2016年05月19日

で、結局何を書けばいいんだ?6

あなたは、ラストを決めてから書き始めるだろうか。
決めずに書き始めるだろうか。

どちらが正しいのだろうか。
どちらが最後まで書ける確率が高いのだろうか。
どちらが名作をものに出来るのだろうか。


「ラストを決めずに書く」という人は結構多いと思う。
プロの小説家や漫画家にも沢山いる。
どうなるか分からないほうが、
登場人物の気持ちに寄り添えるとか、
自分もワクワクドキドキしたいとか、
決めると窮屈になるとか、
理由は色々あると思う。

そのスタイルで、完結した名作を、
何本もものにした経験があるのなら、
是非そのスタイルで書き進めるべきである。
ある種の才能があり、それを潰す理由はない。
のびのびと最後までやんなさい。

最後まで書いたことないくせに、
そういうスタイルで、と豪語するやつは信用ならん。
短編でもいいから、完結した一本を書いてみせよ。
そういう人は、「完結する才能がない」という可能性がある。

あるいは、「完結すると評価が定まってしまうのが怖い」
という理由で、完結を避ける心理はあると思う。
童貞で居続ける理由は、
「ここまで童貞でいたのは、凄い美人とするためである」
みたいな謎理論、というのと同じ。
(これは女の婚活にもあって、
「この年まで独身でいたのは、凄い人と結婚するのを待っていたから」
というやつだ)
微妙な決定をするくらいなら、凄い決定をする予定の未決定のほうが、
よく見えるという心理だ。
(これ、バーナム効果とかシミュラクラ現象みたいに名前をつけたら広まる概念だよね)


こういう心理に陥る人は、
決して上手に完結させることが出来ない。

僕は、これを克服するには、
小成功を積み上げるに限ると思っている。
短編(シナリオで言えば、5枚、5分程度。7分が僕には書きやすいので、
それでもいい)を、
数限りなく書けと。極論100本。

完結の仕方、落ちの付け方を、学習せよと。

そうすれば、
いざ長いやつを書くときでも、
完結させる自信、確信、根拠のない見積りが、
ある程度出来るようになるものである。
勘みたいなものである。



実は、ラストを書く才能は、
僕は夏休みの宿題を終わらせたかどうかじゃないかと、
思っている。
暇な人がいたら、インタビュワーになって是非取材してほしい。

小学校の夏休みの宿題を、
何となく無意識にやっていて、しかも終わらせた経験のある人は、
ラストを決めずに書き初めても、完結させられる人。

無意識にやっても、計画を決めてやっても、
終わらなかったか、8/29あたりから猛烈にやって辻褄合わせたとか、
とにかくみっともなく夏休みの宿題を終えた人は、
ラストを決めずに書いたら、
最後まで書けないタイプの人なのではないだろうか?

あくまで僕の勘なので、
いつか教室など持ったら聞いてみたい話なのである。


もし後者のタイプなら、
あなたにはラストまできちんと書く才能はないのだから、
ラストまで話を作ってから、
書き始めるとよいだろう。

ラストだけ決めるほうがいいか、
ラストまで全部決めてから書いたほうがいいかは、
これまた人によるかも知れない。


僕は5分ぐらいまでなら決めずに書いちゃうけど、
それ以上は必ず、
ラストを決め、全体をわりとちゃんと決めてから書く。

この決めておくことを、
プロット(plot:計画。つもり。)というのである。


プロットが嫌いな人や、
プロットが苦手な人は沢山いる。
そういう人は、夏休みの宿題を勘で終わらせたタイプかも知れないので、
強要しない。ばんばん書きたまえ。

ただ、挫折がちなら、
プロットありきのやり方を、一度学んだほうがいいと考える次第だ。
やり方については様々だ。

文章に纏める(数百〜数千字)、
箇条書きにする、
手書きのぐにゃぐにゃした、矢印や○で結ばれた地図のようなもの、
結ばれていない断片的なもの、
言葉でなく絵でかくもの、
色々あると思う。

いくつかはここのブログに実際のものを貼りつけたので、
検索すると出てくるかもだ。
プロットを立てて書いていく実践は、
「脚本添削スペシャル」を全部読めば大体分かるかもね。

勿論、プロットはあくまで計画に過ぎない。
執筆の時のビビッドな感覚で、変更になるかも知れない。
そこは自由だ。
(自由にした結果、完結出来なかったのなら、
プロットに戻って書き直せばいいだけだ)

もし、自由な感覚を奪われるのが嫌なら、
そういう人にオススメなのが、
一度プロットを立てたら、
「そのプロットを二度と見ずにラストまで執筆する」
というスタイルだ。

僕はわりとこれかも知れない。
まあ、慣れですな。



ラストを決めることや、
プロットを作ることは、
執筆のレベルと違う次元から、ストーリーを見ることである。
抽象化をしている訳だ。
執筆はとても具体的だから、
その抽象度を上げると、どれくらい抽象で考えればいいのか、
分からなくなることが多い。

それは、他人のストーリーを、どれぐらい抽象的に見ているかを、
考えるといいかも知れない。

僕は昔漫画家になりたかったので、
具体ばかり考えていた。
だからストーリーが苦手で、
僕の書くストーリーは、その辺にあった漫画のストーリーの、
まぜこぜだった。

本当にオリジナルを書けたと思ったのは、
大学も後半になってから。
遅かったのかもね。
だからストーリーが苦手で、
技術的に磨いてきた、という自負がある。
だからこれだけの言葉になるんだけど。

ストーリーは、
具体的なその場のものを、
抽象化して語ることなんだ、
ということに気づいたのは、 30ぐらいかも知れない。
主人公を名前で呼んでいたのを、
「主人公が○○する」なんて抽象化するだけでも、
僕は随分かかったかも知れない。

抽象空間でプロットやラストを操作して、
それを具体空間に射影したら、
具体的ストーリーになるイメージだ。
(数学知らない人には分かりにくいたとえか)


執筆のレベルだけでラストまで行ける人は、そのまま行け。

行けない人は、一度抽象/具体の切り替えを出来るようになったほうが、
いいかも知れない。
時間がかかるやり方だが、
マスターすれば一生使える技術だぜ。


さて、次回最終回は、
一番上の抽象視点に立ってみよう。
物語のテーマの話。
posted by おおおかとしひこ at 10:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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