説明や解説は部分的にはある。
それは従であり主だ。
何のために説明や解説があるのか。
緊急事態(問題)の進行の為だ。
「緊急事態の進行中」こそが物語の殆どのパートなのだ。
一幕の説明や解説は、
緊急事態が起きてから説明していては遅いことを、
事前に説明しておく。
説明しすぎは退屈で、今から起きることに最低限必要なことだけを与えておけばよい。
緊急事態という楽しみを邪魔しない程度が妥当ラインだ。
緊急事態が起こってしまってからも、
説明や解説は、
その緊急事態がより深く理解できるような、
より想像が膨らみ面白くなるような、
ものだけを選りすぐるべきである。
あなたの特別すごい人生観の解説や、
あなたの特別すごい感性の披露は、
どっちでもいい。
ていうか、今緊急事態が起こっているのだから、
そんなものは邪魔だ。
また、説明や解説は、
最後に緊急事態が劇的に解決したとき、
なるほどこの解決にはこういう意味があったのか、
とのちのち納得するような前ふりであるべきだ。
何故なら、劇的な解決の第三幕では、
説明や解説などしてる暇はないからである。
とするとだ。
説明や解説など、殆どしてる暇などないではないか。
なるべく短く説明するべきだろ、緊急事態ならば。
だから説明や解説の下手なやつは、
物語作家に向いてない。
物語作家は、説明や解説を、短くズバリ出来なければならない。
それってつまり、説明や解説が上手いということだ。
逆説的に、物語作家は、説明や解説がとても上手く、
説明や解説を入れる入れないを含めて、
私たちの心理をコントロールすることに長けている。
説明や解説を、聞かせるポイントがひとつだけある。
緊急事態を起こしてそちらに焦点を引き付けておいて、
一端落ち着いたときだ。
今起こっていることの意味を知りたくさせて、
説明や解説を欲する、
今の状況に対して情報を得たくさせる。
当たり前だが、それはこれから起こることの伏線に既になっている。
それが理想の、物語のなかでの説明や解説である。
もしあなたが、特別すごい人生観や豆知識や感性の爆発を描きたいのなら、
それは物語の中でやらないことだ。
エッセイや論文やブログや日記を書けばいい。
物語とは、緊急事態を追うものであり、
それに持っていけない情報量はいらない。
その取捨選択こそ、その作家の感性である。
海外旅行のパッキングと同じだ。
少ないほど良く、足りないと困る。
物語作家は、説明や解説が上手くなければならない。
それは、それらを緊急事態より下に置くためである。
海外旅行の例で言えば、
パッキングが旅行そのものより下位概念であることと同じだ。
2016年04月23日
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