2016年05月25日

行けたら行く

まさか、
「行けたら行く」という台詞を書いたあと、
ホントに来るシーンを書く馬鹿はいないだろうか。

「へえ、来れたんだ、良かったね」
なんて恥の上塗りのリアクションを書いてやしないか。
だとしたら、
人間というものを何も知らないに等しい。


行けたら行く、は、行かない。

その時に行けたら行くと思っていても、
結局は行かない。
(勿論、やんわりした断り方でわざと使う場合もあるけど、
それはまた別の話)

何故か。

人は、余程の理由がない限り、行動しないからである。


たとえばそれがパーティーだとしよう。
「人数が足りないの。是非来てね」
「行けたら行くよ」
のあとに、
ホントに行くとしたら、
好きな人がそのパーティーに来ると知ったときとか、
パーティーに行かないと人質が殺されるときとか、
余程の理由がないと、
行かないのである。

現実ですらそうなのだから、
物語の中でそうなるのは当然だ。
しかも物語というのは、
現実を戯画化し、大袈裟にやってはじめて面白くなる。
「誘った人の顔を立てることで今後利益を蒙る約束をし、
かつ好きな人が来ると知り、
かつ行かないと人質が殺される」
ぐらいのことは、
普通にあるものだ。

人はなんとなく行動しない。
行動するときは、余程の時である。
余程の時というのは、
つまりは、強い動機があるときである。


あなたの書く登場人物は、
行けたら行くと、ホントに行ってないか。
それはとても動機の弱い、
引き付けられないストーリーに違いない。
posted by おおおかとしひこ at 19:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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