2016年05月25日

デジタルは人を幸せにしない:目に見えないもの

ビッグデータとディープラーニングを組み合わせた、
コグニティブビジネスをIBMが大々的にやるという。
ワトソンなる人工知能が、
会話が出来るかのように振る舞わせている。
実際この会話は、
ある言葉に対して確率の高い返答を、
ビッグデータから返しているだけである。
アマゾンの関連商品検索アルゴリズムと似たようなもの。
(ただ返すよりはもう少しましなアルゴリズムにしてるだろう)
アルファ碁も、基本的には同じだ。
盤面を入力、ビッグデータから確度の高い手を出力とし、
ニューラルネットで曖昧な入力にも対応しているだけである。
(顔認識や指紋認証と同じアルゴリズム)
ディープラーニングだと、多層構造なので場合わけ学習がしやすいのだ。
(あ、ちなみに僕、京大工学部人工知能論の院卒です)

対話における、
係り結びや文脈やどんでん返しや、
ストーリーラインの結合や皮肉が、
あるわけではない。
つまり、人工知能はまだ意味や本質を理解するわけではない。


なぜなら、意味や本質というものは、
「その表面上に現れていない、
水面下に存在する」からである。

ビッグデータを処理する限り、
表面上のものは拾えるが、水面下に存在するものは拾えない。



たとえば会社経営。

「基本給を下げ、成果主義とし、
社員同士を競争させる」

という原理は、一見正しいように見える。

だがこういう会社は5年ぐらいまでしか伸びず、
その後ダメになる。
マクドナルドがその典型である。

何故か。


「書類上の数字だけを改竄し、
自分の成績をいいように見せる」が横行するからである。
監査側が100%それを見抜けなければ、
改竄がデフォルトになってしまう。
正直者が馬鹿を見るからだ。

また、成果主義とは数字主義のことであり、
数字に現れない「いいこと」はひとつも拾われない。

未来を予想して合理的な行動をとり、
事故を未然にふせいだことや、
部下に任せるタイミングとケツ持ちの上手さや、
部下のモチベーションを保ちながらかつ個性を伸ばしていくことなどは、
評価されない。
事故はなるべく隠蔽されて数字上の上がり重視、
部下にやらせず自分でやったほうがはやい、
部下や派遣をすりつぶして上がりだけ頂く、
ほうが、数字上の評価は上がるからである。

表面上の数字だけを見ていると、
そこに合理性があるように思える。
ところが、人の集団は合理的な振る舞いをするとは限らない。
表面上の数字だけを見ていると、
本質が見えない。


たとえば、視聴率偏重のドラマは、
果たして面白くなったか?
ごり押しキャストばかりで、
キャストに責任を押し付けて、
首だけすげ替える。
ちっとも脚本(ストーリーそのもの)がよくならず、ダメになる一方じゃないか。
脚本の面白さを、数字で評価してみろや。
(ちなみに人工知能が書いたSFを読んだが、
基本がなっとらんぞ。落ちがない。
文章自体はビッグデータから持ってきてるから、
上手くて当たり前。構成やストーリーラインという、
見えない部分が全く出来ていなかった)

原作が賞を取ったかどうかだって?
賞審査やったことある?
権力闘争の場だぞあそこは。
公正な中身の審査なんて、誰もできねえんだ。


コグニティブビジネスだって?
またバカが引っ掛かって、
コグニティブマーケティングを必ずやるぜ。

○○の購入者は○○のクラスタに多く、
○○を他に買っていたり、
○○を検索していたりする確率が高いんだろ?
バカだなあ。
数字上のものを追いかけるバカと同じだ。
それは表面しか見ていない。
人工知能の反応的対話と同じだ。

何故それを買うのか、人間は自分のことを正確に言えない。
何故自分のいつもの習慣を脱して、
新たな習慣になろうとするか、
人間は自分のことを正確に言えない。

そこに表面上の特徴や確率的なことはあるだろうが、
それ以外の見えない何かを、必ず取りこぼすだろう。

マクドナルドの経営が、
合理的だと最初は思われたように。



デジタルは人を幸せにしない。
人以上に能力がある、というのに人を屈服させてしまう。
これまでは人より速い車とか、
肉体的能力だから、機械と折り合いやすかった。
今後は、バカか賢いか、
ということと折り合っていかなければならなくなるだろう。
(そして、バカほど、
バカと賢いの二軸しかないと認識する。
賢いには無限通りの回答があることが分からずに)



賢い人は、コグニティブマーケティングなんて信用しないが、
うちのバカな上役が、全面導入を決定したりするに違いない。

弊社の動画管理にGoogleドライブを導入したのも、
初号に誇りがないんだなあと悲しくなったものだよ。
初号をドラッグ&ドロップする安易さたるや。



デジタルは人を幸せにしない。
こうして、市場は縮小し、固定化していく。
数学的に言うと収束してしまう。
収束は、終息である。

脱出には外的揺籃が必要になる。
市場的には移民か大移動、我々創作的にはゲリラ活動だね。
posted by おおおかとしひこ at 10:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック