2016年05月26日

何故短編はバッドエンドが多いのか?

そっちのほうが楽だから。


今短編を沢山書いている。
10分程度15本目標で、10本目。

僕の性質としてはハッピーエンドにしたいんだが、
バッドエンドの方が数が多い。
1:2ぐらいかな。

何でだろうと考えていたら、
やっぱ落ちの付け方として楽だから、
という自覚にたどり着いた。

人が愚かさ故に転落する、
というスタイルのバッドエンドは、ブラックユーモアに落としやすい。
痛烈な社会風刺にもなるし。



ところで、ハッピーエンドを書くのは、
格別に難しい。
何故なら、問題に対して見事な答えを用意しなければならないからだ。

矛盾がない、新鮮な解決でないと意味がない。
凡庸な落ちはハッピーエンドとしては詰まらないからである。

特に短編は落ちが勝負だ。
凡庸な落ちは、それだけで作品を凡庸にする。
従って、
特別面白い、問題の解決法を、発明しなければならないのである。

長編ならば、
感情移入の力を使って、
ただ平和に戻ったハッピーエンドですら満足することもある。
しかし短編は感情移入の暇はない。
シチュエーションの面白さ、
そこからの脱出や解決の面白さ、
そして全体がどのような意味を持っていたかというテーマ性、
全てが切れ良くまとまっていないと、
短編は面白くないのである。


バッドエンドの方が楽なのは、
人は愚かである、というテーマ性に、バリエーションが多いからだ。
人は成功からは学べないが、失敗から学ぶことは出来る、
という格言もある。
失敗から学ぶ、つまりテーマはバッドエンドの反対、
という含意がしやすいのである。

逆に、ハッピーエンドにバリエーションは少ない。
「天国はひとつ、地獄は無限」みたいなことだろうか。

ハッピーエンドの切れのある短編は、
新しい天国の発明に等しいのかも知れない。
そういう意味では、新しい地獄の発明の方が楽そうだ。

カオスを増やす方向の方が、
秩序を作る方より楽である、
という熱力学の第二法則がここでも成り立っている。


ということで、それに逆らって、
ハッピーエンド話のバランスを増やしたいのである。
何故なら、ハッピーエンドは人の力になるからである。
posted by おおおかとしひこ at 12:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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