話作りそのものが、洗練されてくる。
うまい人の水泳のフォームのように。
(基準は100本、ととりあえずしている)
たとえば、脚本添削スペシャルのほらさんの三本を俯瞰してみよう。
最初は、無駄なところにパワーを使ってばかりだった。
フォーマットは滅茶苦茶だったし、
ト書きも分かりにくかった。
ドラマには無駄が多く(おりょうとか、主人公が何をしたいか分からなかったり)、
その代わり芯が希薄だった。
次は、多少ましになったが、
肝心の「家庭教師と喧嘩を互いに教えあう」から逃げたり、
大学合格や卒業式なんて無駄もあった。
今年のラリーでは、
過去と現在を結ぼうとする所までは出来ていたし、
ビジュアルアイデアもあったけど、
「石焼き芋屋になる」という無駄なパートに力を使っていた。
(その代わり芯を中心に物事を膨らませるまで、
エネルギーが使えていない)
少しずつではあるけど、フォームがましになってきている。
つまり、無駄な所にエネルギーを注がない代わりに、
一番大事な所にエネルギーを集中させるようになってきている。
数をやることには、こういう意味がある。
洗練、淘汰が起こる。
そのうち、この話には何が本質的で、
何が脇筋なのかを、書く前から見極められるようになり、
力の配分が出来るようになるはずである。
同じ話を何度も書き直したほうが効率がいいか、
別の話をバラバラに沢山書いたほうが効率がいいか、
僕にはちょっと分からない。
両方やっときな、それも数のうち、ぐらいしかアドバイス出来ない。
きれいに泳げるフォームの人は、
同じ体力でも、
より遠く、より速く、より余裕をもって、
泳ぐことが出来る。
きれいに話が作れる人は、
同じ才能でも、
より面白く、より沢山の、より余裕をもって、
より本質的な、
話を作ることが出来るだろう。
僕の話でいえば、
僕は小説などまるで書いたことがなかったのだが、
がむしゃらに書いているうちに、
なんとなく泳ぎ方が分かってきた感じだ。
抵抗を受けて、フォームが出来てきたのだね。
今「てんぐ探偵」のフルリライトに挑んでいるのだが、
既に31話まで終え、フォームが洗練されてきたように思う。
やっぱり初期の頃は、フォームが下手だったのも良くわかる。
(なので、初期話ばかり書き直して中々進まない)
数をやることは、苦しい。
ダッシュ10本3セット、みたいな苦しさだ。
でもそれをやらないと、
フォームは出来ないんだよ。
出来たら、楽になってくる。
殆どの人が話作りを辞めていくのは、
この苦しさに耐えられず、
フォームが出来る前に辞めていくのだと思う。
あなたは、話をするのが上手かな?
下手だとしたら、
そしてそれでもストーリーを語りたいのだとしたら、
水泳のフォームがきれいになるぐらいの、
数の練習がいるよ。
それは他の習い事でも同じだよね。
ギターとか、将棋とか、勉強とか、仕事のこととか。
脚本だけが、何か飛び級のことがあると考えるほうがおかしいよ。
と、いうことで、
毎日コツコツやって、
少しずつフォームを作っていくしかないんだよな。
水泳と違うのは、
お話は、常に違う新しいものを作らなきゃいけない所だね。
水泳どころか、もっと難易度たけえわ。
2016年04月17日
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