2016年04月19日

リライトの敵は「これは捨てたくない」

心理的にこれに逆らうのはとても難しい。

捨てたくないと思う限り捨てられない、
捨てないからリライトがうまくいかない、
このループである。

これは、近視眼的に見ているだけだ。
俯瞰の視座へ行ってみよう。





その話のクライマックスは何か?
どのような根本的な問題を、
どのように解決するのか?
それによって、何を意味するのか、つまりテーマは何か?

解決される根本的な問題の提示部はどこか?
そこに感情移入の端緒はあるか?

始まってからその解決への旅に出るポイントはどこか?
そのとき、センタークエスチョンを提示しているか?
ていうか、センタークエスチョンは何か?
何を解決すればその話は終わりでめでたしなのか?
それは抽象的なことではなく、具体的で絵で示せるものか?
(思いが届く、ではなく、カップルになり手を繋ぐ、など)

センタークエスチョンを問う箇所は何ヵ所あるか?
多くてもいい。
最低二回。第一ターニングポイントと第二ターニングポイント。
(シドフィールドは、ピンチ1、2においてセンタークエスチョンを意識させるべきと論じているが、
まあまあ気にするレベルでいいと思う)


おおむね、これらがその話の骨格になる。


さて、「捨てられないパート」は、
その骨格のどこに関係しているだろうか?
図示してみたまえ。

骨格そのものならば、捨てる必要はない。
それ以外なら、捨てても問題ない。

それだけだ。

ウルトラC的な解決として、
「捨てたくないパートを、骨格の一部に魔改造する」
つまり、話の根幹に持ってくる方法もある。

そこまでして捨てたくないなら、どうしても捨てられない骨格にしてしまう。




何故捨てたくないのか?


出来が良いから→捨てれば、全体の出来がもっと良くなり、
さらによいパートを書くチャンスが生まれるぞ。

個人的な思い入れ→骨格が歪まないように、もっと巧みに入れ込んでください。

最初に思いついたところだから→その思いつきは全体より良いのか?
ならば、全体をもっと良くして下さい。
今のところ、部分しかよくない話だってことです。

(例:「犬と私の10の約束」は、ネタの「犬の十戒」というイギリス?の十の約束は号泣なのだが、
その映画のドラマツルギーは箸にも棒にも引っ掛からないお粗末糞映画。
上の魔改造を使うなら、クライマックスにこそ十戒を持ってきて、
主人公は犬のブリーダーになるべきだった)



全体を優先させよう。

バッグや小物のパーツがオシャレだけど、全体に不細工な女より、
よく見るとパーツはブスだけど、全体で見るといい女のほうが、いい女だ。
posted by おおおかとしひこ at 12:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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