まさか、
「行けたら行く」という台詞を書いたあと、
ホントに来るシーンを書く馬鹿はいないだろうか。
「へえ、来れたんだ、良かったね」
なんて恥の上塗りのリアクションを書いてやしないか。
だとしたら、
人間というものを何も知らないに等しい。
行けたら行く、は、行かない。
その時に行けたら行くと思っていても、
結局は行かない。
(勿論、やんわりした断り方でわざと使う場合もあるけど、
それはまた別の話)
何故か。
人は、余程の理由がない限り、行動しないからである。
たとえばそれがパーティーだとしよう。
「人数が足りないの。是非来てね」
「行けたら行くよ」
のあとに、
ホントに行くとしたら、
好きな人がそのパーティーに来ると知ったときとか、
パーティーに行かないと人質が殺されるときとか、
余程の理由がないと、
行かないのである。
現実ですらそうなのだから、
物語の中でそうなるのは当然だ。
しかも物語というのは、
現実を戯画化し、大袈裟にやってはじめて面白くなる。
「誘った人の顔を立てることで今後利益を蒙る約束をし、
かつ好きな人が来ると知り、
かつ行かないと人質が殺される」
ぐらいのことは、
普通にあるものだ。
人はなんとなく行動しない。
行動するときは、余程の時である。
余程の時というのは、
つまりは、強い動機があるときである。
あなたの書く登場人物は、
行けたら行くと、ホントに行ってないか。
それはとても動機の弱い、
引き付けられないストーリーに違いない。
2016年05月25日
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