2016年04月23日

物語は、説明でも解説でもない

説明や解説は部分的にはある。
それは従であり主だ。

何のために説明や解説があるのか。
緊急事態(問題)の進行の為だ。
「緊急事態の進行中」こそが物語の殆どのパートなのだ。


一幕の説明や解説は、
緊急事態が起きてから説明していては遅いことを、
事前に説明しておく。

説明しすぎは退屈で、今から起きることに最低限必要なことだけを与えておけばよい。
緊急事態という楽しみを邪魔しない程度が妥当ラインだ。

緊急事態が起こってしまってからも、
説明や解説は、
その緊急事態がより深く理解できるような、
より想像が膨らみ面白くなるような、
ものだけを選りすぐるべきである。


あなたの特別すごい人生観の解説や、
あなたの特別すごい感性の披露は、
どっちでもいい。
ていうか、今緊急事態が起こっているのだから、
そんなものは邪魔だ。

また、説明や解説は、
最後に緊急事態が劇的に解決したとき、
なるほどこの解決にはこういう意味があったのか、
とのちのち納得するような前ふりであるべきだ。
何故なら、劇的な解決の第三幕では、
説明や解説などしてる暇はないからである。


とするとだ。

説明や解説など、殆どしてる暇などないではないか。

なるべく短く説明するべきだろ、緊急事態ならば。
だから説明や解説の下手なやつは、
物語作家に向いてない。
物語作家は、説明や解説を、短くズバリ出来なければならない。
それってつまり、説明や解説が上手いということだ。

逆説的に、物語作家は、説明や解説がとても上手く、
説明や解説を入れる入れないを含めて、
私たちの心理をコントロールすることに長けている。


説明や解説を、聞かせるポイントがひとつだけある。

緊急事態を起こしてそちらに焦点を引き付けておいて、
一端落ち着いたときだ。

今起こっていることの意味を知りたくさせて、
説明や解説を欲する、
今の状況に対して情報を得たくさせる。
当たり前だが、それはこれから起こることの伏線に既になっている。

それが理想の、物語のなかでの説明や解説である。



もしあなたが、特別すごい人生観や豆知識や感性の爆発を描きたいのなら、
それは物語の中でやらないことだ。
エッセイや論文やブログや日記を書けばいい。

物語とは、緊急事態を追うものであり、
それに持っていけない情報量はいらない。
その取捨選択こそ、その作家の感性である。
海外旅行のパッキングと同じだ。
少ないほど良く、足りないと困る。

物語作家は、説明や解説が上手くなければならない。
それは、それらを緊急事態より下に置くためである。
海外旅行の例で言えば、
パッキングが旅行そのものより下位概念であることと同じだ。
posted by おおおかとしひこ at 08:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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