「複数の要素を、上手に配置できる」
ことではないかと考える。
まず時間的配置。
序盤、中盤、終盤と、
次々に意味や色の変わるシーンを、
上手く一直線に配置すること。
配置には、
「似たものを並べて被らせない」とか、
「なるべく性格の遠いものを並べて、コントラストをつくる」とか、
「似たものを並べる」とか、
「繰り返す面白さ」とか、
「あまりにも違うのは排除して、ひとつの意志でまとめる」とか、
「一見カオスに見えても、俯瞰したら秩序になっている」とか、
「周囲を潰して一点だけ目立たせる」とか、
「二重性がある」とか、
「逆転がある」とか、
「バランスがいい」とか、
「あえて欠けさせて、残りを想像させる」とか、
色々なやり方がある。
ただのバラバラは、構成されていないといえる。
(ショットガンペインティングが、
我々の「絵」という先入観に反するのは、
構成を放棄しているからである。
無論、反すること自体がショットガンペインティングの政治的意味なのだが)
色見本を並べて美しい並びを作りなさい、とか、
音を並べて美しい並びを作りなさい、とか、
人を並べて美しい並びを作りなさい、とか、
全部原則は同じ。
その構成要素が、
シーンや時間的流れになるというわけだ。
時間的だから、テンポもその要素に入る。
テンポのよい掛け合いを書けたり、
トントン拍子に進むシークエンスを書けたり、
クライマックスに素晴らしい緊張とテンポがあったりするのは、
テンポの構成力があるからである。
(直感的には構成と関係なさそうなのだが、
関係ある。ドラマーの才能というべきか)
複数のストーリーラインのさばき、
複数の登場人物のさばき、
ループや分岐や合流やどんでん返しや伏線なども、
構成力のパーツのひとつだ。
実は時間的要素の配置は、
「理解を構成する」ことと同じだったりする。
観客の理解を、配置によってコントロールしていくのである。
それは与える情報や感情を、構成しているということだ。
興味の誘導を、焦点とターニングポイントでコントロールそながら。
空間的配置。
世界の構造。関係者と事件の構造。
登場人物の立場や性格のバランス。
誰がどこに出ていて出ていないか。
たとえば配役は監督の仕事だけど、
配役そのものも構成力がいるよね。
男女や年齢や美醜や、真面目とコメディのバランスとか。
構成力とは、
これらの様々な要素を、
バランス良く配置させることを言う。
(勿論、いびつに配置させることも言うが、
そこに美学がないと、ただの下手だ)
バランス感覚、俯瞰感覚が、
構成力の正体かも知れないね。
たとえば、
「思い出の写真から10枚だけ選んで、
あなたの人生を表現してください」
なんて課題をやってみると、
バランス感覚の意味が分かるかも知れない。
構成力とは、
無限の要素を有限個に絞って、
意図通りに並べて、
意味を発生させる力、構築する力かも知れない。
ドラマ風魔は、実は構成力の凄いドラマだ。
19忍+女子、全員が活躍してるよね。
それって中々のバランス感覚だと思うぜ?
(結果、全員が好きになるってこと。
奇跡のクラス、みたいな感覚)
それぞれに見せ場がちゃんとあって、
かつストーリーのパーツとしての機能がある。
時間軸的にも、小気味よいテンポが印象的だろう。
もし自分がドラマ風魔を構成するとしたら、
と想像してみよう。
このバランスを実現できる人は、そうそういないと思うよ。
2016年05月27日
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