2016年04月27日

冒頭と落ちの構造3

さて、では冒頭と落ちがあれば、話は成立するのか。
実はそうではない。

むしろ、冒頭と落ち以外が充実して、はじめて話は成立する。


落語「まんじゅうこわい」でも、
「いろんなもので怖がらせるが、まんじゅうが一番こわい」
という展開部が面白いのだ。
実際、この展開部がタイトルになっている。
そんなわけないやろ、という意外性、シュールさの展開部だ。

ドラマ風魔でも、
「学園を狙う敵と、姫に惚れた半人前の忍者」という、
冒頭と落ちの関係以外の、展開要素、
「八将軍と味方が次々にバトルして死んでいく」
「壬生が裏切り、第三勢力へ(+陽炎の暗躍)」
「聖剣が出てきた事で、スケールアップ」
などが面白いから、話が成立しているのである。

冒頭と落ちの面白さは最も必要だが、それだけでは足りないのだ。
中盤の面白さがあるから、冒頭と落ちが効くのである。



要するに、話をつくるにはふたつ思いつかなければならない。
冒頭と落ちの構造と、
中盤の面白い話。

これが出来たとき、はじめて話は書ける。
勿論そこに、
「主人公による問題の解決」という一本の軸が通るのである。


主人公が問題に出会い、どうにかして解決をするまでを描きながら、
冒頭にふったことが落ちになるようにし、
なおかつ中盤で面白い話にならなければならない。

それが映画の物語の構造だ。
posted by おおおかとしひこ at 15:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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