完成度を上げよう。
第一稿を書き終えたら、完成まで、これをするしかない。
僕は最近、準備5、執筆1、リライト4ぐらいの時間配分だ。
リライトで何をするかというと、
要するにひたすら完成度を上げている。
勿論、リライトといっても、
ちょこちょこ文字単位を直すのではなく、
脚本添削スペシャルで見せたような、
殆ど捨ててエキスだけ残し、
殆ど(文字上は)作り直す、
なんてことも含んでいる。
無理矢理第一ターニングポイントの台詞を、
下手でも理想の位置にぶっこみ、
それ合わせで全体を整えるやり方についても、
先日書いた。
あるブロックをまるまる落としたり、
あるブロックをまるまる新設したり、
リライトでやるべきことは多い。
それは、どういう指針か?
テーマだ。
テーマと構成だ。
それがより鮮明になるように書き直し、
そこに無駄やノイズがないように書き直すのである。
その為には、作品の外に目がいき、
俯瞰して客観的に見れなければならない。
僕はその為に、
メモ禁止で、一気読みだけをして、
全体を俯瞰する方法を推奨している。
つまり、リライト期間中、
何度も、そういう一気読みイベントが発生する。
今「てんぐ探偵」を、文庫本二冊ぐらいをひとまとめにした、
全四巻構成に書き直しているのだが、
一巻あたり、最低三回、一気読みイベントがあった。
(僕は読むのが遅いので、
一気読みには6時間から12時間ぐらいかかる。
相当肉体的にキツイイベントである)
連作短編なので、一話単位での一気読みは簡単だけど、
各話の入れ換えもやったので、
一気読みしての受け取り方を知るには、
一気読みするしかないのである。
これに比べたら、文庫本1/4程度の、
二時間映画脚本なんて、
10回一気読みするのは屁でもない。
一気読みをしよう。
特に脚本は口で読むのもいい。
短編なんて一瞬で出来る。
そうすると、全体が見えてくる。
「全体として、これは何をなそうとしているか」が、
見えてくる。
「全体として、これはこういうことを言おうとしている」が、
見えてくる。
逆に、一気読みをしない限り、
永遠に部分に囚われて全体を見ることが出来ないだろう。
理想は、何を書いたか忘れた頃に一気読みをすることだ。
でも中々難しい。
僕はもう一本書け、なんて無茶ぶりをする。
それはそれぐらい頭の作業スペースを入れ換えろ、
という意味だ。
頭の作業スペースからその一本が完全消滅してからでないと、
客観的に全体を見ることは出来ないだろう。
5本ぐらい、他人の映画を見てもいいかな。
(2、3本だと、自分のものとの比較しか見ないから、
5本ぐらい見ればそれをしなくなるだろう)
一気読みをすることで、
全体の完成度を上げることをやろうとするはずだ。
構成に手をつけたり、テーマにより肉薄したり、
起伏をコントロールしたりなどだ。
それで病巣が見つかれば、
その病巣だけを徹底して直すこともやるかも知れない。
(たとえば今やっている中では、
妖怪「ねたみ」の話に物凄く手を入れた。
いつか各稿で色分けしたものを一覧出来るファイルを作ってみたい)
部分的病巣が直れば、
全体の血が流れるようになる。
他を一切手をいれないのに、他もよく見えてくる。
病巣から遠いところに打つ針のような効果があったりする。
それらは、一気読みをして毎度全体を捉えることでしか、
判断できない。
完成度を上げよう。
根本の手術、部分的病巣手術が終わると、
あとは台詞の直し、一行足しや一行消し、
文節単位での直し、「が」を「は」にする直し、句読点の直し、などの、
ほんの少しの直しになってくるものである。
そこでようやく細かいテンポや台詞の完成度を上げられる。
先に細かい場面の完成度を上げても、
全体がいびつならば、何をやっても無駄だ。
全体の直しの為に、必ずその細かい直しはやり直しになる。
完成度を上げよう。
プロの作品というのは、
そうやって磨かれた完璧なものである。
(最近そうなってない、グダグダ脚本が多いけど)
全てに無駄がなく、全てが一斉に動き、
機能してない部分はない、
しかも美しい、テンポ溢れる、いい文の脚本は、
そうやって何層にも完成度を上げる行為が積み重なっているものだ。
大体、アマチュアの脚本は読みにくい。
それは、こういうことをやってないからではないか。
2016年04月21日
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