どんなジャンルでも、
ヘビーユーザーとライトユーザーがいる。
映画でいえばシネフィル、週一映画あたりと、
正月だけとかテレビでたまに、の違いだ。
生涯本数も、数万本と、数百本ぐらいの開きはあるだろう。
ヘビーユーザーのほうが、
断然内容にうるさい。
見た目の派手なガワの面白さなんて、
大体飽きるほど見てるから、
中身の面白いのを寄越せよと思っている。
そこまで詳しく理論的に見てないから、
言葉に出来る訳ではないし、
歴史的文脈(過去の名作との比較分析)などを織り混ぜることも、
出来ないかも知れない。
ただ、文句を言うとしたら、面白くない、だろう。
ニッチでマニアックな面白味を見いだすこともあるけど、
基本面白い、がないとそういうことをせざるを得ないだけである。
ライトユーザーは、
歴史的文脈とか、他と比較して、とか、
よそで見たから、とかは関係ない。
今面白ければ満足だ。
それは浮動票だといってもいい。
ここ最近言及している、
ネット漫画「ファイアパンチ」を例にとろう。
第一話の衝撃的デビューで、
ライトユーザーもヘビーユーザーも反応した。
ライトユーザーの反応は、ツイッターで追跡できる。
TLが止まらないぐらい、続々と面白い!という反応があった。
ヘビーユーザーの反応は、2ちゃんの漫画板を見ればいい。
「プロ漫画読み」と自称する人々の、
様々な議論や喧嘩や見当違いを観察することが出来る。
ここまでネットに衝撃を与えたのは、
内容もさることながら、宣伝の力である。
「完璧な第一話」「進撃なみ」などの煽り文句で、
(煽り文句はキャッチコピーではない。
もしキャッチコピーをつけるとしたら、
「復讐の消えぬ炎。」などだろう)
各ネットニュースを買い取ったことだ。
(ネットニュースやまとめ板は、有料で買えることはご存知だよね?)
こうやってバズの準備は整い、
内容のインパクトも相まって、
ライトユーザー(インパクトに反応した人)も、
ヘビーユーザー(インパクトに眉をひそめつつ、
悪くないのでウォッチを決め込む人)も、
取り込み、バズることに成功した。
ところが。
2話以降の失速で、
ツイッターは激減、2ちゃんの書き込みスピードも落ちている。
ヘビーユーザーが切り捨てたら、
二度とライトユーザーは戻ってこないだろう。
出落ち漫画になりつつある危機である。
これが、毎回エログロがあってライトユーザーを惹き付け続けたり
(それは踊り続けるピエロになることである)、
重厚でドン引きするほどヘビーユーザーの心に響いたりするストーリーであれば
(本来これが期待されたが、化けの皮は二話ではがれた)、
どちらかには支持されたはずだ。
ライトユーザーを惹き付けるものは、
エログロナンセンスと、昔から相場が決まっている。
エロ(ド変態から、さわやかエロから、恋の予感あたりまで)、
グロ(血まみれから、タブー、痛み、酷さなど)、
ナンセンス(シュールなギャグから、爆笑ギャグまでの笑い、
あるいは変わった趣向だけど無意味なもの)。
そのそれぞれの特徴は、
「たいして意味がない」ことである。
ファイアパンチの一話の衝撃は、
人肉食や兄妹相姦、消えない炎と再生能力などの、
エログロナンセンスで、
ライトユーザーを取り込めた。
しかし、2話以降は、「それになんの意味があるのか」という、
「ストーリー性」が必要なのである。
今のところ、
ヘビーユーザーを取り込めるだけの意味性は発生していない。
それどころか、
意図せぬシュールなギャグ(ぴょんぴょん、砂糖二回言う、サァーン)
に、ナンセンスを見いだして面白がる始末である。
実は、今の映画製作ビジネスは、
これととても似ているような気がする。
ライトユーザーが反応するような、
エロ(マイルドパターンなら、好きな芸能人が出ること)、
グロ(アクションとかCGなどの興奮要素)、
ナンセンス(ちょっとしたギャグとか、流行音楽などの世界観)、
で人を釣っておいて、
ヘビーユーザーが満足するような、
それ以上の娯楽を用意できていないのである。
(今「アイアムアヒーロー」がヒットしているという。
見た人に聞くと、アクションが凄いのだそうだ。
それってグロのことですよね。
僕が知りたいのは、原作で迷走しまくっている、
「この騒ぎになんの意味があるのか」に答えを出して欲しいことなのだが、
どうやらそういうのはないらしい。
つまり、良くできたグロで、ライトユーザーが集まってるだけなのだね)
脚本とは、エログロナンセンス以上の、
ヘビーユーザーが満足する意味を書くことである。
実は、脚本が出来上がってから、
脚本家でなくても、
監督やプロデューサーがガワを被せることは可能だ。
今、映画を作るには、
キャストと原作を抑えることからはじめていて、
脚本が出来上がるのは、
撮影直前であることが多い。
見せ場やエログロナンセンスを先に決めてから、
それに合うように話を作ってくれ、
という流れだ。
僕はこのやり方が間違っていると思っている。
ファイアパンチで言えば、
人肉食、兄妹相姦、消えぬ炎、復習劇、
このキーワードで宣伝して、ライトユーザーを一杯連れてくるから、
あとはヘビーユーザーを満足させるような話を作ってくれ、
と脚本家が頼まれたような現状になっているのだ。
これがベテランなら、
なんとかその隙間を縫って、面白いストーリーや意味(すなわちテーマ)を
見出だせたかも知れないが、新人漫画家にそれは酷だと思う。
以前にも議論したけど、
メロ先で歌詞を乗っけることをさせられているようなものだ。
歌は、詩先で作らないと、意味(ストーリー性)を持てない。
さあ。
バズマーケティングは、新人漫画家で成功するか?
ファイアパンチの作者は、その実験の哀れな犠牲者となろうとしている。
編集者がそれを「チャンスだ」と囁いたのだろうかね。
いけちゃんとぼくで、デビューチャンスを囁かれた僕のように。
そのチャンスは悪魔の囁きだ。
本質的に成功しないやり方だからだ。
表面的な、一瞬のライトユーザーを取り込めても、
ヘビーユーザーに叩かれるタイプのやり方だからだ。
僕は風魔では、ヘビーユーザーを向いていた。
いけちゃんとぼくでは、ライトユーザーを向かされながら、
ヘビーユーザーにも答えようとして、
前半の脚本が空中分解してしまった。
ファイアパンチは、もっと空中分解しはじめている。
脚本軽視は、何故起こるのか?
ライトユーザーに「受けそうなのは何か」ベースで、
ガワを作り、
その枠内にストーリーを押し込めようとしているからである。
そんなおかしなものに、ヘビーユーザーが満足するはずがない。
ヘビーユーザーとして「欲しいものは何か」を作ってから、
「受けそうなもの」をシュガーコーティングして、
ライトユーザーに食べやすくしてあげるのが、
本当に面白いものの作り方のはずだ。
脚本軽視は、何故起こるのか?
ライトユーザー向けに、確信がないまま、
データから見た傾向分析で投資するからである。
ヘビーユーザーの実感として、
これは面白い、というものを作っていないからである。
つまり、作り手の中にヘビーユーザーが何人もいないのであろう。
(一人だけヘビーユーザーがいたって、
変わった人の意見として、日本の会議では流されがちだ。
風魔のときは、僕とP側に何人かヘビーユーザーがいた。
いけちゃんのときは、僕しかいなかった)
2016年05月15日
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