2016年05月14日

危機にざわざわさせる

人は、見たこともない危機に、緊張する。


ファイアパンチの1話が、一見凄くて、
2-4話が全然普通な理由を考えていたのだが、
普通じゃない危機が、
普通の危機になってしまったからだと気づいた。

1話の、
「腕を切り落として食料にする村」という尋常でない危機、
「再生能力のある兄が、より弱い再生能力の妹よりも、
多く腕を切られる」という尋常でない危機、
「若者がいないから、妹が子供を作ろうと言う」という尋常でない危機、
「消えない炎」という危機。

これらの尋常でない危機に比べ、
2話以降の危機は、漫画で見る「普通の」危機だ。

「奴隷階級の妹がレイプされかかる」
「無垢な少年が一人荒野に放り出されている」
「大事な砂糖が風にさらわれる」
「寝込みを銃で撃たれる(再生能力のある男が)」

などなど。
これらは普通のよくみるテンプレ危機なので、
その回避や解決についても、
尋常でない危機に対して、
我々のアドレナリンがざわざわしないのである。


つまり、ファイアパンチの1話が、「すごい!」という感想があるのは、
イレギュラーな危機を見てアドレナリンがでた、
という意味であり、
2-4話が、「失速」と感じるのは、
レギュラーな危機のレギュラーなアドレナリンしか出ないからである。

ただでさえ、我々人間は危機に慣れる、
つまりアドレナリンが出ぱなしにならず、
危機に慣れてアドレナリンが抑制されていく傾向にある。
だから、
本来ならばアドレナリンの噴出量を、
徐々に上げていかなければならないはずだ。

ファイアパンチの(冒頭部の)失敗は、
異常なオリジナリティーのある危機を1話に集めすぎたことと、
その危機は1話で終わってしまい、
2話以降に続いていないことである。

だから、2話以降は、急につまらなくなるのである。



じゃあどうすればいいか、論理的な結論は以下だ。

1. 1話以上の、尋常でない危機に逢うこと。
(これは中々思いつかないだろう。マックスからはじめたのだから)

2. 1話の尋常でない危機が、再び追いかけてくること。
(たとえば、立ち寄った村で、
再生能力のある人が同じく人肉食されているとか:
大人だから腕足は固く、内蔵を食べられているといいね。
若者がいないため、近親相姦が横行しているとか、
消えない炎で燃やされている再生能力者が苦しんでいるとか)

ふつうは2をやりながら、1を思いつくまで頑張るものだ。




お話を思いつくということは、
新しい危機を思いつく、ということに等しい。

テンプレの危機には、テンプレのアドレナリンしか出ないからである。

なるべく、テンプレでない危機を思いつこう。
勿論、解決と同時に考えつかないとダメだけど。


さてファイアパンチは、出落ち漫画の不評を覆せるか。
新しい危機は5-6話で起こるか。
それがテンプレ危機ならば、脱落だろう。
posted by おおおかとしひこ at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック