2016年05月21日

どこまでが演出か

脚本家と演出家が違えば、
演出家のしたことは全て演出だが、
だからといって脚本に演出的要素がないわけではない。


たとえば「謝る」という文脈において、
「…ごめんなさい」
という台詞の、「…」の間すら演出的要素である。

「この度は…申し訳ありませんでしたッ!」
という台詞に書き直すことも出来る。

雲が急に湧いてきて、空が暗雲に包まれ雨が降ってくる、
土下座と同時に雲が割れて、
光の一筋が当たる、
なんてト書きを書き加えることも可能である。

場所を選ぶのもいい。
「雪の降る東京タワー展望台」や、
「家族で賑わうバーベキュー会場」などでもいい。


これらのことは、
脚本に書かれる演出的要素だと言える。

ストーリー的に言えば、
どういう事情で謝ることになったかや、
謝る人の気持ちや謝られる人の気持ち、
謝る行為によってこれからどういう展開になるかのほうが、
遥かに重要である。


しかしここがストーリーの分岐点になる、
重要ポイントならば、
謝る場面を強調して、演出的要素を盛り込んだほうがいいかもしれない。

勿論、強調だけが演出ではない。
省略も演出だ。

敢えて「ごめん」とシンプルにいき、
その前後の場面を強調することで、
そのシンプルな場面を目立たせるやり方もあるだろう。

つまりは、演出とは、
あるストーリーをどうやって見せるかという、
総合的な判断のことだ。


上で挙げたように、
同じストーリーでも、
演出には万のやり方があり、
そのどれがいいとか悪いとかは、一概には言えない。
センスのいい演出も悪い演出もあるし、
ストーリーが胸に迫る演出もあれば、邪魔な演出もある。
流行の演出もあれば不動の安定演出もある。
それらは、理屈ではなく感性で選んでいくしかない。

もしあなたが演出家の場合、
脚本を書くことは危険である。
脚本は演出プランを披露する場ではなく、
ストーリーをソリッドに示す場である。

スローモーションとか白い鳩が飛ぶとかは、
脚本には書かない。(ジョンウーの定番演出)
演出家の演出プランに書くものである。
(日本のドラマや映画では、
コンテをかかない習慣のため、
演出家の演出の幅がとても狭い。
僕はそれが嫌なのでコンテを全部かく。
風魔だっていけちゃんだってだ)

脚本には、謝る行為とその前後と気持ちが、
うまく描かれていればよいだけである。


大体、クローズアップとか、スローモーションとか、
アオリで、とかフェードインとか、
技術用語は脚本には書かない。
それは演出であり、
脚本にはストーリーだけを書けばいい。

そのうち、過剰な演出に頼らない、
ほんとうに面白い話が書けるようになるだろう。
逆に、
どう演出したって面白い話を書くのが、
脚本家の仕事というものだよ。


ということで、脚本家から見れば、
余計なことをするのが全部演出だ。
posted by おおおかとしひこ at 09:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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