2016年05月13日

監督と演出の違い

という検索ワードで来た人がいたので、
解説してみよう。


実写においては、監督=演出(家)である。
監督は敬称で、演出は監督というほどでも、
とへりくだった言い方のことが多い。


演出は、自分の手でやることや、現場で何かをすること、
の意味合いが強く、
監督は、全体を見たり、現場を離れてやること(政治的立ち回りも含む)
の意味合いが強いと思われる。

役者に芝居を直接つけること、
ライティングや小道具や音楽や衣装や背景を工夫すること
デザインすること、
コマ単位で呼吸を合わせること、
などは演出的であり、

役者の決定、振り付けは現場にやらせて大きな指示をするだけ、
全体の構成をしたり、統一的な演出を指定したり、
複数人の演出を使う(テレビに多い)、
などは監督的である。


映画は監督が一人で、助監督が複数つく。
水中撮影とかスポーツ撮影とか、監督の主ジャンルでない撮影のときには、
演出補といって、その筋の専門監督が協力することもある。
基本は監督が一人でやるけど、
長いことついてる助監督が芝居をつけて、
それで事足りる大御所もいたりするので、
助監督が現場演出をしてるケースもある。


CMは監督が演出である。


舞台は演出というね。監督はいない。
元義的に、芝居をつけたり照明や舞台のステージングをすることを、
演出というのだろう。
(舞台監督は、もう少し大きなこと、
カンパニーとか小屋の運営とか、その舞台特有の装置の担当とか?
詳しくないので知ってる人教えてください)


アニメーションでは、
明確に監督と演出のポジションは違う職種だ。
演出が出世して監督になるはず。
演出は絵コンテを切る人。
(さらに演出の下に絵コンテという職種がある場合も)
監督は絵コンテだけでなく、
監督業務全部。


テレビシリーズの場合、全話を演出しないことが多い。
週刊ペースでやると死ぬからである。
複数(3〜4人)の演出を立てて、
それらで回すことが多い。
シリーズ監督とか総監督とかが、
その複数人に全体の統一性を指示したり、
自ら監督する(初回と最終回はその監督のものである)。

風魔はダブル監督システムであった。
僕と市野さんが、2話ずつ監督するという形式。
とはいえ、番組全体の統一性は、
僕がメイン監督として作ることになる。
(市野さんがメイン監督だったら、
風魔は全話飯ドラマになったかも知れない。
それはそれで見たいねえ)

各話30分に原作のどのパートを割り振るか、
オリジナル構成(一話完結部活形式、壬生と陽炎の謀反、
姫子と蘭子のラブストーリー、絵里奈の改変)
を何話にどう組み込むか、
各キャラクターの改変などの、
シリーズ構成に関しては、僕がアイデアを出し、
全体を構成したことについては監督メモに詳しい。
オーディションは基本は僕の意向、
オープニングエンディング演出、次回予告編脚本は僕。

もし僕が監督、市野さんが演出という役職なら、
市野さんの現場に僕が出向き、
陣頭指揮の市野さんに僕がやいやい横槍を入れることになるだろう。
しかし実力のある先輩監督に、新人がやいやい言うのもね。
なので僕は市野さんの現場に行ってない。
(その間に編集してるんだけどね)
ということで監督を二人立てる、ヘンテコ形式だったなあ。
もう少し予算があれば、
僕が総監督で、複数の演出を立ててたかも知れない。


テレビは出世魚システムで、
AD→FD(現場演出)→D(調整室でモニタを見てFDに指示)
→P(複数のDを回して毎週作っていく)
と一人で役職が上になっていく。


実はテレビ局、制作会社、映画会社によっても、
微妙に監督と演出はニュアンスが違っている。

僕は作品の責任を取りたいので、
生涯、監督と自称するが。


ちなみにディレクターは、演出監督両方含むので、
ぼかすときに使いやすいね。
posted by おおおかとしひこ at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック