2016年05月23日

大自然は密室になる(塚本版「野火」評)

僕は原作も市川版も見たことないのだが、
我らが塚本晋也が、
太平洋戦争時の極限の人肉食について、
描くという。
戦争の狂気は、「地獄の黙示録」的だろうか。
塚本だからグロは避けまい。
それでなお「生きてこそ」のような崇高な部分へたどり着けるだろうか?

結果は、アクションのショボい「ランボー」ぐらいかな。

(以下ネタバレ)


現場の没入感はなかなかだ。
手持ちを多用してるのだから当然か。
絵のよろしくない、安いハンディを使うときの常套である。

飢えや過酷な環境や、
人が狂っていき、
本来人とはこのレベルかも知れんぞ、
と思わせる当たりは、
狙い通りに出来ている。

落ちも狂ったのか狂ってないのか分からない、
という順当な所に落としてきた。
(普通に都市生活をしていて、
体験談を小説化してヒットさせていて、
この平常心こそ狂ってるのではないか、
という逆転も可能だったろうに)


とするとね、なんだか物足りないんだよね。

ジャングルロケ、大自然ロケで、
人がそういう過酷な環境に放り込まれるジャンルは、
絵の壮大さ、ロケーションの大変さとは真逆で、
密室ものと演出が同じになることに注意されたい。

何故なら、大自然は敵で、
今のパーティーを脱出することは出来ないからである。
この味方数人がひたすら行進し続けるという、
「密室」になるのである。

たとえば「スタンドバイミー」は、
ロードムービーに見せかけておいて、
実のところは彼ら4人の内面の告白劇だ。

たとえば傑作漫画に「イカロスの翼」(塀内夏子)があるが、
冬山を登る二人に焦点をあて、
個人的恨みを晴らすために、
殺人してもばれない冬山で、
親友を殺すかどうかということが焦点になる。
つまり冬山を密室扱いして、
二人だけの密室劇になっている。


この「野火」も、
主人公と、若いのと、タバコ親父と、
弾当たらねえ野郎の、
4人の密室劇だといってよい。

人肉食経験者が、
主人公を人肉食を経験させるかどうか、
という、結局は「ワルに誘う話」になっていたのが微妙だったと思う。
キャストの怪演があっただけに、
所詮「クスリやるか?気持ちいいぞ」という、
「ダメ。ゼッタイ。」みたいな作りでしかなかった。

たとえばタバコ親父がずっと猿だと信じていたのが、
実は人肉だと知って嘔吐する、
なんて逆転の展開を用意しても良かったのではないかなあ。


ジャングルで人は弱肉強食になる、
以上を描いていなくて、
知性と共存する違和感をもっと強調しても良かったと思う。


何が言いたいかというと、
グロ&自主製作地獄の黙示録としては良くできていたし、
相変わらず音響効果には特筆すべきものがあるが、
密室劇としては普通の面白さしかなくて、
映画に昇華するほどには、
練りが甘いということ。
良くできた再現フィルムでしかない感じ。

まあ、鉄男でも水の中の八月でもバレットバレエでも悪夢探偵でも、
塚本の弱点は露悪的刺激以外が物足りないことなんだが、
今回も同じ轍を踏んだか、
というガッカリ感のほうが大きかった。



「それになんの意味があるのか」が映画であり、文学だ。
ただ極限だ、ただえげつない、ただキツイのは、
刺激ショーでしかない。
その極限に何の意味があるのかが、
描かれておらず、我々に全面的にぶん投げなのが、
いまいちだ。
せめて、「俺はこう思うんだけど、お前はどう思う?」
という開き方であって欲しかったところ。

見終わってDVDケースを見たら、
貼ってあったツタヤのシールに、
「アクション」て書いてあって苦笑いした。
「文芸」「人間ドラマ」に分類される出来だった、
とは確かに言えない。
(アクションもどうかと思うわ。ホラー/スリラーでいいと思います)
posted by おおおかとしひこ at 13:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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