作中の人間が全員バカの話は、詰まらない。
作中の人間が全員天才の話は、頭よすぎて詰まらないし、
行動に穴がないから千日手になりやすい。
作中の人間が全員普通なら、
出し抜く面白さや、うっかりの図抜けた面白さなど、描けない。
つまり、
お話には、バカと天才と普通が登場しなければならない。
あなたがバカなら、作家になるのは諦めた方がいい。
(逆に天才的に面白い可能性もあるけど、
プロとしてやっていくのは難しいと思う)
あなたが天才なら、普通の人の普通を学び、
シミュレーション出来なければならない。
バカについては尚更。
バカの破壊力をシミュレーション出来なければならない。
あなたが普通なら、
普通とバカを書き分ける練習をしよう。
天才を描くのは諦めなさい。
面白い話は、全員IQが同じではない。
全員イケメンの話が詰まらないのと、同じことだ。
顔面偏差値が凸凹してるから、面白い話になるのだ。
バカもいるし、普通もいるし、一部の天才もいる。
その齟齬がドラマに直接関係するように書けたら、
一人前だろうね。
ためしに、
普通の人々の町に現れた、バカのコジキの話でも作ってみたまえ。
明らかにIQの違う人に、人はどう対処するか。
人によっても、動機によっても異なるだろう。
物語というのは、人と人の齟齬からはじまるのである。
人と人の違いを埋めようとしてはじまるのである。
同じIQの人間しか書けないのなら、
それは物語を書いてないとすら言える。
西洋の物語は、
やや高めのIQのヒーローとヒロイン、
凄く高いIQの敵、
普通のIQの仲間や家族、
バカのコメディリリーフ(大抵狂言回しのクラウンになる)
と、相場が決まっている。
日本の物語はどうだろうね。
普通のIQを主人公にすると、
高いIQの仲間に助けてもらう、
のび太症候群みたいな話になりがちだよね。
メアリースーの温床だ。
異なるIQの人々のドラマを書こう。
あなたの話がつまらないのは、
全員同じ性格で、全員同じIQだからかもしれない。
2016年05月31日
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