2016年04月19日

主人公は狂言回しではない

狂言回しは、物語の中でツアーガイドの役割をする。


起こる出来事、事件、その場所へ、
そのキャラクターとともに出向き、
ストーリーで起こることを一緒に体験する。

スターウォーズ三部作における、C3PO、R2D2コンビなど。
「てんぐ探偵」でのネムカケとシンイチコンビは、
ゲストのキャラクターに対する狂言回しになる。


狂言回しは、変化しないキャラクターだ。

話の根幹に影響を与え、
その人がいたからこそ全てがうまくいった、
ということもあるが、
そのキャラクター自身は、
ストーリーから影響を与えられず、
変化しない。

そのストーリーがあってもなくても、
その人の日常に変化はない。
(シンイチは徐々に成長しているが、ネムカケは変化していない)


さて。
物語の狂言回しは、主人公ではない。

主人公とは、最も変化する。

何故なら、ストーリーと噛み合う上で、
自分の内面をさらけ出し、みっともないところも見せ、
クールに振る舞うことを許されないほどに、
自分と問題を溶け合わせるからである。

その結果、影響を受けないはずがない。
その分、事件に影響を与える。

それが物語だ。



事件の傍観者に主人公をするな。
たとえ解決に決定的な行動をしたとしても、
それと内的影響を与えあわない人物は、
単なる狂言回しにすぎない。

「落下する夕方」テンプレとは、
主人公を狂言回しにしてしまうやり方のことである。
これは一人称文学なら成立しても、
三人称ならただの傍観者で、
ツアーガイドだ。

(事件解決もののフォーマットは、
ヒーローが主人公ではなく、依頼者のゲストが主人公。
たとえばてんぐ探偵では、シンイチではなく、妖怪に取りつかれた人が主人公。
実際のところ、シンイチは狂言回し以上に宿主と影響を与えあう、
新しいタイプの狂言回しであり主人公というキャラクターではあるが)


ただの事後処理する人は、主人公ではなく狂言回しだ。
内面的影響を与えあい、変化しなくてはならない。
むしろその内面的交流こそ、
お話の一番面白いところである。

内面的交流を怖がり、自分を隠すような人は、
自作品でも同じことをしてしまう。
殻に閉じこもり、本心を見せない、
表面的には活躍する狂言回しとしてしか、
主人公を描けなかったりする。
(活躍しないのは、ただの傍観者=「落下する夕方」テンプレ)


あなたの主人公は、狂言回しか?
狂言回しを主人公にしてないか?

狂言回しはピエロである。
それ自身変化しない。
ピエロは苦悩したり自己を更新したり解放したり成長しない。

端的に言えば、あなたの主人公は、
どのような成長物語を持っているのか?
ということだろう。


そう言えばドラマ風魔は、
「小次郎の成長物語にちゃんとなってる」と、
当たり前のことを絶賛された。
つまり、原作風魔は、小次郎は狂言回しであり主人公ではなかったのだ。
(一番内面の変化したのは武蔵か?)

そして改めて当然なのだが、
その主人公の成長の内容が、
その物語のテーマになる。


つまり、狂言回しの主人公の物語は、
テーマなど何もない、スカスカの話だということ。
posted by おおおかとしひこ at 13:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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