心理的にこれに逆らうのはとても難しい。
捨てたくないと思う限り捨てられない、
捨てないからリライトがうまくいかない、
このループである。
これは、近視眼的に見ているだけだ。
俯瞰の視座へ行ってみよう。
その話のクライマックスは何か?
どのような根本的な問題を、
どのように解決するのか?
それによって、何を意味するのか、つまりテーマは何か?
解決される根本的な問題の提示部はどこか?
そこに感情移入の端緒はあるか?
始まってからその解決への旅に出るポイントはどこか?
そのとき、センタークエスチョンを提示しているか?
ていうか、センタークエスチョンは何か?
何を解決すればその話は終わりでめでたしなのか?
それは抽象的なことではなく、具体的で絵で示せるものか?
(思いが届く、ではなく、カップルになり手を繋ぐ、など)
センタークエスチョンを問う箇所は何ヵ所あるか?
多くてもいい。
最低二回。第一ターニングポイントと第二ターニングポイント。
(シドフィールドは、ピンチ1、2においてセンタークエスチョンを意識させるべきと論じているが、
まあまあ気にするレベルでいいと思う)
おおむね、これらがその話の骨格になる。
さて、「捨てられないパート」は、
その骨格のどこに関係しているだろうか?
図示してみたまえ。
骨格そのものならば、捨てる必要はない。
それ以外なら、捨てても問題ない。
それだけだ。
ウルトラC的な解決として、
「捨てたくないパートを、骨格の一部に魔改造する」
つまり、話の根幹に持ってくる方法もある。
そこまでして捨てたくないなら、どうしても捨てられない骨格にしてしまう。
何故捨てたくないのか?
出来が良いから→捨てれば、全体の出来がもっと良くなり、
さらによいパートを書くチャンスが生まれるぞ。
個人的な思い入れ→骨格が歪まないように、もっと巧みに入れ込んでください。
最初に思いついたところだから→その思いつきは全体より良いのか?
ならば、全体をもっと良くして下さい。
今のところ、部分しかよくない話だってことです。
(例:「犬と私の10の約束」は、ネタの「犬の十戒」というイギリス?の十の約束は号泣なのだが、
その映画のドラマツルギーは箸にも棒にも引っ掛からないお粗末糞映画。
上の魔改造を使うなら、クライマックスにこそ十戒を持ってきて、
主人公は犬のブリーダーになるべきだった)
全体を優先させよう。
バッグや小物のパーツがオシャレだけど、全体に不細工な女より、
よく見るとパーツはブスだけど、全体で見るといい女のほうが、いい女だ。
2016年04月19日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック