知り合いの劇作家のブログで、
「見たことがない人しか出てない舞台は見ない。
普通人が行くのは、演劇かテレビで、
見たことがある人が出ているものを見に行く」
という、見も蓋もない現実の話をしていた。
殆どはそうかも知れない。
でもそれって、宣伝が悪いのとちゃうかな?
そこに行けば何を持って帰れそうなのか、
ちゃんと宣伝してないのとちゃうかね?
全く知らないものを見に行くのは、
恐怖しかない。
折角行ったのにハズレを引かされた時の怒り、失望、悲しみたるや。
だから人は保険をうつ。
あの人が出てるから見てみたい、
あの人の出てるのは大抵面白いから、面白いかもしれない、
仮に面白くなくても、その人の芝居が好きだから満足。
それほどまでに、人は詰まらないものを見たくないのである。
半分までに帰れば半額バックキャンペーンなんて、
たまにはやればいいのではないか。
詰まらないものに、金も時間もかけるのは、真っ平だ。
(歌舞伎なんて一日かかる長さの舞台を、もはや全部やらず、
パートでしかやらなくなってるけど)
知らない人しか出てない。
中身はタイトルだけじゃ分からない。
スタッフも知らないオリジナル。
これで当たりを引く確率は、どれくらいだろう。
僕は1/2000ぐらいと見積もる。
何かしら事前情報があり、
こういう話とか、こういう見所とか、
紹介されていればその確率は上がる。
しかしそれでもやはり、
真に面白いのに出会えるのは、1/100を切ると思う。
だから、
人気俳優が出てることばかり宣伝して、
中身の作品性を宣伝しないのかも知れない。
1/99は詰まらないかイマイチなのだから、
逆説的に人気芸能人で我慢してください、
ということなのだろうから。
問題は、イマイチが減り、詰まらないが最近増えている気がすることである。
演劇なら、詰まらないのは淘汰される。
映画は、なかなか淘汰のスピードが遅いような気がする。
三池崇史が面白かった作品を作ったか?
多作ばかりやる彼の、当たり率計算したか?
テラフォーマーズは、明らかに外れだよな?
問題は、1/100の大当たりを、
今や作れず、宣伝も出来ないことになっていることだと思う。
その本質、持って帰れそうなものを、
うまくネタバレせずに伝えられる、
キャッチコピーや宣伝を、切に願う。
だって最近の予告編、ほんとに酷いもの。
ということで、
「いけちゃんとぼく」と、「風魔の小次郎」の、
予告編ディレクターズカット版がある。
そろそろ時効だろうから、YouTubeにアップしたろかな。
機能してないキャッチや宣伝部は、
呪われて鼻でも落ちればいい。
キャッチコピーなんて、写真も映像も作らなくていい、
制作費がタダなメディアだ。
(実際にはコピーを書くのには、
一流なら一行100万円の人件費がいる)
もっとみんなキャッチコピーの修行をしてはどうだろう。
それは、自分の作ったものがどういう本質があるかを見極め、
ネタバレせずに、何を持って帰れそうなのかを、
上手に期待させる、一行の文章だ。
(ジャンルとか見せ場を羅列するのは、ボディコピーと言って、
キャッチコピーのあとに数行書くべき情報)
自作キャッチコピーの例:
わたし、きみが大人になる日を見に来たの。いけちゃんとぼく
アイツの周りにゃ、希望という名の風が吹く。風魔の小次郎
心の闇に炎をかざせ。てんぐ探偵
(最近また書き直してみた)
2016年04月25日
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