2016年05月28日

転んだときに、どうするか2

前記事の続き。

転ぶまでは書けるが、
上手い起き上がり方を思いつかない人は、
そこで挫折してしまうのである。


主人公と自分の分離が上手くいかない人ほど、
自分の体験した辛いことを、
主人公に背負わせて反映させてしまう。

期待感溢れるオープニングを書き、
主人公の辛さをセットアップし、
周囲の世界観を設定し、
事件が起こり、
主人公が辛い目にあう。

そこまでは書ける。
が、そのあと挫折してしまう確率が高い人は、
とても多い。


もう少し書ける人もいる。
ひとつや二つは障害をクリアする。
しかしその辺りで、あまり面白くなくなってきて、
挫折してしまう。


これは何故だろう。
主人公と自分を分離していないからである。
自分の辛さを書くことは出来ても、
自分の辛さをカタルシス溢れるように最終的に解決出来ないからである。

自分の解けない問題に挑むのはダメだ。
それらを面白い二転三転のダイナミックなストーリーにしたり、
誰もが膝を打つ、コロンブスの卵のような解決法で、
終わらせることなど出来ないからである。

(多少は書けても、
どんどんリアリティーがなくなってくるのに、
自分で分かってしまい、それで筆が進まなくなるのである)


どうすればいいか?

モテナイ人は、モテナイ人の話を書いてはいけない。
モテナイ人は、やりちんの話を書き、
「やりちんが悩む悩みのうち、自分で解決できるもの」を、
書くべきである。

弱い人は、弱い人が強くなる話を書いてはいけない。
強い人の話を書き、
「その強い人が悩む意外な悩みのうち、
自分なら解決法をしっているもの」を題材にすべきである。

創作は自分の悩み解消法ではない。
自分自身を、ではなく、
他人の悩みを、あなたが解決してあげるのである。


そうすると、
他人が初手でつまづく様を面白く書ける。
つまづいても立ち上がる様を、面白く書ける。
上手くいったのにまた座礁する様を、面白く書ける。
他人に助けてもらったり、逆に他人を助ける様を、面白く書ける。
そして最終的に、
全ての問題を解決するクライマックスを、
冷静にカタルシス溢れるように書けて、
まるでその他人が生まれ変わりを経験したように、
面白く書けるはずである。


ほとんどのプロ志望の人が書く、
上手くない物語は、
自分を主人公にしてしまっている。
だから始まってもいないし、終わってもいない話しか書けないのだ。

物語は自分語りではない。
他人語りである。

他人が転んでも起き上がって解決する様を見て、
残酷さを楽しんだり、
勇気を貰うものである。


(ちなみに、自分=主人公にしてしまったとき、
挫折しかかった辺りで、
何故だかサブキャラが動きだし、
主人公の願望を自動的に叶えてくれ、
クライマックスまで主人公は何もせず、
ラストのラストだけ、簡単な活躍をして、
「問題は解決した」とするストーリーがある。
典型的なメアリースーであり、
「落下する夕方」テンプレである。
主人公=自分が自力で問題を解決せずに、
みんなが解決してくれて、
なおかつオイシイ所だけ拾うというパターンだ。
そんな都合がいいわけないだろ。
他人がやってるのを見れば明らかなのに、
自分だけは気づかない。
もし、主人公は俺そっくりだなあ、
立場は違うけどその世界にいる俺だ、
なんて思ったら、この危険を疑った方がよい)
posted by おおおかとしひこ at 12:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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