2016年05月23日

何故ファイアパンチは面白くならないのか(1-6話総評)

(10/17追記: いまだにヌートンさんから来る人が沢山いるので注記。
以下の批評は1話以降リアルタイムで書いていたものです。
トガタ登場以前の、サン、ユダ、ネネト登場あたりのパートの
つまらなさのことを書いています。
トガタ以降と以前でファイアパンチは別の漫画になっており、
それが決着したらまた批評をきちんとするかも知れません)


人肉食繋がりで、ファイアパンチ6話を終えた時点で、
纏めておきますか。
僕は今回で脱落するので。

何故ファイアパンチは、
いつまでたっても面白くならないのか?

(以下ネタバレ)


見せ場が、1話以来ひとつもないからではないかな?


漫画ってのは、
特に週刊漫画は、見せ場が一番大事じゃないかな。
毎週毎週見せ場にしろとは言わないが、
せめて始まったばかりなんだから、
見せ場がバンバンあるべきだ。
(1話が見せ場だらけだったくせに!)

「アグニが炎の拳で殴って相手が燃える」
「アグニがサンをかっこよく助ける」
「サンの偶然起こしたことで、アグニが助かる」
「アグニの行動で、結果的に人が救われ、救世主扱いされる」
「人々に人肉食(焼肉)を振る舞う」
「ユダが銃の名手とか、バイクをかっこよく乗りこなす」

などが、これまでのストーリーラインを変えずとも、
作ることが出来たはずなのに。


私たちは、どうして物語を楽しむのだろう。

何が起こるのか分からない暗闇を楽しむのが本質的なのだが、
それは、「このあと見せ場がある」ことが期待されるからである。

1話の見せ場はそれなりに面白かったので、
私たちは1話以上の見せ場を期待する。
ところが、謎が増えるばかりでひとつも見せ場を期待出来ない。
ショタレイプや体育座りや立ち小便は、
俺にとっては見せ場でもなんでもない。
第一、アクションを書くのはこの人下手そうだ。
となると、アクション以外の何かが、
見せ場にならなければならない。

たとえば今回では、
帝国?の町の見開きがあった。
これが全然魅力的じゃなかった。
その辺の屋上からカメラで撮った東京を、
トレースして教会だけ足したような絵だった。
「第四世代」なる台詞から、
旧世界のテクノロジーが失われ、
かつての街を老朽化と戦いながら使い続けているのかと思いきや、
全然そうじゃない。
氷の魔女に覆われているはずが、
雪が街に積もっていない。
(融雪装置もなさそうである)

見開きにする意味あったか?
童夢やアキラなら、見開きの街で衝撃をぶっこんでくるはずだぞ?
これが漫画の魅力だって絵をね。


そういう意味で、
一ヶ月半も見せ場がない漫画は、
もういいや。


実はファイアパンチについて書くと、
アクセスが倍くらいに跳ね上がる。
御新規さんが増えることを期待したのだが、
脚本(ストーリー)自体に興味のある人ではなかったらしく、
ちっとも定着しなかったのは残念。



結論。
エロ、グロ、ナンセンス。
それ以外の何かの面白さが、ストーリーの面白さである。
ファイアパンチのストーリーは、
現時点で面白くないといえる。
この程度のものをステマしまくったジャンプ+は、今後信用しない。


(6/4追記。なんかgoogle検索でやたらこの記事だけ上位に来るようで、
沢山の人が読んでいます。6話が公開消えたので、「ファイアパンチ 6話」
の検索に引っかかりやすいからと思われます。

この記事は一連のファイアパンチ批評の一部です。●のついてるやつです。
一部を読んで誤解されたくないので、全体の時系列を貼っておきます。
●のついてない記事は、一連の脚本論の展開の中で、ファイアパンチを例に引いています。

既視感の寄せ集め(ファイアパンチ第一話)
過去にすがる話は現在が弱い
冒頭と落ちの構造
物語をはじめることの難しさ(ファイアパンチ1-4話批評)
表面的な面白さ(ファイアパンチ1-4話批評2)
冒頭のインパクトを、禁止してみよう
危機にざわざわさせる
脚本軽視の流れを分析してみる2
【速報】ファイアパンチ5話、持ち直す
可能性は、どんどんなくなっていく
で、結局何を書けばいいんだ?4
で、結局何を書けばいいんだ?7
●何故ファイアパンチは面白くならないのか(1-6話総評):この記事です。
期待に答える
焦点は、具体的にせよ
目的のなさ(ファイアパンチのストーリーが何故詰まらないか)
主人公の気絶は、禁じ手2
posted by おおおかとしひこ at 13:44| Comment(48) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
本気で頭悪そう
Posted by あ at 2016年05月23日 23:45
あさん、
本気で頭良さそうなコメント、ありがとうございます。
お暇な時でよいので、是非その貴重なお考えをお聞かせください。
今後の勉強の糧にしたいと思います!
Posted by おおおかとしひこ at 2016年05月23日 23:54
あなたのように1つ1つ難癖をつけることも出来ますが、今は止めておきます。
1つ言いたいのは、大友克洋じゃないから何なんのか、ウォルトディズニーだから高尚なのか?というところです。
誰かに価値観にそぐわなくとも、ファンとアンチが顔を真っ赤にしてる時点で伸び代ある作品だと思いますよ。
Posted by い at 2016年06月01日 05:33
い様コメントありがとうございます。

大友克洋やディズニーの再現はいりません。
彼らが提供したオリジナリティーに対して、
ファイアパンチのオリジナリティーが負けている、
と言いたいのです。

僕はこれらを越える素晴らしい作品を求めていますし、
自分でも作らなければならないと考えて、
じゃあどうすればいいのか、脚本だ、
と考えて、もう三年も毎日脚本の秘密について考えています。
ここの作品批評は、
僕の考えている理想に足りない部分を書いて、
理想の脚本はどうあるべきかについて考えているつもりです。

僕にとって重要なことは、
新しい名作かどうかです。
1話にその可能性を眉唾ながら見出だしたけど、
それ以降その匂いがしなくなったので、疲れたなあ、
という感じですね。


ファイアパンチのオリジナリティーってなんだろう。
「論争があって伸び代があること」ではないですよね。
それは作品の外で起こっていることに過ぎない。

アクションじゃないらしい。
ダークでハードな世界の考証でもないっぽい。
人の心の交流でもないっぽい。
「それらの仮面を被った性癖吐露」という新しいジャンル、
というわけでもないっぽい。
風呂敷の広げ方?
なんだと思います?
分かりにくくても構わないんだけど。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年06月01日 08:30
どうも「一話を読んで自分が期待していたような描写が出てこないから駄作」
と言っているようにしか聞こえません(もちろん個人の楽しみ方は自由だからそれでもいいんですけどね)

見せ場という事であれば個人的には、アグニが復活しないように生首状態でずっと撃たれ続けてたり、獣姦させられそうになったりといった悲惨な見せ場はよくあると思いますよ

しかし、あなたは一見、具体的に欠点を述べているようでフワッとした曖昧な事しか言ってないのでこれ以上議論するのは難しいです
もう少し連載が続けば色んな伏線が回収されて明らかになってくるんじゃない?
Posted by う at 2016年06月02日 16:52
う様コメントありがとうございます。

二点。
この記事は6話までの批評なので、獣姦未遂はのぞきます。
となると、6話もあって、
1話と、頭パンパンしか、
見せ場がないことになります。
それは少ないぜ、というのが記事の論旨です。

もう一点は、
頭パンパンを、僕は見せ場としてはちんけな場面だと思っていることです。
驚きも興奮も意外性も緊張もスケールも、
なにもかも小さくて物足りない。

物語とは、関係が動こうとする瞬間に緊張が発生します。
そこが見せ場の候補です。
(バトルが見せ場になりやすいのは、相手が死ぬから。
ところがこの漫画はバトルを見せ場から意図的に外している)

たとえばユダ=妹?の場面(5話のヒキ)は、このあと真相暴露の見せ場の候補予定でした。
ところが6話ではそれをスルー。

見せ場がいつまでたっても訪れない、
寸止め漫画という新しいジャンルというのなら、
それもありえますが、
それは皮肉レベルでしょう。

僕は普通の漫画であってほしいとは全く思ってなくて、
この漫画なりの見せ場を見せてくれよ、
と思っています。
それが6週間待って、頭パンパン程度では、
切ることにしますわ。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年06月03日 10:18
コメント失礼します。
この記事だけを読んでのコメントですがお許し下さい。
(これを書き終えてからこれまでの記事も読もうと思ってます)
見せ場がない、今まで話題になった漫画から衝撃的なネタを集めたような話、丁寧な絵なのに素直に「絵が上手い」と言えない無味無臭さ、話が進んでも全くカタルシスを感じられない、おおおか様の書かれている感想と同じようなことを私も感じました。
持ち上げられるほどの作品か?と。
大友克洋の名前が出たことで便乗して書かせていただきますが、大友先生はアキラの中で「戦車から大砲が放たれた際の光の中に、ケイとおばさんの二人の姿を引き絵の中に入れた」シーンを描いています。(コミックス2巻ですね)
でもご本人は「実際には『光の中の二人』みたいにはならない。でも漫画としてのカッコ良さを優先した」と仰ってます。
そういう「表現方法に『漫画』を選んだ熱意」がファイアパンチには全く感じられない。ストーリーや絵の良し悪しもそうですが、私にとってはこれが先を読む気になれない最大の理由だと思ってます。
アグニが襲撃されて頭を打たれた際、音が「ピョンピョン」だったのに一番冷めてしまったので……(笑)。
長文失礼しました。
Posted by 漫画好き at 2016年06月11日 14:50
漫画好き様コメントありがとうございます。

大友は、そういう「絵の天才」でしたねえ。
藤本タツキ先生は、何の才能があるんだろう。
期待をさせて外す才能ではなかろうか、と最近は思っています。
じゃあ毎回期待させてトンデモ落ちに落とす、
連作短編なぞを月刊誌でやるのが、
彼(僕は彼女だと考えていますが)の才能を爆発させられるのではないかなあ。

ともあれ、ネットではそろそろ、
下駄を履かされたメッキが剥がれている、という印象なので、
反省会をしたほうがいいと思うんですよね。

現状8話までを見る限り、1話だけ編集がストーリー作ったんじゃねえか、
と邪推してしまいます。
あと思いつかねえから任せた、なんてね。
たしか「クリフハンガー」は冒頭だけPが思いついて、
あとは脚本家が作り上げたんじゃなかったっけ。
そういう作り方で面白いのが出来るのは、ないではないけれど。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年06月11日 15:12
自分も1話の世界観と最後の「ファイアパンチ」のコマ割りで鳥肌が立った一人ですが、確かにもうこの後は腐るほど増え続けてる異能モノと同じような流れになりかねないなとは思いました。
個人的に単行本1巻分くらいまでに一旦着地させて読者に購読意欲を沸かすような構成になってれば良いかなと
ともかくまだ自分は読むことに苦痛を感じてないのであれですが

関係無いですが、亜人も自分の知ってる環境ではクソ化する(陳腐な異能モノと化すかなと思ってたんですけど、結構読めてるんでそれってコンスタントに見せ場が描かれてるってことなんですかね?
読んでる時にいちいち見せ場があるかなんて確認しませんから
Posted by 漫画の違いが分かる意識高い系(笑 at 2016年06月20日 16:02
漫画の違いが分かる意識高い系(笑様コメントありがとうございます。

一応今週も読んだけどキツイ。鬱の人の話を聞いてるみたいな。躁鬱の波動を感じたなあ。
コミックス一巻の編集のアオリと全然違う内容に、ステマなのかなあと勘ぐっております。

ちなみに、亜人はまだ読んでないのでなんとも言えません。
異能バトルが必ずしもクソとは限らないので、
色眼鏡かけないようにはしてますが、
「精神が高揚する」さえあれば次を見るような気がしてます。
見せ場は必ずしもアクションやエログロでなくてもいいと思うので。
(ファイアパンチはバトルが見せ場にならない、ヘンテコ漫画ですが)
Posted by おおおかとしひこ at 2016年06月21日 11:02
ファイアパンチって悪い意味で期待を裏切る漫画ですよね。
意外性だけを求めているというか。
読者はアグニの燃えるような復讐劇を見たいのに全然復讐劇は展開されず。
オープニングで「これは復讐劇だ!」という作品の前提を示したのにその前提が全然活きてない。
読者の期待に応えながら意外性をぶっこむなら良いんですけどねぇ・・・

Posted by gy at 2016年06月21日 17:52
gy様コメントありがとうございます。

06月06日の記事に、
滑る、外すの反対は、「ストライクを取る」である(ファイアパンチ-8話批評3)
なんてのを書きました。
大体そんな話をしています。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年06月21日 18:27
まず見せ場なんてもんは読者じゃなく漫画家が決めるものだろ。
どの場面が面白いかなんて人それぞれなんだから。

つまり、「見せ場が無い!」なんて評価する奴は、基本的に上から目線で自分の意見が真っ当であることを、何の根拠も無く信じて疑わないアホだという可能性が高い。

あとなんか色々言ってるけど、全体的に相手論破したいだけの屁理屈と自己満のポエムですな。

こんな頭悪い大人にならなくて良かった〜。
Posted by 大岡アホさんへ at 2016年07月13日 01:35
大岡アホさんへ様コメントありがとうございます。

ここは書き手を目指す人達対象です。
書き手目線で、そこらへんの作品をどう見ればよいか、
何が書き手的には成功で失敗か、
ということを論じています。

頭が悪くて申し訳ありません。
Z会あたりからやり直します。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年07月13日 09:42
じゃあ見せ場が無いと判断した根拠は?

あんたはこの記事で、ハッキリと自分の好みでモノ言ってるよね?
これって単なる読者の意見なんじゃないの?

確かに書き手目線とも取れる内容もあるけど、この記事の評価に至った根拠の部分で、あんたは自分の好みで語ってるように見えるんだけど、俺の読解力が足りないのかな?

めんどくさい言い訳してないで、こんなクソ記事とっとと削除すればいいのに。
常識に囚われた頭の堅いおっさん丸出しじゃん。
Posted by 大岡さんへ at 2016年07月14日 19:54
大岡さんへ様へ。

ヴォルテールの言葉を引用しておきます。
「私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」

僕がどの意見にもこたえるのは、ここは議論の場だからです。
ペンの場に剣を持ち込む人は、お引き取り願います。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年07月14日 20:45
なんで主張とか権利とかの話になってんの?
俺が最初にバカ丸出しでコメントしたから簡単に言い負かせると思ってたら自分が生き恥晒しちゃいそうになって根本的な話にまで戻してるわけじゃないよね?

俺は久々に面白いと思った漫画がこんな評価されてんのが許せないだけ。
おもっくそ自分の好みで話してるくせに見せ場だの分かったような口ぶりで、これは書き手目線ですなんて言っちゃうような、自分しか正確な意図を理解できないような言葉でお引き取り下さいとか言っちゃうような人ならしょうがないかもしれんがね。

もう返事しなくていいよ。
あと俺のコメント消しといて。消さなくてもいいけど。
Posted by 大岡ナルシストさんへ at 2016年07月15日 09:39
ファイアパンチの作者へのインタビューなんてものがありました。
一応、計算してファイアパンチを描いてるそうです。性別は男性のようです。
http://natalie.mu/comic/pp/firepunch
Posted by jk at 2016年07月21日 23:30
jk様、情報ありがとうございます。
読んでみます。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年07月22日 00:32
昨日の夜からトップページが表示されない不具合が続いてます!
topをクリックすると

お探しのページは見つかりませんでした。
削除または非公開に設定されている可能性があります。
URLに誤りがないかもご確認ください。

という表示がされます。改善お願いしますー。
Posted by jk at 2016年07月23日 08:23
jkさん

昨夜のコメントが今頃とどいたり、最近のSeesaaはちょいちょいおかしいです。
私はシステム管理者ではないので、是非苦情レポートをSeesaaへ。

経験的に、topリンクはたまにバグる仕様のようです。
ブログタイトルをクリックしたり、トップのURLをブラウザでブクマしておいたりするといいみたい。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年07月23日 13:02
融雪装置・・・たしかに雪の世界ならあって当然ですよね!

そこで思ったんですがこういう作者の「常識力」はどう養えば良いのでしょうか。(こういう世界ならこういう要素がないとおかしいよね、みたいな説得力・・・とでも言えば良いのでしょうか)
観客に常識力をつっこまれることほど恥ずかしいことはないですから・・・

ニュースや新聞、TV番組を見る、とかですかね?
Posted by デビー at 2016年07月29日 18:45
こんにちわ。ファイアパンチの感想を検索してこちらに辿り着きました。
いくつか記事を読ませていただきましたが思っていることをいろいろ代弁してあり溜飲が下がる思いです。

僕はこの漫画1話しか読んでませんが、1話から嫌いでした。
1話は絶対に面白い、と言われていたから読んだのですが。

普段僕はおもしろくない漫画については何も言わないし、すぐに忘れるタチなのですが
この漫画はそれを通り越して「嫌い」でした。


冒頭は本当に良かったです。
アンパンマンをリアルにしたような、自己犠牲の精神、毎日気が狂うほどの痛みに耐える主人公の精神性は、本当に美しいと思いました。
おそらく評価されているのもここだけなのでは?と思います

復讐の相手を間違えています。
確かに自分の村を殺した相手は憎い。
しかし、そこまで崇高な精神を持っていた主人公ならば、真に倒すべき相手はこの世界を狂気で満たした氷の魔女ではないのか?
自分を殺した相手を追うことは、けっきょく内ゲバ、つまりこの世界を終わらせようとしている氷の魔女の思惑通りではないか。
ここが致命的に嫌でした。カタルシスがありません。
もし氷の魔女が既に存在してなくて、この終末だけが残ってるのならそういった情報提示を先に処理してほしかった。
前情報だけで予想していたときは本気でそういうストーリーだと思っていました


裏切られたような気分です。作者からも、これを大々的に宣伝してる集英社からも、これを面白いと言ってる人々からも。
これが面白いならば、僕が今まで見てきたものは何だったのかと。
このブログがあって何とか助かりました。
Posted by サイ at 2016年08月01日 22:13
サイ様コメントありがとうございます。
どんな形であれ、助けになって良かったです。

二点あります。
1. アグニは「この冬(飢饉)は氷の魔女のせいである」と、
知らない可能性がある。
氷の魔女はあくまでナレーターによる設定であり、
作中の人物がどれだけ存在や因果関係を知ってるか、
明記されてないと思います。
(記憶が違ったらすいません)
だからアグニの目標が、まずはドマなのだろうと僕は理解していました。
そのうち諸悪の根源を知る長編なのだろう、という予想で。

2. 1話だけしか読んでないなら、
どこかで1巻だけでも読んでみてください。
僕がこれだけ批評している理由が分かるかなと。
嫌い以上の、現代批評に目覚めてしまうかもですが。
相当おかしな「現象」が起きていて、
現代のエッジのひとつが現れている気すらしています。
だって最新一話前はシュールギャグ漫画になってるんだぜ?



いずれにせよ、編集部が本質をずらして宣伝しすぎだと思います。
そこは非難してしすぎることはないです。
JAROに電話したろか、のレベルですよね。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年08月02日 02:23
おおおかとしひこ様
お返事ありがとうございます。

1について、確かにナレーターと読者だけが知ってることかもしれませんね。
登場人物たちも氷の魔女を憎んでるようには見えなかったし、知らないのかもしれません
(読み返したくないので確認しませんが)

しかし、だとしたらそれも読者に知らせるべきではないと思いませんか?
アグニが真の黒幕を知るのと同じタイミングで読者にも明かされれば、感情が同期できると思うのですが。
最初から読者だけ黒幕を知らされて、主人公はそれを知らずに殺戮を繰り返すなんてもどかしい。志村うしろうしろー!と何か月も叫ばなければならないような。

どうなんでしょうね。そういう手法もあるのかな。僕が間違ってるんでしょうか。
でもこの漫画に関してはそのギミック、生理的な快感に役立ってないように思います。


2について。
1巻、読んだほうがいいですかね。1話だけでも気が狂いそうだったのに続きを読める気がしません。

他の記事やここ以外のブログで、何となくの展開は知っています。
裏切りの連続なんですよね。
どこかのブログに書いてあった言葉ですが、「面白さとは裏切りである。しかしそれは絶対に生理的な快感を伴った裏切りでなければならない」ということを
この漫画を読みながら思い出しました。

僕もこの作者と同業者です。
初版部数はこの漫画の5分の1以下。嫉妬と言われればそう見えるし、事実嫉妬の感情もあります。
しかしこの漫画は、うまくいえませんが何かを、冒涜してるように思います。
作中で繰り広げられる理不尽な暴力のように作者が読者を冒涜しているのか、それとも面白さそのものを冒涜しているのか…
好きじゃない漫画を批評する気にはなれません。本音を言えば読んだ記憶を抹消したいくらいです。勝手ながらこのコメント欄を感情のはけ口として利用させていただきましたが…。

しかしそういう研究も必要だと思ったときはどこかで1巻を読みますね。
このブログは面白いので今後も読んでいきます。
Posted by サイ at 2016年08月02日 05:43
なるほど、サイさんはこちら側の人でしたか。
ならば冒涜という感覚が凄く分かります。

何を冒涜しているのか考えていたのですが、
きっと「フィクションにどっぷり浸かること」ではないかなと。
フィクションというのは第四の壁を前提としていますが、
実は2巻相当あたりから、それが壊されていきます。
一番近いジャンルは「デッドプール」かな。
神視点でのメタ言及が増えていきます。

サイさんが違和感を感じている魔女の立ち位置どころではない、
フィクションを解体する相対化された視点が導入されていきます。
(最新13話に至って、その流れも変わるかも知れませんが)


「架空の物語の享受の仕方」が解体され、バカにされているような気持ちになると思われますので、
その覚悟の余裕があるときにのみ、続きを読むことを勧めます。


さて、
世界には真実があって、
「繊細に組み上げられたフィクションは、
それが詰まらないなら、乱暴に壊すほうが受ける」
ということです。
壊すのは簡単。斧があればいい。
創るのは大変困難で、根気がいり、才能も必要。

どんなに繊細なものを作ったとしても、
なまくらな斧の一撃で全壊することも、
現実にはあり得ることです。
ファイアパンチは、実はその斧のような作品ではないか、
というのが13話時点での僕の見方です。

我々がすべきことは、
斧ごときでやられてもびくともしない、
しなやかで強い構造のフィクションを作ることだと思います。
お互いコツコツやりましょう。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年08月02日 08:34
アグニの復讐目標目標は氷の魔女にすべき・・・というサイさんの意見に疑問を感じます。たしかに全ての元凶は氷の魔女ですが、自分の家族を殺された場合どんな人でもまず真っ先に犯人を憎むと思います。見識者やよっぽど人間ができている人なら社会体制を、全ての元凶を憎む・・・ということもあり得るかもしれませんが。しかしアグニはただの村人です。おそらく世界や社会のことなんてろくに知らないでしょう。(ベヘムドルグという大国のことさえ知らなかったくらいですから。一話参照。)つまり身の回りの世界が彼の世界の全てなんです。世界観が小さい人間が自分の世界を壊された時はまず真っ先に犯人を憎むのが「人間として」自然、リアルだと思います。世界観が小さい人は物事の背後に存在するものを認識できません。それにアグニは何年も消えない炎に焼かれ続けてきました。つまり炎の持ち主であるドマという存在が何年にも渡って強制的に体に刻まれたわけです。そんな状況下ではドマのことしか考えられなくなっても仕方ないと思います。

なので復讐の対象はやはりドマであるのが自然でリアルだと私は思います。
ドマを倒して落ち着いたあとにドマの背後にある諸悪の根源を認識する・・・というのなら全然ありだと思います。(むしろ自然。)

サイさんは黒幕だけ知らされるのはもどかしい、と仰いましたが、私は逆にワクワクしましたね。たとえドマを倒したところで帝国を、氷の魔女をどうにかしない限り悲劇は繰り返されるぞ!頑張れアグニ!お前の道はお前の想像以上に厳しいぞ!・・・みたいな。ここらへんは読者の感受性次第ですね。いやあ物語を伝えるってむずかしいですな・・・
Posted by りょう at 2016年08月02日 11:55
りょうさん

そうですね。自分を苦しめた相手に復讐するのは普通のことです。
毎日腕を切断してまで周りの人たちを救っていた、狂気的ともいえる慈愛に満ちた聖人が、普通の人間に成り下がったわけです。
終末に対して慈愛で抵抗していたアグニが1話目にして暴力に転じたわけです。

なるほど面白い。ニヒルで悪趣味な面白さです。
主人公が上がらずに堕ちていくジャンルもあります。ウシジマくんとか。
しかしそれはそのジャンルなりの描き方というものがあります。

りょうさんの言う通り、ドマを倒したあとで氷の魔女を倒す展開になったとしましょう。
(とはいえ原作は全然違うストーリーラインになってるらしいのでこの仮定は無意味ですが)
ついにその諸悪の根源を絶ったとき、じゃあドマとアグニの殺し合いは何だったのか?となりますよね。
お互いが正義の元、無意味な殺し合いをしたわけです。

ひとつ考えていただきたい。
ドマは果たして本当に完全な「悪」でしょうか?

アグニの目線から見ればドマは間違いなく悪です。村を皆殺しにされたわけですから。

しかしドマから見れば、食料を奪うつもりでこそあれ、殺す気はありませんでした。
それを人肉を喰らう殺人集団と気付き、それを絶やし、被害を食い止めるための行動をしました。
勘違いとはいえ、ドマの正義で行動しています。
ここに、誰かの悪意が大きく作為的に働いてると思いませんか?

本来、ドマとアグニは敵同士ではありません。むしろ手を取り合って氷の魔女に滅亡されつつある世界を生き延びる共存者です。
氷の魔女という作者のもと、虫かごの中でカマキリとトンボを戦わせるかのごとく、無益な戦争をさせられたわけです。

これを読後の不快感を無くすには例えば二人が決闘の後共闘者になり目的を共通させるとかかなり無理をすれば、いくらか嫌悪感が拭われる読者もいるかと思います。
どう考えてもそういう人はそこまで読み続けられませんが

進撃と並べられることの多い作品ですから、あまり詳しくない進撃の冒頭をあえて例にあげますと
世界に巨人という悪がいます。主人公の親が巨人に殺されます。ここで読者の悪と主人公の悪がイコールになります。
ではファイアパンチはどうか?
ここが問題なわけです。

私は場面ごとの行動原理を疑ってるのではないのです。
もっと大局的な根底に流れるテーマ、作品の倫理観を疑っているのです。


面白いと思うのは個人の自由です。
ただ出来ればこの漫画を面白いと思うのは小中学生までにしていただきたいです。



おおおかとしひこさん

ひとつわかりました。
僕はこの漫画に、アンパンマンを冒涜された気がしました。
その他の元ネタすべての作品も。斧でグチャグチャです。
記事と関係ないところでお目汚し失礼

Posted by サイ at 2016年08月02日 14:13
サイさん 

なるほど、テーマ、倫理観ですね。
たしかにファイアパンチの世界を俯瞰してみてみるとおぞましい不快感があるかもしれません。サイさんのように世界を俯瞰して嫌悪感を抱いて読むのをやめる、もしくは主人公のアグニと同化して復讐劇を楽しむかの2種類の読者に分けられるでしょうね。

ちなみに断っておきますと、私はファイアパンチを一切面白いとは思っていません。私はアグニの行動動機を肯定しただけであって作品そのものは全然認めていないです。大岡さんのブログを毎日チェックしている人間がファイアパンチを面白いと思うはずが無いですよ 笑

サイさん、反応、ありがとうございました。おかげで深い洞察を垣間見ることができました。勉強になります。
Posted by りょう at 2016年08月02日 15:29
アグニとドマの戦いは無益とか、復讐する相手という点について↑で議論がありますけど、大岡さんはアグニとドマついてどう思われてます?やはり共存者同士が戦うのはおかしい、と思いますか?
Posted by ざんざん at 2016年08月03日 09:55
ざんざん様コメントありがとうございます。

実写ガッチャマン批評でも論じましたが、
闘いとは、「殺しあうに足る理由を創作するジャンルである」
と思っています。

それにしては因縁の根が浅すぎると思います。
そもそも勘違いだし。
「再生祝福者の人肉を食料とする」ことに対して、
ドマが全否定するに足る理由が出来たとき、
ようやく闘いが成立すると思います。

で、多分ファイアパンチは、そういう話じゃないと予測しています。
思えば「アキラ」が、アキラをマクガフィンにしたように、
ファイアパンチは、復讐をマクガフィンにしている構造だと考えています。
だから感情がわかない。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年08月03日 13:00
トガタでてきてから見せ場の連続になったと思う
Posted by おおおおかとしちゃん at 2016年08月09日 02:28
おおおおかとしちゃん様コメントありがとうございます。

この批評は6話(ジャック、イワン、ネネト登場時点)までのことであり、
つまりはトガタ登場、ドマ再登場以前の話をしておりますので悪しからず。

トガタ登場以降見せ場はそこそこありますが、
トガタが主人公でない以上(もはや実質の主人公ですが)、
それはサブプロットの盛り上がりと考えるべきですね。

主人公のアグニがらみで見せ場がないと、
1話からの続きとはいえないと思います。
逆に、アグニ単品では行き当たりばったりにしか出来ず、
トガタというトリックスターを導入しないと話が進まなかったのでしょう。

サブプロットを面白くすることは、
メインプロットに絡ませることで面白くする手段
(実際、アグニに修行させることで面白さは一見回復している)
でありますが、
サブプロット(トガタ)のほうが面白くなりすぎてメインプロット(アグニの復讐)を食ってしまい、
メインプロットの停滞を招く原因になりがちです。

12話の批評で、僕はアグニの復讐譚はマクガフィンかも、
と書いたのはそれを評しています。


トガタがアグニから離れたとき、
またアグニの話が詰まらなくなるおそれがかなりある時点で、
メインプロットをアグニが進めなくなる可能性がありますね。

じゃあトガタ主役でいいじゃん、1話はトガタ登場からやれば良かったんだ、1話なんていらんかったんや。

トガタ登場以後、このねじれがずっと起こっています。
メインプロットのほうが、サブプロットより面白くあるべきです。
トガタ編の終わりあたり(あるのか)で、
このへんの議論(主人公の息切れ→他の面白いキャラに逃げて、
主人公が面白くなくなること、また、
この話は主人公交代制という可能性もまだある)を総括するかも知れません。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年08月09日 11:23
おおおかさんのような、自称評論家の意見を聞いても、面白い漫画はできなんだなぁこれが。
Posted by   at 2016年10月06日 17:36
この人の言っていることが正しいか正しくないかは
てんぐ探偵を読めばわかるよ
それだけ
Posted by 匿名 at 2016年10月10日 02:35
全てタツキの掌なんだよなあw
Posted by タツキング at 2017年06月22日 18:22
ところどころおもしろかったけど
いまいち、神とまで呼べるほどでもなかったかな

アグニ様がへぼいのが残念だな
Posted by えろす at 2018年04月24日 15:31
この作者の新連載であるチェンソーマンも現在無料なんで1話だけ読んで感想を聞かせてほしいです
僕は1話だけならファイアパンチ同様に面白いと思いました
Posted by 唐澤 at 2018年12月22日 13:06
唐澤さんコメントありがとうございます。

1話は読みましたが「2話次第」と考えます。
最後に出てきた女の下で、
トガタあるいはユダのように、
「相手に判断を委ねる」というメアリースーになる可能性があると考えたからです。

それにしても見せ場がまた1カットだけで、
この人はドラゴンボールのような戦闘シーンは出来ないんだなあ、
と思った覚えがあります。
戦闘シーンでのページ稼ぎがないと、
ストーリーまたはギャグで進めなければならないので、
ストックが尽きた時にどうなるか、
予断を許さない状況になると思われます。
つまり、「ファイアパンチと同じことになるだろう」と予想しました。

第1話はやはり出落ち(設定の開陳)だと思うので、
これが出落ちにならないように今後使いこなせるか、
ということが面白さの鍵になると思います。

この程度で「おもしろい」というのは、
最近のジャンプはよほどひどいのでしょう。
僕はDr.スランプ中盤あたりからスラムダンク終わりまで、
全盛期のジャンプ読者だったので、並に見えました。
シティハンターの完成度の高い第1話とか、今でも覚えてるけどなあ。
Posted by おおおかとしひこ at 2018年12月22日 15:26
最近、全巻一気読みしたシナリオライターです。
最後まで読んだうえでも基本的な感想は記事と同意見でした。

しかし、コメント欄で書かれている意見をみると
作品の良しあしではなく「私は好きじゃない論」にあふれている事や、
一話の輝きや、他作品にはない魅力?があった事から、深堀する価値のある作品だとも感じています。


つまり、面白くないのではなく、欠点が多かった、と言えるのかもしれません。
議論から発見を得るには最高の題材です。


現に、コメントはなかなか興味深い話が多かったように感じます。
(狂信者や強アンチの方がでてくるのは、作品の強度を証明しているとも言えますし)

ちなみに、
>「表現方法に『漫画』を選んだ熱意」がファイアパンチには全く感じられない。
このコメントは、私にとって新しい視点でありながら、とても的確で刺激的でした。

-----

ファイアパンチは一貫して「第四の壁の上で倫理観を問い続ける作品」なのだと考えています。

エログロナンセンス、人食などは表面的なものでしかなくて、

作者と読者、お話作りとは何か?
物語論(伏線や期待とそれらの回収、作品ジャンルとは何か? それが変わることの良悪、主人公の定義、メインプロットとサブプロットの関係性etcetc)

そういったものを、作品が読者に問いかけをし続けた作品なのです。


年を重ねた人ほどこの作品に不愉快さを感じるのは
月日の中で読者が構築してきた価値観や倫理観を問われるからなのかもしれません。

-----
シティハンターの第一話が引き合いに出されていますが
ファイアパンチもしくはチェーンソーマンの一話との比較をお伺いしたいです。

「バトルの魅力」というのはここまでの議論でも多く見てきましたし、理解もできます。
ただ、それだけだと漠然としているのも事実なので、
その観点だとしたらもっと具体的な例をあげて教えていただければ幸いです。
Posted by 本の外に生まれた物語も本の価値 at 2020年08月10日 10:06
本の外に生まれた物語も本の価値さんコメントありがとうございます。

ファイアパンチ最終回を踏まえて総評したものがあるので、
それを踏まえた上で。
http://oookaworks.seesaa.net/article/455886342.html

そのような意味では、メタを含めた何かだったのかも知れません。
しかしサブカルチャーが面白かった理由は、
あくまでメインカルチャーが強固で、その破壊が楽しかった時代に限ると思います。(80〜90年代)
ポストサブカルチャーがするべきことは、
強固なカルチャーがない状態はじまりなので、
メタ文脈そのものが僕は古いと感じました。

「本の外に生まれた物語も本の価値」というのにハッと思ったのですが、
ファイアパンチは、
「全裸で皇居に飛び込み、かなり奥まで行った男」
という「犯罪者だけど庶民ではヒーロー」のような気がしました。
何かをしようとしたが何にもならず、
伝説だけは美化される感じ。
僕からは結局、「出落ちに全振りして、何にも使えなかったチキン」が、
出落ちも書けない、より弱い者に賛美されているように見えています。

結局は作品の強度ではなく、刺激の強度で、それが決まっているだけではないでしょうか。
刺激は作品か、という議論ですが、僕はだったら全裸で皇居に飛び込めばよくて、
漫画を書く意味があるとは思えません。
そのような刺激物だけで物語を書かずに終わるのは、手塚だって散々やってきて失敗したところですし。

バトルの魅力に関しては、キン肉マン、北斗、男塾、キャプ翼などスポーツもの、ジョジョ、幽遊白書などが念頭にあります。
どのバトルも戦う理由や起承転結がきちんとあり、「戦う刺激」だけでないストーリーになっていると考えます。
一方「リングにかけろ」「風魔の小次郎」「聖闘士星矢」の車田路線は、刺激だけをべらぼうに追い求めたもので、当時は批判もありました。
しかしそのべらぼうさだけはまだ誰も追い抜いてないですね。

シティーハンターの第一話はきちんとストーリーになっていました。
つまり頭にタイトルが出て、中身があり、エンドシーンがある形。
ファイアパンチは、事件ありきで炎マンになってからの中身がなく、
そこでタイトルが出て終わりました。
つまり第一話としての中身はなく、ほんとうは第二話(以降数話)が、
タイトルが出てからの中身になる筈だったと考えます。
それが「ない」ことが、最終回まで続くのが、
ファイアパンチという構造だと思います。
玉葱の皮を剥き続けても何もなかったかのような。


結局「全裸で皇居に飛び込む」が面白かっただけで、
そんなやつがいなかった、というだけのことだと思います。
チェンソーマンは一巻で切りました。相変わらず出落ちしかやってないので。
Posted by おおおかとしひこ at 2020年08月10日 10:57
最後まで読めくそが死ね死ねwwwwww
Posted by このやろう at 2021年10月12日 17:38
>このやろうさん

最終総括記事がこちらになります。
http://oookaworks.seesaa.net/article/455886342.html?1634029744

しかしファイアパンチ関連の書き込みをする人が、
ことごとく短文で悪い言葉のみなのは、
何か作品にそういうのを惹きつける特徴があるのかしら。
シンゴジのときはわりとちゃんと議論が出来たのだが。
Posted by おおおかとしひこ at 2021年10月12日 18:11
今更ながら総括評含めた大岡さんの批評を拝見させて頂きました。脚本論から読みといた「ファイアパンチ」評は核心を着くもので、大筋の部分で賛同できました。特に批評の中心である(と勝手に思っています)シンデレラストーリーという点は作品の欠点を浮き彫りにするクリティカルな評だと感じました。
しかし、コメント欄であったような、藤本タツキ先生自体を攻撃にするような言い回し(例えば「彼の才能は期待をさせて外す才能ではなかろうか」など)は如何なものでしょうか。批評をする上で作家には敬意を払うのが最低限だと思いますが、それを感じられない所に皆さま反発しているのではないかと考えます。
さて、現在チェンソーマンが非常に話題になっていますね。実際大岡さんが言っていたように、チェンソーマンでもシンデレラストーリーの傾向は多分に含まれていると感じます。(主人公のデンジが物語の中心たりえる理由は最強の悪魔であるポチタにあるという点など)
ですが、実際チェンソーマンは大いに話題になり、超超大ヒット作品となりましたね。(結果論だということは分かかっています)。 果たして大岡さんが言っていたように、昨今の読者層は「伝統的な弱い女と似たような、弱い男が増えている」のでしょうか。私は大岡さん脚本論を盾にして好き嫌いの主観であるだけの話を客観的に膨らませているだけにしか感じませんでした。印象派と呼ばれた作曲家の一人であるモーリス・ラヴェルがオペラ座にて「ボレロ」を発表した際、観客の老婆の一人が「これは異常よ」と叫びました。この老婆と大岡さんの批評が重なるように感じるのです。実際「ボレロ」はラヴェル犯人曰く「この作品には音楽がない」と語る、あえてクラシックの型を外した作品です。もしも「型」のみで作品を鑑賞する人間だけだったなら、「ボレロ」は現代まで語り継がれることのない作品だったでしょうね。
私が何を言いたいかと言えば、ジャンプを愛する、漫画を愛する人々や、藤元タツキ先生の担当編集者である林士平氏が、いち漫画家の作品を脚本論という「型」を使って殴るような人間ばかりでなくて良かったという事です。ストーリーを成立させるのではない、その場限りの読者を驚かす仕掛けとしての演出や描写だからこそグルーヴが生まれ、脚本のパーツという役割を超える程の魅力を持ち感情移入が容易な登場人物らが登場するからこそここまで多くの人を惹きつけるのではないかと考えます。
表現者ですらないの路端の石コロの駄文によるお目汚し失礼します。
Posted by ただの書き散らしです。 at 2022年07月16日 21:02
>ただの書き散らしです。さん

僕はそれでも老婆が正しいと思いますね。
ヒットが正義ではなくて、
物語の豊かさが正義だと思います。
ちなみにボレロのなにがいいか、僕にはまったくわかりません。
踊りを生で見たことがないため、
生で見たら感想は変わるかもしれませんが。
(僕は踊りと音楽は映像では伝わらないと信じています)

で、超超ヒットは言い過ぎでは。
今の基準ではそうかもしれませんが、
ジャンプ600万部の時代のリアタイ感覚だとマイナーレベルです。

なお、
「外す才能」は悪口ではありませんよ。
客観的な批評です。
世の中にはオンリズムの音楽もあるし、
リズムを外すことで生まれる美もあります。
ただ、真剣に外すことを考えてるのではなくて、
若さゆえの逆張りでしかないことが、
未熟だと思います。

まあ、それが面白えという人は、
まだほんとうの物語に出会っていないのでしょう。

コンビニ弁当を食い続ける若者の貧乏さが哀れだと思うだけですね。
支持者の言葉が毎度毎度貧乏なのが、見てて悲しくなります。
豊かな世界を若者に提供できず、
搾取しかしなかった我々ともうちょい上の世代の責任でもありますが。
Posted by おおおかとしひこ at 2022年07月16日 23:28
大岡俊彦さん
私の稚拙な文章にお返事いただきありがとうございます。
批評を攻撃を断じてしまい申し訳ありません。
ただ、その冷たさに違和感を感じてしまったのですり
また、「超超大ヒットは言い過ぎでは」とありましたが、


「物語の豊かさが正義」
確かにそうかもしれませんね。
今現在、漫画はじめ表現の世界はカルチャーの細分化やテクストの引用を重ねたきた事によってより薄まり、厚みを失い豊かさも目減りしたと言えるかもしれません。

ただ、大岡さんの意見は、半分も生きていない若輩者の私からすれば、些か懐古主義に固執し過ぎているのではないかと感じます。

他のコメントで大岡さんがバトル描写の比較としてあげたいた漫画作品は確かに漫画史に残る超名作ではありますが、全て80〜90年代のものですね。構造や脚本の観点で比較するならより現代に近い2010年代以降の模範的な作品を上げる方が良いと思いますが、そこに理論でない感情的なものを感じました。

大岡さんがリアルタイムで触れてきた漫画などの物語が一つの基準となるように、今若者たちがリアルタイムで触れている物語もまた基準となっていきます。同年代の表現者の熱に触れて自らのカルチャーとする体験は同世代でのみ実現しうると考えています。

アキラ、銃夢、カムイ伝、ジャンプ作品で言えばドラゴンボール、スラムダンク、幽白、ジョジョ他、私も名作と呼ばれる豊かな作品に触れて感銘を受けました。これらと比べればファイアパンチ、チェンソーマンは劣るでしょう。

しかし、リアルタイム提供されていく作品に触れ、熱に浮かされ、「面白れぇ」と熱狂する営みは「豊か」とは言えないでしょうか。私は若さ故、未熟者故楽しんでいます。それを貧しいと思うならいくらでも哀れんで頂いて結構です。
Posted by ただの書き散らしです。 at 2022年07月17日 09:44
申し訳ありません。書くだけ書いて満足したらそれでいいと考え消そうとしましたが、誤送信してしまいました。
表示もお返事も無くて結構です。
ただ、年長者に反抗したいだけのクソガキの戯言です。
大岡さんの貴重な時間を消費するのも申し訳ないので電子の藻屑としてやぶり捨ててください。

大岡さんの知見は私の足元にも及ばないほどのものだと考えていますし、表現者として運営している土俵ともいえるサイトに土足で踏み入り申し訳なく思います。今後のご活躍を心より応援しております。
Posted by ただの書き散らしです。 at 2022年07月17日 09:54
>ただの書き散らしです。さん

いや、全然若者のリアルな意見として興味深いので、
公開とさせてもらいました。
どうせ本人は特定できないのでOKでしょう。

僕は漫画は70年代〜90年代に比べれば衰退してると感じていて、
新しい表現はほとんど生まれていないと感じています。
だからピークを過ぎてるジャンルじゃないかと。
昔漫画家になりたかったのですが、
映像方面に行ったのは、まだ伸び代があると感じたからです。
ただ現在の邦画を見てわかるとおり、
漫画より衰退が進んでいて、
はてどうしたものかと考えています。

単純に、漫画クラスタが小さいのが好きじゃないんですよ。
若者の数って僕らの頃より半分に減ってるんですって。
そりゃ切磋琢磨のレベルが落ちるのはしょうがない。
そちらから見れば、自分たちの世代が倍になることを想像すればわかると思います。
競争の激しさ、上澄みのすごさは全然かわると思います。

チェンソーマンも勢いは認めますが、
全盛期ジャンプの質ならば、
同じ勢いでもっと脚本のすぐれた作品が登場したことが期待できるため、
「期待に応えていない」という時点で失望しています。

漫画以外に目を向けたほうがいいかもしれません。
ハリウッド映画もやや没落していますが、
アベンジャーズやトップガンなど、
気を吐いている作品はまだまだあります。

あるいは少年漫画的でない、
大人向けの映画のほうが面白いものは沢山あります。

少年が一番輝くのは、
夢を見つけてまだ見ぬ世界に羽ばたく時です。
その世界がSDGsやらデジタル村八分やらで、
極端に狭くなってしまったことが、
ざっくりいうと少年漫画の凋落の原因だと思います。
それは2000年以降の世界の傾向なので、
漫画家が悪いわけではないと考えます。
まあざっくりいうとこの20年、
少年は大志を抱けていません。
僕らの頃はみんな少年の夢は世界征服でした。
今の少年はもっと小さなところで、
バレないようにラッキーを掠め取ったろ、
と萎縮していると感じます。
コソ泥みたいになってると感じます。

懐古主義になるつもりはないんですが、
いまの少年生きてて楽しいのかなあと疑問です。
その気分が最近の漫画には反映してると感じていて、
少し距離を置いてますね。
僕がジャンプから離れたターニングポイントが「遊戯王」でした。
それ以降から、そんな気分が漂いはじめたので。

もう少しあとに批評したいのですが、
「あずみ」を完結まで読んでなかったので今頭から読んでて、
20巻まで来ましたが、
ここまではとんでもない名作です。
この先は不明ですが、未読ならおすすめします。

たぶん、世界に対する態度が、
僕の評価の差ではないかと考えます。
Posted by おおおかとしひこ at 2022年07月17日 11:36
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