2016年04月26日

読みやすいかどうかは、口にしやすいかどうかで決まる

仮説。


小説を大分書いてみて分かったことは、
地の文を、口に出してみたほうがいいことである。

かつて僕は、
地の文は目で見るのだから、
目で見て分かりさえすれば、
意味を正確に取れた方がいいだろうと、
詰め込みまくっていた。

どうやらそうじゃないと、最近勘で分かってきた。
目で見る文だろうが、
口にしやすい文にするべきだと。


それは何故か。
思考は、音声だからだと考える。


あなたは、目だけで意味を取れるだろうか?
思考は声なしで可能か?
リアルな声ではないにせよ、
何かしらの声のようなもので、
思考しているのではないか?

その代表的なものは、独り言だ。
つまり、独り言を言うように、思考していないか?
音にして出せば独り言、
出さなければ思考、ぐらいの違いしかないのではないか?

直感的な理解なので、
脳科学的な根拠はない。


音読は、ある意味正しい。
口のスピードで理解するからである。
(予測だが、思考で聞こえる声は、
口で出すよりは速い)

勿論、言葉を介さない思考はある。
数学の形式的な展開などはそれだと思う。
(実際、形式的には正しい展開でも、
思考的に意味を取れない物理方程式もある。
いまだにコペンハーゲン解釈は納得いかない)
反射のようなものもある。九九とか。

今問題にしているのは、
数学ではなく物語なので、とりあえずこの話は置いておく。



映画は絵で見るもので、
絵のことはト書きで書く。

しかし、その言葉すら、
口にしやすいかどうかで、書くべきだと思う。

口にしやすい文章は、説明として明晰な気がする。

そもそも、口にしにくい文章は、
説明が下手だとすら、僕は思う。


ブログをずっと口語的に書いてるからかな?
反論があれば聞いてみたい。

結局、今てんぐ探偵を全部書き直しているのだが、
口にしやすい文章ほど面白くなったので、
全部をそういう方針で書き直している。
良かれと思って説明を沢山つけたところも、
バッサリ切って、全面的に口にしやすいかどうかで、書き直した。

それがとても上手くいったと思ったので、
これを書いてみた次第。



目をつぶっている相手に、
ト書きや地の文を聞かせて、
ありありと分かるように書け。

我々の思考は、(おそらく)
目より、口と耳の関係に近い。
posted by おおおかとしひこ at 00:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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