テンポが悪い話は、
無理矢理第一ターニングポイントを埋め込んでしまえ。
長編なら全体の1/4あたり(三幕構成理論)、
中編なら全体の1/3あたり、
短編なら全体の2/5あたり(序破急理論)。
その辺に、無理矢理、
主人公「一体○○出来るのか?…」
と、その話のゴールに関すること(○○)を、
言わせてしまえ。
乱暴だけれど、
第一ターニングポイントにそれはなるだろう。
何故なら、センタークエスチョンをそこで(無理矢理)問うからである。
テンポが悪い話は、
経験上、三幕の長さの比率が変だ。
(たとえば脚本添削スペシャル2016の、
元原稿「石焼き芋ラリークロス」は、
真の三幕構成では、一幕ばかりが異様に長かった)
同様に、
長編なら後ろから1/4あたり(三幕構成理論)、
中編なら後ろから1/3あたり、
短編なら後ろから1/5あたり(序破急理論)に、
再び、
主人公「果たして○○出来るのか?…」
と、言わせてしまえ。
それが第二ターニングポイントに、無理矢理なるだろう。
無理矢理そこで言うことは、
あなたに全体の尺感を植えつける。
一幕が長すぎなら、
随分センタークエスチョンをさっさと提示しなければならず、
ダラダラ日常をやっている暇などないと実感するだろう。
一幕が短すぎなら、
もっと伏線を引いたり、前提をしっかりさせないと、
テーマが食い足りないと気づくはずだ。
三幕が長すぎなら、
解決がダラダラし過ぎてスパッと終われていないと分かるし、
三幕が短すぎなら、
テーマやカタルシスが物足りない話だと自覚できる。
これらに挟まれた二幕が、
短すぎならば、
もっと話が二転三転しなければならない
(つまり自分の用意したお楽しみが全然少ない)ことに気づくし、
長すぎならば、
中盤がダラダラし過ぎて退屈されていることに、気づくだろう。
勿論、突然そんな台詞を主人公が言うわけないから、
その台詞を言う流れを作らなければならない。
前後をまるまる改造しなければならないだろう。
強引でもやりたまえ。
ある幕のことを別の幕に移動させて、
尺の調整をしても構わない。
(たとえば元原稿「石焼き芋ラリークロス」の、
1/4から1/3あたりに無理矢理、
サトル「一体、妻をどうやって救えばいいんだ?」
と言わせてみる。
その後、尺的には、石焼き芋屋になるというパートを嵌め込むことになる。
そこで一端、
ノリ「妻を救うには、石焼き芋屋になればいい」と言わせて、
石焼き芋屋になるパートが来ることになれば、尺的にはおさまる。
それじゃ変だ。
ということは、「石焼き芋屋になるパート」ぐらいの分量の、
何かのドラマがそこに必要だと分かるはずだ。
実際、書き直した「ラリー・ザ・石焼き芋」では、
国道渋滞のシークエンス、
雪原を行く中での二人の会話劇が、適切な尺分挿入されている。
見た目では、
石焼き芋屋になるパートを切り、
雪原を渡る部分を膨らませたように見えるが、
実際のところ、第一第二ターニングポイントを先に配置して、
各幕のドラマを取捨選択しているのである。
ところでこれは、原作の実写化にも使えるテクニックではないか?
問題は、センタークエスチョンを見極めることが難しいことだが)
勿論、
その台詞でない、別の台詞でセンタークエスチョンが示せれば、
それに改良してもよい。
主人公以外が言うのはダメだ。
必ず主人公が言うこと。
(慣れてきたら、別の人が言ったり、
台詞を言わなくてもターニングポイントになっていたりを書ける)
最初はぎくしゃくしていても構わない。
無理矢理入れたからだ。
そこまで無理矢理直したら、
通しで読んでみよう。
何故か元よりもぎくしゃくしてはいるが、
テンポが良くなっていることに気づくだろう。
あとはそのぎくしゃくを自然な流れに書き直せばOKだ。
構成は、魔法でもなんでもない。
ただのテンポ感に過ぎない。
逆に、どんな話でも、
第一第二ターニングポイントを(無理にでも)作り、
全体の比率を正せば、
いいテンポになるという発見が、
構成の理論というやつなのである。
非常に強引だが、やってみたまえ。
今書いてる話で、
どうにもテンポが悪かったやつを、
無理矢理それをやってみたら、
急にうまくいった。
今日の発明なので、記録しておく。
ダイエットがうまく行かないから、
無理矢理金型にはめる、みたいなやり方である。
つまり、殆どのテンポの悪い話は、
三幕構成がいびつか、
センタークエスチョンがそもそもハッキリしないか、
センタークエスチョンを主人公が引き受けていないか、
第一第二ターニングポイントでセンタークエスチョンを意識していないか、
という、
構成上の欠陥を抱えていることが、
実は殆どではないだろうか。
2016年04月18日
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