2016年04月27日

冒頭と落ちの構造2

冒頭で振られたことは、
落ちをつけなければならない。
そうしないと不満が残る。

たとえば、最初の方に張っておいた伏線をぶん投げて終わった漫画などが、
その良い例だ。


というか、殆どの漫画は、
連載形式でその場で展開を決めることが多いので、
冒頭と結末をきちんと計算できることが少ない。

ジャンプなんてアンケで方向性変えられちゃうしね。

だから、冒頭で振られたことは、
打ちきりやら引き延ばしに遭うと、
滅多に落ちをつけられない。

これが殆どの、「伏線をぶん投げやがった…」の正体だ。


またガンツを例に出すけど、
吸血鬼はなんだったんだ。
玄野が二人になったのはいいのか(岸本二人になったのは?)。
ドイツで量産されてたガンツ玉は?
色々ぶん投げて終わったラストシーン。

これらのことが宙ぶらりんだから、
落ちた気がしないんだよな。
(今連載中の犬やしきがガンツに繋がったら怒るで)

そもそもの冒頭、地下鉄で死んだのかどうか不明で、
マンションの一室は、何だったのか、
人類選抜戦にしては手が込みすぎてないか、
誰の仕業なのか、などについて、
最後に答えが出て、
成る程スッキリした!というのを、
誰もが求めていたはずだ。

逆にそこさえ係り結べていれば、
吸血鬼はなかったことにしていいくらいだ。(ほんとはダメだが)

たとえばガンツ玉か神によって、
時間を最後に戻されて、
地下鉄に戻り、
二人とも死なない世界になり、
そこから家に帰るまでに、
これまで死んでいった登場人物たちと、
互いに知らないまま偶然すれ違い、
アイドルのレイカをテレビで見たりして、
岸本も普通にいて、
最後タエちゃんとぶつかって終わる、
なんて終わりかたなら、
冒頭と係り結びになっていたはずである。

このように、落ちには冒頭が関係すればよいのである。


今、週刊漫画で作者の計画通りに終われる漫画がどれくらいあるのか分からないが、
ちなみに「自殺島」が今大詰めに来ていて、
僕はかなり楽しみにしている。
(実は連載開始当初、映画化したいなあと言った作品のひとつ)
当然、落ちは「自殺したい人を集める法律」という冒頭と、
係り結びをするはずだ。

同じ作者の「デストロイ&レボリューション」が進まないのが待ち遠しい。



浦沢直樹&長崎尚史コンビによって、(パマナドン様のご指摘で直しときました。感謝)
続きが気になるだけの連載スタイルが、
ある種作られてしまって悲しい。
落ちなんてどうでもいい、伏線ぶん投げ、
途中さえ謎めけば途中は儲かる、
というスタイルはもう流行らないと思う。
みんなその詐欺に引っ掛かったからだ。
僕は見てないが、ツインピークスみたいなもんだからだ。
エヴァもそうだよね結局。


ストーリーというのは、落ちをつけるためにある。
落ちは、冒頭と関係していれば落とせる。
(落ちた気になる)
posted by おおおかとしひこ at 01:42| Comment(1) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おそらくは長崎尚志ではないでしょうか?
長崎俊一は映画監督です。
Posted by パマナドン at 2016年04月28日 12:46
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