書いてる途中も、考えている途中も、
アイデアはばんばん湧いてくる。
湧いてこないなんてことはない。
何かしらの何かは、思いつくものである。
それの取捨選択はどうするべきかについて、
「象は鼻が長い」を例に考えてみよう。
象を表現することを考えよう。
物凄く短い尺で象を表現しなければならないとする。
とすれば、
最小限で、かつキャラのたった部分を示さなければならない。
「象は鼻が長い」が妥当であろう。
巨大な四つ足である、
牙も生えてる、
グレーの肌で、しわしわしてて、けっこう固い、
毛も固い、
賢い、
耳が大きくてバタバタする、
尻尾も長くてキュートだ、
爪はなくて蹄みたいになってる、
目がつぶら、
などなどの各特徴を越えて、
「象は鼻が長い」という一文は、
短く、唯一性があり、しかも強い表現だ。
すなわち、「キャラが立つ」。
これが、
「象は鼻が長くて、巨大である」
と二つの描写で表現してみよう。
急にキャラが立たなくなる。
なぜか。
注意が二つに分散し、記憶が半分ずつになるからである。
人は一度にひとつしか記憶できない。
正確に言うと、強烈な一つを、
強烈に覚える。
逆にいえば、分散したノイズは記憶できない。
一点豪華とか、ひとつに集約するとか、シンプルが強い、
というのはこういう理由だ。
象は比較的キャラのたった動物だ。
オオアリクイとか、ハクビシンとかよりもだろう。
それは一点において「象は鼻が長い」と、
短く、唯一性があり、記憶に残りやすいからである。
さて、これはたった一行の話ではない。
長い文章においても同じなのだ。
例示してみる。
「象は鼻が長い。
大型動物で、四つ足のなかで、
陸上動物でほぼ最大である。
牙をもち、つぶらな目で、耳もばたばたする。
だが象を象たらしめるのは、
その長い鼻においてだ。
動物園で飼育員があげたリンゴを、
長い鼻で器用に取り、口まで運ぶ姿は愛らしい。
手を持たない四つ足なのに、
手のように使える鼻を持っている、
唯一の動物である」
この長めの文章においても、
「象は鼻が長い」ということが中心で、
ぶれていないことに注意されたい。
象の様々な描写を挟みつつも、
主従にわけてある。
主は鼻のこと、
従は大型とか四つ足とか牙とか目とか耳だ。
つまり、長い話をするとき、
主軸がぶれないようにしなければならないのである。
主従が入れ替わるように書いてはならない。
鼻を中心にしておきながら、
耳のことを延々語ったり、
牙を強調してはだめだ。
あくまで、象は鼻が長いことを主軸に、
他をぶら下げるようにするのである。
イメージは背骨と内臓、ブドウの房のような。
さあ、物語だ。
この文章術の原則は、
物語においても同じだ。
ひとつの、強い、キャラのたった、何かが、
中心にいなければならない。
それは主人公だろうか。
悪くない。
中心となるモチーフか。それも悪くない。
ベストは、テーマである。
書いている途中、様々なアイデアが浮かぶ。
それは、大なり小なり面白い。
だから採用を迷うのだ。
それらを、面白い順で並べるわけではない。
そのストーリーにとって、
主従になるように構造化するべきなのである。
たとえ物凄く面白くても、
ストーリーのテーマにとって、ノイズになるのなら却下。
背骨の強調は歓迎。
背骨の背骨みたいに、背骨がややこしくなるなら、
一本の背骨になるように書き直す。
だから捨てなければならない旧アイデアも出てくる。
象の鼻に対する、牙や耳のようなものは、
あればあっただけ面白くなるかも知れないが、
それで鼻が霞んでしまうようなら、要素を減らすといいだろう。
たとえば、
400字、2000字ぐらいのバリエーションで、
「象は鼻が長い」を書いてみたまえ。
2000字ぐらい長くなると、
背骨だけでなく、他の従の要素の面白さも必要になってくる。
象のような肌の女の挿話が入ったり、
タイの象使いの挿話が入ったり、
心優しい象の話や、
象牙を取りすぎて絶滅の危機にあることも、
入るかも知れない。
しかしそれでもなお、
「象は鼻が長い」という中心をぶらさないように書ければ、
それが主従の、適切なバランスということになる。
物語は、物語構造や社会的意義の前に、
そもそも文章である。
文章の下手なやつ、
つまり、
中心がぶれぶれで、キャラのたった主題を書けないやつに、
面白いシナリオなど、そもそも書ける訳がない。
2016年05月15日
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