2016年05月30日

神バランス3(ズートピア批評3)

テーマは「多様性を確保することは、知性である」
だろうか。

ただ単に「多様性はいい」と盲目的に言うのではなく、
「偏見による悲劇を救うのは、
私たちが知性で多様性を認めるしかないのだ」
といったところに落とし込んだのがうまい。

(以下ネタバレ)


人間は、野獣性を隠しながら生きている。
あるいは、ないものとして。

しかし感情やセックスや食べることや死は、
獣のものであり、
それを無視して生きることは出来ない。

自分にないからといって、
相手にあるとして偏見を持ってはならない。

このあたりのことが、
とても上手く、草食動物と肉食動物の溝に変換されていた。

キツネがかつて草食動物にいじめを受けていたエピソードが秀逸だ。
物語の根幹のテーマに絡み、
かつ二人の秘密の共有(恋のはじまり)にも使えるからである。


今の日本映画で、
ここまで上手く、人間社会の問題を、
別の社会問題に変換して、戯画化出来るだろうか?

実在の問題を実録ものとして、
リアルに描くことは出来ても、
(大抵は小説家のしたことを実写化するだけなんだけど)
このように、変換した別世界で、
こちんとテーマとして描くことが出来るだろうか?

恐らくは否だ。
出来る人がいないか、
いたとしても、オリジナルシナリオなら潰されるからである。



俺たちはオリジナルで勝負するんだ、
動物世界という架空世界を書くんだ、
それは理想世界であるべきなんだ、
リアルな社会問題と、同じ問題がここでも起こる。
(偏見の問題と、麻薬の問題)
それを解決するのは、「理想であろうとする力だ」
ということ。

だから主人公は、最初から、
「ベターワールド」と言っている。

より良い世界を作るためには、
より良い世界を望み、
行動するしかない、
という、人間と社会のあり方への讃歌である。

こんなテーマで、
今の日本映画は何かつくれんの?
「進撃の巨人」とか「ギャラクシー街道」とか作りやがって。
どうせ「シンゴジラ」も進撃並の脚本だろ?



素晴らしい脚本には、
しっかりしたテーマがある。
そのテーマの逆で、必ず悲劇が起こる。

カワウソの奥さん、キツネのいじめ、
キツネにひどいことを言ってしまったこと、
世界に恐れという偏見が蔓延してしまったこと。
素晴らしいスケールの大きな脚本は、
個人的な悲劇と、社会的悲劇が一致する。
個人的悲劇の解消が、社会的悲劇の解消であるように描く。


今の日本映画で、
社会と個人の関係を、
ここまでスケール大きく見据えたものがあるか?
非リア充のルサンチマンばかり書いてるだろ?


主題歌が素晴らしかった。
Try everythingだって。
あのガゼル姉さんの肉体的踊りが素晴らしい。
エンディングはずっと踊りたくなっていた。
アメリカの音楽は肉体的である。
セックスの前戯がダンスだというのも良くわかる。
テーマはストレートで、
それを技巧たっぷりに、原始的に歌い上げる。

今の日本に、一番ないものじゃないか!

今の日本映画は、
主題と関係ない売れ線アイドル曲がかかるんだぜ!
ちなみに踊りはEXILEかAKBかジャニーズだぜ!
絶望だぜこりゃ!



テーマの構造、
悲劇の配置、
特にミッドポイントの逆転、
主題歌の配置(開始15分とエンディング)が、
素晴らしい構成だった。

練り込んだものがあった。
posted by おおおかとしひこ at 01:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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