一介の古参サイバラファンとして、
一介の表現者として、
この度の絶版騒動は怒りを禁じ得ない。
(ごめんなさい。さっきまでヘビーな仕事をしていて、
今騒動を知りました。著書は既に読んでいます)
絶版の原因が、
差別用語だったとしよう。
たとえばテレビ局だと、
よくある差別語を、別の言葉に言い換えるガイドラインがあったりする。
例: 八百屋→青果店
(○○屋、という人を下に見た表現を避ける。
自分が名乗る分には構わないが、他人を呼ぶときは注意)
などのような。
これらは局内のルールみたいなものだ。
厳密には言葉狩りであり、
我々プロ表現者は、
その範囲内でどう闘うかを常に練っていたりする。
八百屋も青果店も使わない台詞で勝負したり。
脱線だけど、過去の名作を再放送しない理由は、
その言葉のガイドラインに変遷があるためだ。
差別用語だらけの作品は、オンエアにこぎ着けるには、
関係各者への根回しが必須だったりする。
(昔ガンダム哀戦士編のオンエアで、
アムロの「目眩ましかっ!」の「めくら」部分だけ無音になって、
「ましかっ!」という台詞にされていたことがあった。
オイオイ!とテレビに突っ込んだものだ)
これは映像の世界の話だから、出版の世界の常識とは違うかも知れない。
たとえば、手塚治虫の漫画には、
「当時のリアルな言い回しを使っていますが、
差別的意図はございません」
のような注意書があったと思う。
「当時は○○という差別意識がよくあるのが常識でした。
今では△△と考えられています」
とでもきちんと注意書つけとけばすむだろうに。
これらの「大人の駆け引き」の結果、
本は世に出るんでないの?
不可解なのは、一発レッド、しかも出版後なところ。
「柔らかく言い直すなら、たとえばこういう直しもありえますが」と、
数パターンの直し見本ぐらい作って持ってくべきだったのではないかと、
普通に思うんだけど、そんなこともなかったのかねえ。
担当の見切り発車を、別勢力が刺したのだろうか?
個人の対応の云々より、僕はそっちを疑ってしまった。
(D社のリークは、H社の仕業説というジョークもあるよ)
映像のプロとして、
キナクセエなと思うのは、
エタヒニンのあたりとメイソンのあたりか。
大川隆法もあり得るかも。
(元々サイバラは、キナクセエの大好きな狂犬だったでしょ?
みんな忘れたの?最後の無頼派って呼ばれた時期もあったよな?
赤軍の生き残りの姐さんみたいなもんだぜ?)
話として面白いんだから、
大人の決着として、
注意書どっかにつけとくだけで行けそうな気がするんだけど。
どういう内部事情であれ、
一発絶版は勿体ない。
そして怒りを覚える。
「なんでだよ。どこが良くねえんだよ」と、
我々が議論する内容すら、
閲覧が不可能になってしまったからだ。
先日の「電波停止すんぞコラ」という、
暗黙の脅迫と同じ、闇を感じる。
臭いものにふたをするのは、バカでも出来る。
賢い人は、臭いものをいい感じに発酵させる。
賢さが足りない感じに、僕は腹を立てていると思う。
ちなみに、読んでいない人に言っておくと、
名著である。
かっちゃんの赤裸々な告白は凄く良かったし、
サイバラのおまけ漫画は、
その内容をよく吟味して昇華させている、
絶品の出来だと思う。
特にラスト。
かっちゃんの文章への返歌として、
あんな照れ屋であんな美しい漫画に出来る人は、
サイバラ以外にいないぜ。
そのラリーがきちんと決まった、名著だと思う。
2016年06月01日
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