僕は原作も市川版も見たことないのだが、
我らが塚本晋也が、
太平洋戦争時の極限の人肉食について、
描くという。
戦争の狂気は、「地獄の黙示録」的だろうか。
塚本だからグロは避けまい。
それでなお「生きてこそ」のような崇高な部分へたどり着けるだろうか?
結果は、アクションのショボい「ランボー」ぐらいかな。
(以下ネタバレ)
現場の没入感はなかなかだ。
手持ちを多用してるのだから当然か。
絵のよろしくない、安いハンディを使うときの常套である。
飢えや過酷な環境や、
人が狂っていき、
本来人とはこのレベルかも知れんぞ、
と思わせる当たりは、
狙い通りに出来ている。
落ちも狂ったのか狂ってないのか分からない、
という順当な所に落としてきた。
(普通に都市生活をしていて、
体験談を小説化してヒットさせていて、
この平常心こそ狂ってるのではないか、
という逆転も可能だったろうに)
とするとね、なんだか物足りないんだよね。
ジャングルロケ、大自然ロケで、
人がそういう過酷な環境に放り込まれるジャンルは、
絵の壮大さ、ロケーションの大変さとは真逆で、
密室ものと演出が同じになることに注意されたい。
何故なら、大自然は敵で、
今のパーティーを脱出することは出来ないからである。
この味方数人がひたすら行進し続けるという、
「密室」になるのである。
たとえば「スタンドバイミー」は、
ロードムービーに見せかけておいて、
実のところは彼ら4人の内面の告白劇だ。
たとえば傑作漫画に「イカロスの翼」(塀内夏子)があるが、
冬山を登る二人に焦点をあて、
個人的恨みを晴らすために、
殺人してもばれない冬山で、
親友を殺すかどうかということが焦点になる。
つまり冬山を密室扱いして、
二人だけの密室劇になっている。
この「野火」も、
主人公と、若いのと、タバコ親父と、
弾当たらねえ野郎の、
4人の密室劇だといってよい。
人肉食経験者が、
主人公を人肉食を経験させるかどうか、
という、結局は「ワルに誘う話」になっていたのが微妙だったと思う。
キャストの怪演があっただけに、
所詮「クスリやるか?気持ちいいぞ」という、
「ダメ。ゼッタイ。」みたいな作りでしかなかった。
たとえばタバコ親父がずっと猿だと信じていたのが、
実は人肉だと知って嘔吐する、
なんて逆転の展開を用意しても良かったのではないかなあ。
ジャングルで人は弱肉強食になる、
以上を描いていなくて、
知性と共存する違和感をもっと強調しても良かったと思う。
何が言いたいかというと、
グロ&自主製作地獄の黙示録としては良くできていたし、
相変わらず音響効果には特筆すべきものがあるが、
密室劇としては普通の面白さしかなくて、
映画に昇華するほどには、
練りが甘いということ。
良くできた再現フィルムでしかない感じ。
まあ、鉄男でも水の中の八月でもバレットバレエでも悪夢探偵でも、
塚本の弱点は露悪的刺激以外が物足りないことなんだが、
今回も同じ轍を踏んだか、
というガッカリ感のほうが大きかった。
「それになんの意味があるのか」が映画であり、文学だ。
ただ極限だ、ただえげつない、ただキツイのは、
刺激ショーでしかない。
その極限に何の意味があるのかが、
描かれておらず、我々に全面的にぶん投げなのが、
いまいちだ。
せめて、「俺はこう思うんだけど、お前はどう思う?」
という開き方であって欲しかったところ。
見終わってDVDケースを見たら、
貼ってあったツタヤのシールに、
「アクション」て書いてあって苦笑いした。
「文芸」「人間ドラマ」に分類される出来だった、
とは確かに言えない。
(アクションもどうかと思うわ。ホラー/スリラーでいいと思います)
2016年05月23日
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