たったひとつだけだと思う。
「自分が下手だと気づく人」が、上手い人。
「自分が下手だと気づかない人」が、下手な人。
音痴を考えればわかること。
音痴は何故音痴なのか。
自分の声と歌の音程がずれていることが音痴なのではない。
それは外から見た結果に過ぎない。
音痴は、
「客観的には自分と歌の音程がずれているのに、
主観的には合ってると思い続けている人」のことである。
何故なら、音程のずれに気づけば、
修正しようとするからだ。
修正しようとして遂に出来なければ、
恐らく積極的に歌うことはやめるのではないか。
カラオケが苦手な人というのは、
そういう人だと思う。
ずれに気づかない人だけが、
合ってると思い込んで、音痴でいつづけるのである。
絵描きもそうだろう。
デッサンや色や反射や構図がおかしければ、
徐々に直していくはずだ。
葛飾北斎なんて、死ぬ間際までもう何年か練習すればまだ上手くなるのに、
と、自分の下手な部分を自覚していたというではないか。
つまり、三種類の人がいる。
自分の下手に自覚的で、それを日々直して向上させる人。
自分の下手に自覚的で、向上を諦めてやめた人。
自分の下手に気づかないままの人。
あなたはどれだ。
下手の自覚があるなら、
上手になれる可能性がある。
上手になるということは、
自分の下手さに一生向き合うということだ。
僕は漫画の神様手塚治虫ですら、
自分を下手だと思っていたと考えている。
2016年05月10日
この記事へのトラックバック
何本書いてもその迷いはやってくる。
昨年、新国立での舞台の脚本(共作ですけど)に携わっても、自分はまだはなたれ小僧ですから。
いつもありがとうございます。
舞台脚本と映画脚本がどれぐらい違うものか、
あまり詳しくないのですが、参考になれば幸いです。
他のうまい人を見ると落ち込む日もあるけど、
今ここに生まれようとしてるものは、何にも似てないので、
まだ評価の付け方すら分からないものだ、
と信じてやっております。